高校1年で味わった挫折と防衛機制

こんにちは、鳥(@tri0142)です。
前回の記事では、高校受験までの過程を説明しました。

今回の記事では、高校受験を終えてから、大学受験を意識するまでの変化や出来事について執筆します。

1. 高校入学まで

高校受験という大ミッションを終えた僕は、解放感から欲しい物をたくさん買った。
お年玉などでたまった資金を元に、欲しかった自転車の心拍計やiPodなどを買いだめした。
スニーカーも買った。
おしゃれな服も買った。
新しい通学バッグも買った。
新しい携帯電話も買った。
美容院に行って髪型も変えた。
そう、高校デビューしようと考えていた。
これまでの陰キャな自分を塗り替え、垢抜けた自分になって、陽キャになって、この特別な学科で高校生活を満喫しよう!と思った。

そして時は流れ、4月の金曜日。高校の入学式だ。親と一緒に向かい、中学の同級生と二言ほど交わした後自分のクラスの教室に向かった。
まだこのときはシーンとしていた。友達作りが始まっていない段階だ。これから頑張って友達を作って、陽キャになろう!と意気込んだ。
入学式では一人ずつ名前が呼ばれ、校長からのあいさつもあり、ついに僕がこの高校の生徒になるという自覚がこみ上げてきた。この高校で頑張ろう、と思った。
そして入学式の記念撮影でクラスメイトから話しかけられる。とりあえず一歩を踏み出せたので、これから頑張ろうと思った。
高校選びで少しミスをしたかもしれないけど、この高校で頑張ろうと思った。

この頃の僕の頭の中にあったのは、僕が可愛いクラスメイトの彼女と手をつないでデートする光景であった。
制服デートに憧れていた。

2. 残酷なパワハラ

浮かれた気持ちでいた入学式明けの月曜日のことである。

新入生オリエンテーションがあったのだが、その際に私語関係で早速校長や教頭が新入生を叱っていたのだ。
なんでこんな始まり方をしなければならないのか?と思った。それと同時に、先生が前に出てきている場面で私語をする生徒のレベルの低さを痛感した。
この段階で、既に選択ミスは確信に変わりつつあった。

そしてこれに止めを刺したのが、宿泊研修での事件である。

男子部屋に女子が入ってきて雑談していると、突然先生が部屋に入ってきた。
全員が凍りついた。

そして、先生は寝ていた人以外の全員を整列させ、一人ずつ物凄い勢いで頬をはたいた。
僕はこの光景を見て戦慄した。体罰なんてものが今の時代の高校にあるのか!?そして、新入生でも容赦なくこんなことをするのか!?と、ショックを受けた。

僕はなんとかうまくやり過ごして隣の部屋に避難して寝ることができたが、もしかしたら僕も体罰を食らっていたかもしれないと思うと心臓の動悸が激しくなった
もし僕が体罰を食らっていたら、良くて一週間の不登校、最悪の場合はそのまま学校を退学していたかもしれないと本気で思う。

それはなぜか。僕が繊細ゆえに怒られるのが怖いから。
幼い頃から大声で怒鳴る声が苦手で、トラウマであった。それどころか、大声でなくても怒鳴られるのがトラウマだった。
当時の僕にとって、怒鳴られたり体罰を受けることは犯罪を犯して逮捕されるに等しい精神的ダメージだった。
今も繊細だが、当時はより繊細だったように思う。

もう一つは、自分のアイデンティティが崩壊するから。
最低限守るべきことは守りたいし、何より「先生の言うことを聞く生徒」的なポジションでありたかった。
それが崩壊することは、当時の僕にとっては筆舌に尽くしがたいほどのショックであることは容易に想像できた。

だから、先生に怒鳴られることは何が何でも回避したかった。

今でもこの辺の考えが人と違うのは、この「傷つくのが怖いし精神的に深い傷を負う」という自分のメンタリティに所以すると思う。乃木坂のパン屋炎上事件しかり。

これだけではない。こんな事例もあった。
ゴールデンウイーク中にある、クラスの生徒全員が参加する外部のイベントでの出来事である。

事前に「17時集合」と通告されていたため、僕は集合時間の20分前程に会場に到着した。
しかし、集合時間になっても生徒はほとんど来なかった。
おかしいと思っていると、何人か集まってきたのでその人たちでご飯を食べた。
ご飯を食べ終わって会場に戻ると...

