僕が反ホモソーシャルになるまで

ここでは、反ホモソーシャルの考えを持つに至った経緯について解説します。

小学1年生になったばかりの頃、新入オリエンテーションのときです。
体操服に着替え、グラウンドに集合させられました。
ここで教師から団体行動の指導を受けるのですが、作法はもちろん手足の細かい位置まで指定されたのです。

しかし、これまでこのような経験はほとんどなかったため、すぐに覚えられません。
すると、教師から怒られて、出来るまで何度もやり直しさせられました。

これまで保育園の伸び伸びした環境で過ごしてきた僕にとっては耐え難い苦痛に感じられ、これを機に約4年半も不登校生活に入ってしまいました。

不登校中は友人関係もほぼ皆無で、ホモソーシャルとは無縁だったのですが、登校するようになると再びホモソーシャルの洗礼を浴びます。

学校生活において、教師や友人を通じて「ホモソ的価値観=社会の常識」と刷り込まれていきました。
不登校自体を恥だと考えるようになっていた僕は、ホモソーシャルに迎合しようと努めました。

「男は強くなければならない」と刷り込まれ、強くなろうと無理して鈍感なふりをしたり、辛いことがあったときに泣くのを必死に堪えたりしたこともありました。
元来の繊細な性格もあり、全てがうまくいったわけではありませんが、次第に自分の身に定着していきました。

しかし、大学生になると、ホモソ的価値観において至高とされる「良い女にアタックして恋愛せよ」の段階で躓くようになりました。

ホモソ的価値観の刷り込みを受けていた僕は、「スペックの高い女性と交際できることが男性の価値(ステータス)である」との思い込みから、「誰とも付き合えない僕なんて価値がないのでは」と思うようになっていました。

ただ、当時の僕にホモソ的価値観を疑う視点はなく、社会経験のなさ故に社会構造を読み解けていなかったことから、自分への劣等感とともに女性への猜疑心が生まれ、内心では所謂「インセル」に近い考えを得ました。

その後、就活や入社した企業でのパワハラ、転職における差別といった形で、ホモソーシャルに痛めつけられ続けていましたが、それでもホモソーシャルそのものを疑う視点は持てませんでした。
転機が訪れたのは、コロナ禍に入ってからです。

収入の低さ、短期離職歴などから「これでは結婚もままならない、なんとかしないと生きる意義がなくなる」と感じていたところに、コロナ禍による不況が襲いました。

当時勤めていた会社ではコロナによる直接的影響はほぼなかったものの、これと期を同じくして上長からのパワハラが酷くなりました。

これを受けて転職活動を進めたのですが、僕自身の経歴の問題や、不況によって採用が絞られたことから、8ヶ月近く転職活動を継続しても一社も内定が得られず、パワハラによる精神的苦痛から転職先の内定がないまま会社を退職するという事態に陥りました。

転職できない、仕事ではパワハラに遭う、お金がない、将来結婚したいけどできそうにない。
僕は社会において「価値がない」とみなされたも同然。生きていても惨めなだけだろう。何十年も生き地獄を味わうなら、死にたい。

そう感じた僕は、ついに自殺を真剣に検討するようになっていました(当時の記事)。
ロープを鴨居にかけ、いつでも遂行できるよう準備をしていたほどです。

この当時は、ホモソ的価値観である「男は稼いでナンボ」「素敵な女性と結婚せよ」という価値観に囚われていましたし、当時の記事を読み返しても「あの頃はすごく囚われていたな」と思います。

ただ、この過程で「自分はホモソ社会における弱者である」という弱者意識が以前より確固たるものとなり、構造的に不利な境遇に置かれやすい女性の境遇についても、自分のことかのように共感し、理解できるようになっていきました。

女性の境遇とその背景を知るにつれ、徐々に「今の社会の価値観は画一的かつ構造的強者層に有利で、おかしいのでは?」と感じるようになり、疑問の目を向けるようになりました。

個々の事例を知り、事例ごとに背景を探って本質を探るにつれ、「女性を苦しめているのはホモソーシャルであり、自分自身を苦しめているのもホモソーシャルである」ことを突き止めることができました。

「恋愛、結婚、家庭を持つことは幸せであり、そうしないのは不幸である」

これがホモソ的価値観による刷り込みであることに気づき、ようやく「自分はホモソーシャルに踊らされていたんだ」と、まるで洗脳が解けたかのように感じられました。

冷静に振り返ってみると、恋愛も結婚も家庭も渇望しているわけではなく、本当に欲していたのは「(ホモソーシャル)社会から承認される経験」でした。

さらに、本来はこれらの行為は特に女性にとって心身に関わる重大なアクションであるにもかかわらず、男性にとってはある種のステータスとされている現状がとても男性優位型かつ女性蔑視的に感じられるようになりました。

ここに至って、そもそも自分を苦しめてきたホモソーシャルなぞに迎合する道理はないのでは?と考え、既存の価値観にとらわれず、自分らしく生きようと決意したのです。

ホモソーシャルという足枷を外してみると、「自分だって生きている価値があるんだ」ということを実感することができました。

恋愛で必死にリードしようと試みたことも、結婚では男性に高収入が求められることも、子供を作り育てることが是とされることも、いずれも家父長制に基づくホモソーシャルが起点であることに気づきました。

この「ホモソーシャル」の構造を理解し、それが人々の生きづらさに深く寄与していることを読み解けたことが、フェミニストになる上で重要な要素であったと感じています。

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