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卒業できるでしょうか 1

45年前の夢がふと「今ならできるかも」と思い立ったのが2022年3月。
魔がさした、と他人は思うだろう。あえて自ら魔を掴みにいったんですよ。
(45年前に憧れていたということは相当な年齢であることを示唆しているんですよ)
怖いモノがない、というより自分に負をもたらす気配をみないようにするスキルが出来上がる年代をとっくに過ぎているからだ。

大学の通信教育課程の3年に編入したのが2022年4月。
その年の3月に仕事の契約満了に伴い、型通りに職場から引き止められたが「更新しません」と無職を選択。その時点では「隠居するんだ〜」とワクワクしていた。長い日程での世界旅行も考えていた。

しかし世間はまだまだコロナで検査が必要、海外旅行も気楽には出歩けない。
旅系動画を見て「行った気分」になる選択しかなかった。

「あ、大学のツーシンの学生をしよう」と間違った動詞の思いつきで閃いた。
(しよう)
自分の人生は瞬間の思いつきだけだ。あまり振り返ったり失敗したとは思わない。
思うと辛いから全て「正解じゃん」と決めつけることにしている。
45年前になりたかったのが「ビ大生」だ。ビを漢字に変換してしまうと身バレもありうるので「ビ」とした。ソレを勉強したいのではなく「大生」になりたかっただけだ。

高校時代はデッサンの教室に通ってはいたが、レッスン料さえ出し渋る家の環境であっったため、親から「ほかの進路を」と促され「あ、そうなんだ」とヤメた。でなんかありがち学科の短大を出て(その卒論研究も楽しかった)ありがちな社会人になったりしたが、(転職は他人の8倍くらい多いのでそれもまた後日に書き留めたい。転職楽しいっすよ)

ふと無職だし学費はなんとかできる「今なら学生になれるかも」と気軽に資料請求をした。

入試がない大学通信教育課程だったので、最終学歴出身校に当時の成績表を取り寄せることが1番の面倒だった気がする。結婚で姓が変わっているため本人確認のため本籍地の書類が必要だった(ような気がする) それに加え書類を集めていた春休みは出身校の事務が休みで返送が思ったより日数がかかった。そこから実際に「入学願書」を郵送するまでに今後は

ジブンジシンの迷いが生まれた。
果たして単位は1つでも取れるのか?いい年だ。(だからバナーも老いてもなのだ)本を読む持続力もない。いつもなら「イケイケゴー」と走り出す自分が躊躇した。

授業料もお安くはないからだ。

出願日を空欄のままにして迷った。締切の2日前に速達で出した。
翌日「願書には2年次編入希望とありますが、卒業した短大の単位数から3年編入も可能ですけど」と電話がかかってきた。
受け取ったのは、買い物途中の商店街だった。全く違う分野の単位も受け入れてくれるの?

考える間がなかった。アーケード街の真ん中でメモも取れない。
「あ、はい3年編入でお願いします!」
「ではすぐに入学金と授業料をお振り込みください」

思っているよりも数万倍、あっけなく編入学をすることができた。

それから数ヶ月たったころ、ネットで調べた。その大学の通信教育課程の卒業率。

最短卒業が
2割程度

あ。無理か。
そんな4月が2年前、2022年4月だった。
ほかの同期の皆さんはすでにテキストも眺めているだろう4月中盤。
とても遅い入学だった。

いつか2へ。
2024.3.6追記

モイコ

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