そこには先生がいた。

先生は全員を集めて、

お前ら勝手なことをするな!最低!最悪!帰れ!このバカタレが!

などと罵詈雑言を生徒40名に浴びせた。
正直、教育者としてあまりにも非常識な言動だった。
僕は発狂した。

もうええわ!帰ってやるよ!

そう大声で叫び、喚いた。
その後の記憶はない。

こうして、高校デビューという浮かれた考えは腰を折られ、
粗暴な言動をする教師と常識のない生徒を目にして、
学校生活を楽しむ気持ちは霧散していった。

もうこの頃には、「こんな高校入らなきゃ良かった」という気持ちでいっぱいだった。
3ヶ月前の選択を心の底から後悔した。

3. 挫折と開き直り

これらの件を通じて、入学後1ヶ月で得た知見は以下の通りであった。

・羽目を外すと大きなしっぺ返しを食らう。
・この学校は生徒も教師もダメだ。高校生活をエンジョイできる環境ではない。

前項については先述した通りである。不純なことを考えた結果として体罰のターゲットにされかけたこと、そして体罰を受ける一部始終を目の当たりにして、繊細な僕はとてもショックを受けた。
後年経験するが、浮気がバレて彼女から別れを告げられた時よりもショックだったし、大枚はたいて買ったばかりのバイクのエンジンが焼き付いた時よりもショックだった。
今でも思い出すと動悸がする。

後項については、以下のような事例を目の当たりにしたためである。

(生徒)
・宿泊研修の部屋の中でクラスメイトが喫煙する
・先生が壇上に上がって話しているのに私語をやめない
・ヤンキー、ギャル系の生徒が目立つ(価値観が合わない)
・まともに課題をやらないしテスト勉強もしない

(教師)
・理不尽かつ頭ごなしに叱る、いやヒステリックに怒鳴る
・体罰をする
・暴言を吐く

あれ...偏差値50ってこんな世界だったっけ...?
自分の価値観を疑い始めた。
勿論こんな状況で高校生活を楽しめるはずがなかった。
クラスメイトはレベルが低い、先生は理不尽。
改めて、自分の選択を心から後悔した。何度も泣いた。

何ヶ月も対策して、自分で決めた高校がこれか...。
もう自分の選択を信じられない...

自分のことが信じられなくなっていった。自分不信になりつつあった。
そして今後どういうスタンスでいようか悩んだ。

そして、考えた末に出た結論は「周囲の雑音に惑わされずにいい子に徹する」であった。

もう高校生活は諦めよう。3年間は割り切って、大学受験に賭けよう。

そう誓った。
そのために選んだ手法が「いい子に徹する」であった。
先生から好かれるようになって評定を上げ、某大学の指定校推薦を勝ち取ることが目的であった。
それからは授業をしっかり聞き、宿題も欠かさずやり、授業中に私語も一切しない模範生になった。
クラスメイトはこれらが出来ていない人が多かったため、一線を画していたし、僕はその中で浮いていたかもしれない。

しかし、それと比例して周囲かのトラブルも増加していった。
先生がガミガミ怒るのが怖いし傷つくからという理由で、授業中に喋っている生徒に対して「しーっ!」と叱ることがしばしばだった。
そして、そんなことをする自分にも少し酔っていた。俺は授業中に喋ったりするような生徒ではない、と。
しかし、この行為は他の生徒にとっては迷惑な行為であり、だんだん僕の周りから人が離れていった。
しかし当時の僕はそういうことはどうでもいいと思っていた。早くもこの段階で高校生活を捨て、勉強と自分の趣味を3年間やって、大学でデビューしようという作戦に切り替えていたためである。

