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知識の足台(ステップラダー)

どうして勉強するんだろう?

大抵のひとは1度は考えただろうしもしかしたら誰かに聞いたことがあるかもしれない。
私は。。。実はない。
え、今大抵1度は、って言わなかった?とか思った方、すみません。
ないんですよ。べつに勉強が好きだった訳じゃ無い(むしろ嫌い)けど、基礎体力作りだと思ってた。ただフツウに。


子供を持ってから、たった1度だけれど息子に聞かれた。
「どうして勉強しなきゃいけないの」

確か私の答はこんな感じだったと思う。
「正解じゃないかもしれないけど、勉強がくれた踏み台を使ってやっと見えた世界で、お母さんは沢山の面白くて素晴らしいひとに出会えた。その人達は今M(息子)がつまらないって思う数学の証明問題の中にも宇宙があるって教えてくれるくらい面白い人達で、お母さんが一人では知る事のなかった世界を見せてくれるんだよ。だから どうして、の答は、多分未来の自分が面白く生きて行くため、じゃないかな」

正解とは今も思わない。
でも私が話していて楽しいと思う人はほぼ例外なく言うんだけど
「やって無駄なことはひとっつもない、勉強も」
私もそう思う。


残念ながら学ぶ事で「本当に」得られることは一朝一夕ではわからない。
知る事は、自分が持っているのとは違う高さの足台step ladderを手に入れることなんだ。違う視野をくれる秘密兵器。(良い点とって良い学校に入っておけば就職が有利になる、とかはあるかもしれないけど、でも私就職活動したことないんでその辺、よくわからない。)

微積分がお金を儲けるのに役立つかどうか、みたいなそんな単純な答えじゃないものが待ち受けてたりするから面白い。人間の出会いで起こる化学反応の素地が中学校の古文にあった、とか、フツウにある。

勿論、いろんなことを知らなくても人間がとても素晴らしい人だって居る。それは否定しない。けれど「本を読んでいたら分かること」を知らないままにいるひとより、正しい知識として蓄積したものをひけらかすことなく素地として当たり前に話せる人がいい。どんな知識も視野を広げる足台だから。

学ぶ事をカッコ悪いとか、すぐに結果が得られるノウハウがいいとか、今の教育は悪いとか。
どの意見もまぁ分かるしもしかしたら一理あろうが、いつも思うんだよね。
学んだことを生かせるかどうかはその人次第、使い方次第なのに。

本当の学ぶ事って、短絡的に結果がみえるものだけじゃない。

あの時の息子には これから出会う世界はいろんな高さの足台をもたないと見えないと気付いて欲しかった。その時の彼の知っていることが全てじゃないことを知るため、無知の知の意味を実感するため、地味なランニングをする時期なんだと気付いて欲しかったのだ。

知っているという事が前提の会話ってある。
別に知らないのが悪い訳じゃ無い、教えて貰えたらそれでいいんだけど、大人になるとなかなか指摘してもらうことも、教えて貰えることも少なくなる。

そういえば最近私は足台を新しくする努力が足りないなぁ、と思った、という話でした。なにか勉強はじめようっと。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。