私がつくり手のことを伝える理由
お盆に入って
久しぶりにゆっくり時間がとれたので
moilyの原点について
もう一度振り返ってみてました。
改めて言語化しておきたいなと思ったので
綴っておきます。
10年以上前、大学生を卒業して1年ほど
私は、海外をバックパッカーで回りながら
貧困地域に入り込みボランティアをしていました。
日本で考えていた
「貧困地域の人」
「発展途上国の学校の子」
「孤児院の子どもたち」
「スラム街で育った人」
に直接会って
大きな主語から
友人Aになりたかったのです。
実際、その人たちに会いに行き
一緒にご飯を食べ、働き、
寝食を共にしました。
そこで気がついたのは
「それぞれが自分と同じ「人間」だった。」
ということ。
当たり前なはずなのに
日本にいてはなぜか気がつけませんでした。
同じように家族がいて
友人がいて
最近太ったことに悩んでいたり
誰かの噂話でも盛り上がったり
きれいになるための化粧品に夢中だったり
私たちと同じように
とてもふつうに日々生きてる。
どこにいても同じ人間でした。
この経験は大きく
日本に帰ってから聞くニュースは
今までと違って聞こえるようになりました。
自分と同じような人が
世界のどこかで苦しんでいる。
家族が亡くなってしまっている。
不安と混乱の中で生きている。
自分には何ができるのだろう・・・。
自然とそう考えるようになりました。
世界の人のことをもっと具体的に
イメージできたら
きっと偏見は減り
他人の苦しみに胸を痛め
自分にできることを始める気がするのです。
そしたらきっと世界がもう少し平和になる。
わたしにできることはなんだろう。
日本にいても
私はどうしても偏見や差別的な発言には
センシティブになってしまいます。
カンボジアと仕事をしていると
「カンボジア人の割に良い仕事するね」と以前言われたことがあります。
なぜ、知りもしない彼、彼女たちのことを上から目線で語るんだろう。
東南アジア出身だからということは、何か劣っていることなんだろうか?
すごく悔しくて仕方なかった。
こんな偏見無くしたい。
カンボジア人だから貧困じゃない。
貧困だから可哀想じゃない。
私は「スラム街の中で、周りに学校に行くことを反対されながらも、こっそり学校に通い、日本語学校の首席となり、日本で通訳になったたダイナイ」のことを尊敬し、刺激を受け、それをエネルギーとして頑張りたい。
確かに物質的な豊かさは日本に比べてはないかもしれないけれど
毎日果物をみんなで囲んで食べ、外国人の私も家族のように当たり前
に迎え入れてくれる「カンボジアの職人のおばちゃんたち」の心の豊かさに
学びを得ていて、そうやって他人に優しく、寛大に、人を見た目で判断しない心の広い人間でいたい。
細かく伝えることで
きっと見える世界が変わって
差別や偏見は減ると信じています。
私はラッキーなことに
色々な国に行ける機会があって
現地の人たちと密に関わることを
得意としています。
だから私は
moilyが作る商品に乗せて
そんな職人のことを細かく丁寧につたえて、
「カンボジア」と聞いたら
職人の顔が思い浮かんでくれるひとがいたら
めちゃくちゃうれしい。
そんな気持ちで
私はこれからも色々な人と
商品を作りたいし、それに乗せて、伝えたい。
もっともっと色々な国に
出向いて、出会って、伝えたい。
私はかご屋になりたかったわけじゃなく
私は自分ができることで
ほんの少しだけだけど、
世界を平和にしたい。
それが私のmoilyを作った原点。
これからもいろんな人と関わり
商品を生み出し
その度に関わる人を紹介していこうと思います。
たまには熱い思いを。
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