この作戦は元司法浪人氏が取ったものに類似するが、彼と異なり僕の場合は割り切りが出来ていたように思うし、勉強に対するモチベーションも、趣味に対するモチベーションも後年に比べてかなり高く保てていたと思う。
むしろ、中3~高1頃が僕の人生におけるモチベーションのピークであり、以降は度重なる挫折や学習性無力感から下降していったと考えている。
これについては後述する。

4. 孤立化

高校生活は暗黒だったが、ロードバイクのチームに所属してツーリングに行ったり、単位申請のために博物館めぐりをしたり、北海道に旅行に行って楽しんだりした。
割り切ってよく学び、よく遊んでいた時期だった。
学びの面では「いい子」の効果が表れ、模試では学年4位に入ったり、定期テストでクラス最高点を何度も叩き出したりした。校内偏差値86をとったこともあった。
10月には地域で一番の難関私立大学を目指すことを決め、勉強により力を入れるようになった。
遊びの面では前述のほか、ニコニコ動画を見るようになってアイドルマスターやアマガミのキャラに恋をした。
ケバさが目立つ高校の生徒に比べ、二次元のキャラは清楚だったり清純派で僕の好みだった。(ちなみに当時は天海春香と絢辻詞が好きだった)

言い訳すると、もともと二次元キャラにそこまで興味があるわけではなかった。しかし、クラスメイトはギャル系統の人ばかりで、自分の求めている清楚なタイプが少なかった。
今思えばその清楚なタイプのクラスメイトにアプローチすれば良かったのだが、当時の「この高校とクラスメイトなんてクソだ」というメンタリティではそんな気も起きなかった。
結果として、二次元キャラに走ったのである。

そんなわけでクラスに友達らしい友達は一人もできなかった。
まあ、そりゃそうだよな。
でも、どうせこんな馬鹿ばかりの学校で馬鹿に迎合するくらいなら、孤高を貫こうと決心したし、それもあってか別に寂しくはなかった。

5. 理数科目

このころ、数学の授業で僕の意識が変わった。
それまで、数学は苦手なので避けたいと思っていたが、ここに来て良い先生に当たり、さらに難易度も高校としては簡単な部類だったので数学がよく理解できるようになった。
僕は、ここに来て初めて数学を勉強したいと本気で思うようになった

模試や定期テストの点数も順調に伸び、文理選択用適性診断(このクラスは関係なかったが、一応受けることになった)では「明らかに理系」と診断されたこともあり、よりレベルの高い難関国立大学の受験を検討するようになった。
そして、当時通っていた塾の先生の影響から、京都大学を目指すことに決めた。
さあ、2年間勉強して京大に入るぞ!と意気込んだ。

しかし、ここで高い壁にぶち当たってしまった

この推薦方式で入ったクラスには、理数科目の授業がほとんどないのだ。
数学は数学Ⅰのみで終わり、理科は理科総合のみであった。他の科目は概ねカバーしているが、国公立入試を想定した授業ではなかった。

学校の授業でカバーできる科目で受けるなら、3教科の私立大学か一部の国立大学に選択肢が限られる。
暗澹たる思いだった。

「ただでさえ学校に嫌な目に遭っているのに、どこまで追い打ちをかけるのか...」

「理数科目の授業がほとんど無いこともわかっていただろうし、自分で決めた高校だから仕方ないだろ」と言われるかもしれない。
実際、学校の先生方にはこのような冷淡な対応をされた。サポートはほぼ皆無だった。
確かに自業自得かもしれない。でも、本当に理不尽だと思った。
せっかくやる気になったのに、やる気を削ぐような学校にいるなんて。
本末転倒であった。
この頃になると、より一層高校選びを後悔し、自分の選択眼が信じられなくなっていった。

しかし、なんとかして理数科目を習得しないことには京大への道は開かれない。
ならばどうするか。
以下3種の案を比較検討した。

A案:Z会に加入して自分で勉強する。
強み:塾と違ってそれほど費用がかからず、家計に優しい。
弱み:サボり癖が付きやすく、授業をする方式ではないから定着しにくいという懸念。

