男性の僕がフェミニストになった理由(時系列編)

こんにちは。

僕は男性ですが、フェミニストを自負しています。
「え?男性なのになぜフェミニストなの?」と思われる方もいるでしょう。

結論から言うと、女性の境遇が他人事には思えないこと、そして女性の地位向上が男性の生きやすさ向上にも繋がると考えたことが大きな理由ですが、今回は「フェミニストになった理由」について幼少期から順を追って説明したいと思います。

1.幼少期

物心ついた3~4歳頃の段階で、すでに男女で遊びや色、持ち物を分けることに違和感を覚えていた。
当時、「なんで男の子は車のおもちゃなのに女の子はおままごとなんだろう?」と感じていた。この段階ですでに、男の子と女の子では明らかに違う性向ないし嗜好に持っていくように誘導されていることを感じ取っていた。「男の子だから~」とか、「女の子だから~」というフレーズを聞くたびに。

小さい頃なので鮮明な記憶ではないが、戦隊ヒーローもののグッズを欲しがった当時同年齢だった女の子が親に「女の子はダメ」みたいなことを言われていた記憶がある。

ほかにもこういうエピソードがある。
保育園や親戚の集まりなどにおいて、女の子は女の子で将来家事労働ができるようにと、小さい頃から家事や生活作法について様々な形で教育されているのを見てきたが、男の子の僕はこうした教育はされず(むしろ必要ないとされた)、安堵した。
また、ランドセルの色(男の子は黒、女の子は赤)についても明らかに人為的な意図があるのではないかと感じた。

ともかく、当時すでに男女差を植え付ける教育がされていることを感じ取り、また女の子の方が負担が重いと感じ始めていたのである。

2.思春期

この頃になると、保育園~小学5年頃まで通用していたアプローチが次第に通用しなくなり、異性に対する懐疑心が芽生え始める。
それまでは「男の子も女の子も友達」と捉えていて、性的感情を覚えたことはなかった。
それゆえにお互いの家に遊びに行ったり、一緒に寝泊まりすることも比較的普通のことだったが、小学4年になりプールの後の着替えが男女別になると徐々に"身体的距離"が構築されるようになり、第二次性徴期に入るとタブーとされる。しかしこの流れについていけず、男女間に壁のようなものが構築されつつあると当時考えていた。

幼少期の男女差教育に源を発すると思われる嗜好の差も、この考えを後押しした。男の子である僕は、女の子が好むものがあまり理解できなかったのである。
男女差を植え付ける方針に抵抗し、シルバニアファミリーを買ってもらっていた僕でさえ、文字を飾ったり筆箱にシールを貼る行為等については理解できなかった。

中学生になると、これまでのようなノリで同級生の女子に接していると「キモい」と拒絶されることが徐々に増え、どう接すればよいのかわからなくなりつつあった。
一方で精通の頃を境に性欲が一気に強くなり、「セックスしたい、でもその意思を伝えると嫌われる」というジレンマに至っていた。

こうしてますます「異性の気持ちはわからない」という気持ちが強固なものとなった。

3.高校期

中学時代と変わらず性欲が強かった僕は、女子を求めていたが、嫌われるため何も出来ないというジレンマで悶々としていた。

高校1年生の頃「モテたい」と感じ始め、モテようとして髪型や服、靴などを変えたりしていたのを覚えている。
これは、当時「女子は専ら陽キャを好む」という考えがあったことが理由である。
しかし、当時は女子とのメールアドレス交換経験すら皆無という体たらくであり、「交換しよう」と申し出るのにさえ、交際を申し込むのに匹敵する勇気が必要だった。
そして行動源泉が「セックスしたい」のままである以上、けっこうギラついていた節はあるが、中学時代の経験からその姿勢を見せると嫌われると学習していたため、直接的な言動や行動では見せないように気をつけていた。だが、これが逆に挙動不審な立ち振る舞いの原因となり、「挙動不審なうえに下心が透けて見える」という最悪の状況になっていた。

こうした状況では異性とクラスメイト以上の関係になることはほぼ皆無であり、仮にそれ以上深い関係になろうとすると嫌われて関係そのものが崩れることが常であった。

この頃はいわゆる「インセル」的な考えを徐々に深めていて、カップルに対して歯がゆい気持ちを抱きつつも、それを無理やり消化しようとMGTOW的な路線に走ろうとした。
その路線とは、ロードバイクなど趣味に打ち込むことである。趣味に打ち込むことで気を紛らわそうとした。
しかし、結局は趣味のモチベーションさえ「モテたい」であったため、頭の片隅から女子のことを消すことができず、うまくいかず頓挫した。

この段階ですでに「女子はアプローチされるのが嫌い」「下手に好意を伝えられてもキモいだけ」なのではないか、と考えていた。
今の僕のような、女性の生きやすさなどについての視点はほぼ皆無であった。

