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「ぬ」と「る」の違いで印象が180度変わる米津玄師の楽曲「馬と鹿」

最近米津さんの「馬と鹿」という楽曲を聞いて、ラストのサビの歌詞に衝撃を受けました。

ラストのサビが

これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい

という歌詞なのですが、その歌詞の中の

恐れるままに

って部分があって、実は歌詞を見るまでここの部分って「恐れぬままに」って歌っていると思っていたのです。
でもここが「恐れぬままに」なのではなく、「恐れるままに」って歌詞であることを知って唖然としました。
なぜならこの「ぬ」「る」になるだけで印象が180度変わってしまうからです。
そして恐れぬって言葉ではなく、恐れるって言葉をチョイスするところが米津さんが米津さんたる所以であり、この人の神髄だと思いました。

何が違うのか?


実際に楽曲を聞く分にはこの「ぬ」「る」の違いって音的にも問題はなく、どちらにも聞き取れる歌詞であり、どちらでも文脈に沿う意味を持つようになると思います。
むしろ「恐れるまま」って文章はどちらかというと「恐れぬまま」って文章よりも不自然な表現なように感じます。

しかし「恐れぬままに」という歌詞では音や文脈には適していますが、伝えたい意図が全く異なるのではないかと思いました。

もしここが「恐れぬままに」であれば、間違いなど気にしない、自分の選ぶ選択に対して後悔なく正解といえる、自信を持った人間がさらに強く生きようとするメッセージ性を持つような楽曲になっていたかもしれません。

ここが「恐れるままに」であることでガラッと印象が変わります。
君じゃなきゃダメだと思っていても恐れるんです。そこには正解を選ぶことすら恐れる人間の弱さが浮き出ています。そして選択をするときに最も困難であるのが間違いがないのではなく、どちらも正解であるように見えるときだと思います。

選択の際には選ばなかった方に対する後悔が必ず生じます。
そして正解を選択することを言い換えれば、選ばれなかった方を間違いとして選択することと同義であり、二番のサビの歌詞にもある「誰も悲しまぬように微笑むことがうまくできなかった」とあるように、だれもがみんな幸せになる道などは存在しないわけです。

しかしそういった選ばれなかった方に対する後悔や情けを抱え、でも決して考えなしに出した答えでもなく、怯えながらも前に進もうとするその心意気こそがまさしくタイトル「馬と鹿」の精神を表しているのだと思いました。


あそこの歌詞が「恐れぬままに」でもよかったのかもしれません。ただそれだとこれからも正解だけを選んで、後悔をしない強い人間のための歌になっていたのかもしれません。
「恐れるままに」という歌詞のおかげで自分にとっての正解を選択する際にも恐れを感じながらも、それでも前に進んでいく人間のための歌になっていると思います。
改めて米津さんの魅力は神経質ともいえるほどに丁寧に練られて作られた歌詞だと思いました。

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