B案:別の高校に転入する。
強み:最も効果が大きい。現状の課題を一気に解決できる可能性もある。費用も安い。
弱み:全日制高校の場合は数学を含めた転入試験の受験が必要で、難易度が高い。

C案:塾に通って理系科目を勉強する。
強み:授業をする方式で学習しやすく、自習室もあるから勉強も捗る。質の良い生徒と切磋琢磨する機会もできる。
弱み:費用が高い。高校の課題は解決できない。

この中で検討したのは、まずB案であった。
別の公立高校への転入は家の引越しなどの特別事情がない限り不可能だったため、私立高校への転入を考えた。
転入できる高校を探していると、ある私立高校が目に留まった。それなりの進学校で、実績も十分にある。
そこで、この高校の転入試験を受験しようと考えた。
しかし、壁が立ちはだかっていた。
まず、模試の3教科(国語・数学・英語)偏差値が60以上でないと転入試験すら受けられないのだ。
当時の偏差値は51であり、1月にある次の模試までに60に上げられる可能性はかなり低かった。
(今思えば「ネタバレ」を使えばなんとかなったと思うが、転入試験そのもので落とされていた可能性が高いだろう...。)

こうして次に検討したのはC案であった。
まず、塾の先生が通っていたらしい某予備校に通うことを考えた。
入塾テストが必要なく、レベル別講座があったから魅力的だと思ったが、費用が高すぎるため却下
次に考えたのは、ある現役生予備校。ここは高校からも近く便利だったから、ここに通おうと考えた。
そして入塾テストを受けるが、数学で不合格となってしまい断念せざるを得なくなった
他には河合塾の現役生予備校も近くにあったが、これも入塾テストがあるため断念した。

最終的には少し離れた都会にある予備校に通うことになった。交通費もかかるため費用は高くつくが、認定テストが必要なく、規模が大きい予備校である。
期間講習以外で継続的に通うとすれば、C案の中では実質的にこれしか方法がなかった。

6. 振り返り

ここまで書いて振り返ってみると、我ながらかなり理不尽な目に遭ってきたと思う。
生徒も先生もレベルが低い、授業が大学受験の足かせになる、理不尽に怒られる、メンタルを壊して通学中に吐きそうになる、などなど...。

今振り返ってみれば、当時とるべき選択はB案の高校転入一択であった。
私立の全日制がダメなら、通信制に転入すべきだった。
「最後までやらないと」「もったいない」「通信制は落伍者の巣窟」などの偏見を含めたくだらないプライドから、全日制に固執したあまり、何も得られない選択を取ったことを今でも後悔している。
こんなところで忍耐するべきではなかった。

実際、予備校で勉強しているときも高校の先生の理不尽な言動や生徒の振る舞いなどが気にかかって、勉強に手が付かなくなることが何度もあった。
にもかかわらず、なぜ通信制という選択を取れなかったのか。

前述したプライドを除けば、当時「逃げは悪いことだ」という考えを持っていたことが大きい。
親からも言われていたことだったので、自分も「逃げちゃダメだ」とエヴァンゲリオンの碇シンジのような考えを持っていた。

ただ、今思うのは、「何が何でも逃げが悪いわけではない。逃げないと重大な不利益を被るなら、逃げるべき」と。
これはパワハラの蔓延するブラック企業にも言えることだが、我慢するとかえって鬱病を発症するなどしてより損害が大きくなるのである。
結局僕は当初入学した高校にずっと在籍し、3年で卒業したのだが、得られたものはほとんどなかった。むしろ逆効果で、努力が報われないことによる学習性無力感からのサボり癖が発生し、モチベーションは極度に悪化した。

これは逃げではなく、転進である。
これくらいの割り切る気持ちが必要だったな、と。

名を捨てて実を取ることができるように、プライドを捨てる覚悟を持たなければならない。
執筆していて強く思った。

予備校で理数科目を勉強しながら学校に通った2年生以降の日々については、次の回で解説する。

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