4.大学期

大学生になると、外部からの影響もあり、無理に我慢するのではなくむしろ自分から行動するように意識した。

大学同期とのLINE交換やサークル参加、イベント交流、マッチングアプリなどあらゆる手段で出会いを作ろうと意識したのがこの時期である。
当初は学内で行っていたが、トライ&エラーを繰り返すうちに居場所がなくなりつつあったため、学外にも活路を見出していた。

しかし、ここでもランチに2人で行く程度が精一杯で、それ以上の関係にはなれなかった。過去の失敗体験がアプローチを躊躇わせる要因となったほか、仮にアプローチしたところで同じような失敗体験が襲ったからである。

こうした「行動してもどうにもならない」という学習は、ますます己の学習性無力感を確固なものにしていった。
一方では、友人や恋愛工学などの影響で「いかにすれば女性と関係を築けるか」という視点を本格的に持つようになった。
具体的には、身だしなみや話し方、振る舞いなどである。このあたりに留意するようになったこともあってか、「雰囲気が柔らかい」「優しそう」「誠実そう」と言われるようになったが、恋愛工学などの影響から、当時はこれを「対象外の非モテであることを遠回しに言っている」と否定的に受け止めていた。

この時期になると、女性の生きづらさについても関心を持ち始めたが、当時右寄りの考えだったので、あまり理解していなかった。むしろ反対の立場に近かった。

5.社会人~コロナ前

マッチングアプリに本格的に手を出し、ようやく彼女ができる。10年以上の悲願であり、当時はとても嬉しかった。
だが、1年ほど経つと従来からの恋愛工学の影響もあり、「いかにしてよりよい女性を手にするか」という方向性に変わってしまった。

結局、新たな出会いを探し行動していたことがバレて彼女と別れることとなり、マッチングアプリでひたすら出会いを繰り返すことになる。
この段階では「誠実な非モテでいても良いことはない、非モテコミットをやめて魅力的な男になろう」という恋愛工学・ネトナン寄りの意見と「誠実こそが女性にとって魅力である」という意見で脳内が対立していた。
当時の僕は前者寄りのスタンスを取りつつ、後者の考えも取り入れ、ネトナン師にありがちなミソジニー思想とは一線を画し、相手の気持ちもある程度尊重し、ただ以前より大胆にアプローチするように心がけていた。

ただ、これは今思えば性的暴力であったと思う。
アプリで会っても初回で切られることが多かったゆえ、恋愛工学のセックストリガー理論を勘違いして鵜呑みにした僕は、初回でも状況次第ではホテルに誘っていた。
当時すでに批判する意見はあったが、「女性側から見て恐怖である」という認識がなかったため理解ができなかった。

結局、ほとんどのケースで上手く行かなかったが、関係を持ったケースもあり、その一人と付き合うことになった。

6.コロナ後~現在

コロナ禍に入ると同時に、関係を持った女性と別れた。
もともと勢いで押すという荒業で交際までこじつけた経緯があるため、時間の問題だったと思うし、今思えば明らかにアウトな手法であった。

この手法はコロナ禍に入ってもすぐには変えられなかった。
正確には、心の中では「絶対に付き合うまでは誘わない」と決めていたのに、アプリで個人的に魅力的に感じた女性と会った際に「具体的に好意を匂わせないと初回限りで切られる」と勝手に強迫観念を抱いてしまい、ボディタッチをしたり、しまいにはホテルに誘ってしまったのである。
結局ホテルには行けたものの、関係は持てず、さらには解散後にLINEで「気持ちはわかるけど怖かった。次はもう会えない」と言われるに至った。

当時の段階でも、「初回で誘うような行為をしなければおそらく付き合えた。明らかに誤った手法を取ってしまった」と考えていた。
そのため、ものすごく後悔したのを覚えている。

このことが、女性に対する認識を大きく変えるきっかけとなる。
当時すでに恋愛工学理論には違和感を感じていたが、これが決定的なものとなった。

また、コロナ不況のあおりを受けて「古い体質かつ低賃金の企業から転職してレールに乗った人生を歩みたいが、それすらも転職活動で苦戦して困難」という実情、そして既得権益層の元公務員の上司からのパワハラとパワハラをする人に共通するメンタリティーに気づいたこと(そしてそれが「社会的強者」たる既得権益層の考えであることがわかったこと)などが、自殺を考えるほど精神的に大きな苦痛を感じつつも価値観を変えていった(詳しくはかつての記事を参照)。

自分は既存の社会の「あるべき像」から外れた、社会的弱者なんだ。

そう気づいたとき、男性と比べ弱い立場に立たされている女性と重なる部分を多々感じたのである。
もともと繊細で感受性の強い性格であることもあり、女性の痛みや気持ちがまるで自分のことのように感じられるようになった。
それと同時に、既存の社会の価値観や構造、考え方は不公平であり理不尽であると認識するようになった。

同じ社会的弱者として、生きやすい社会に変えていきたい。

これが今に至る原点である。

7.あとがき

ざっくりではありますが、僕がフェミニストになるまでの経緯について書きました。
社会的弱者であることを自覚したことが大きなきっかけになったと考えています。

次回は、具体的にどういう要素が理由でフェミニストになったのかを分析し説明していきたいと思います。

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