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盛綱陣屋とチャップリン歌舞伎を鑑賞する。

そういえば、このあいだ歌舞伎を観たときの感想をまだ書いていないことに気づいた。場所は隼町の国立劇場、演目は『近江源氏先陣館〜盛綱陣屋』『蝙蝠の安さん』の二本。国立劇場は、演芸場の方は落語を聴きにちょくちょく訪れているものの、大ホールは以前荻窪でカフェをやっていた頃、常連だった明治生まれの「平田さんのおばあちゃん」の長唄の発表会で足を運んで以来。いろいろ懐かしく思い出した。

ところで『盛綱陣屋』。タイトルと、あとは「おばあちゃんと子供が出る話」という程度は知っている。雑だが。

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じつは、僕の好きな戸板康二の「中村雅楽シリーズ」に、この『盛綱陣屋』を取り上げた「グリーン車の子供」というミステリがあるからだ。歌舞伎のことはまったく知らないが、僕はこの歌舞伎の老優を探偵役とした一連の推理小説の愛読者なのである。

あらすじは確かこんな感じ。ほとんど引退状態にある中村雅楽のもとに、ある日「微妙(みみょう)」(というおばあちゃん)役の出演以来が舞い込んでくる。引き受けるのにやぶさかでない雅楽だが、ただ一点「小四郎」を演ずることになっている子役の立ち居振る舞いが気に食わない。そんなある日、新大阪から東京に向かう新幹線でたまたまひとりの「幼女」と乗り合わせたことで雅楽は出演を快諾するのだった。新幹線の車内という密室で、わずか数時間のうちに雅楽の気を変わらせることになったトリックとは?

そんな程度の知識だけではじめて観ることになった『盛綱陣屋』ではあるが、実際フタを開けてみれば「おばあちゃんと子供が出る話」で決して間違ってはいなかった。

台詞についていえば全体の4割くらいしか聞き取れないので、細かいところは相変わらずわからないままである。とはいえ、自分の愛する孫に切腹するよう諭さねばならない老婆の心の動揺こそがこの芝居の見どころであり、「グリーン車の子供」でベテランの役者がどうしてそこまで子役の性格に拘らずにいられないか、その理由がよくわかった。歌舞伎というとイメージしがちな豪華な着物姿での踊りや早替りなどの派手な演出の一切ない渋い芝居だけに、その子役に対して実際の孫くらいの愛情を感じないことには演じ切ることができないし、また客席にも届かないのだろう。

今回は、微妙役が上村吉弥さん、孫の小四郎役が松本幸一郎くん。ふたりの武将を育て上げた武家の母らしく、孫への強い愛情を感じさせながらもぴりっと背筋の伸びたキャラクターで説得力十分。他には、うっかり眠くなった頃にちょうどいいタイミングで登場する「伊吹藤太」というド派手なキャラクター(市川猿弥)もいるのでビギナーにもやさしい。

休憩を挟んで、後半はチャップリンの映画『街の灯』を翻案した『蝙蝠の安さん』。ナウシカ歌舞伎やスターウォーズ歌舞伎のような新作かと思いきやぜんぜん違った。違うどころか、むしろその経緯がすこぶる面白い。

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というのも、この芝居、昭和6(1931)年8月に歌舞伎座で初演されている。え? ちょっと待って。日本での映画『街の灯』の公開は、昭和9(1934)年である。ということは、映画の公開よりも歌舞伎の初演の方が3年ほども先だったということ? 一体どういうこと? だいたい、アメリカで『街の灯』が封切られたのだって歌舞伎の初演のわずか半年ほど前に過ぎないのである。謎は深まるばかり……。

どうやら整理するとこういうことらしい。夏芝居の構想を練っていた木村錦花が、アメリカ帰りの知人らから映画『街の灯』の評判を聞き、盲目の花売り娘に片思いする乞食紳士というストーリーを歌舞伎に翻案してみることを思いつく。そして、別の芝居に登場する「蝙蝠の安五郎」というすでに存在するキャラクターを主人公にあてた『蝙蝠の安さん』が出来上がった。じっさい、残っている初演当時の写真を観ても主人公の男にチャップリンらしさはなく、それが『街の灯』を翻案したものであることはわからない。

つまり、今回上演されるのは筋書きとしては昭和6年に上演された『蝙蝠の安さん』の88年ぶりの蘇演ではあるが、同時に、より忠実に人物造形やディテールをチャップリンの映画に寄せた「幸四郎版『蝙蝠の安さん』」の初演とも言えるわけである。なるほど〜。

舞台装置はなかなか大掛かりで、映画の銅像の除幕式にあたるシーンでは見世物の巨大な大仏の頭部が登場したり、人生に絶望した富豪と港で遭遇するシーンは大店の旦那と大川(隅田川)に置き換えられる。賞金の懸かったボクシングの場面はもちろん相撲だ。台詞もちゃんと聞き取れるし宙吊りもちょっとあったりして、前半の『盛綱陣屋』とは違ってビギナーでも十分楽しめる趣向がたくさん。

配役は、チャップリンが好きで、この芝居をどうしても復活させたかったという松本幸四郎さんが「蝙蝠の安五郎」、盲目の娘「お花」には坂東新吾さん。そして旦那役は、前半ド派手な「藤太」で場内を沸かせた猿弥さんが演じた。こういうちょっとぶっ飛んだ役が似合うみたい。女役の新吾さんは声だけ聞くと本物の女性かと思ってしまうほどでびっくり。

かなり映画に忠実に作り直されているとはいえ、唯一、結末だけは映画と違う。おそらくここは幸四郎さんのこだわりだと思うし、ある意味日本的な美意識を重んじた結末というか、僕はこれでよかったと思う。ただ、一箇所クレームをつけさせてもらうと、お花は安五郎の手に触れることで目の前のみすぼらしい男がかつて自分に優しくしてくれた紳士だと「認識する」わけだが、そこに到るまでに映画のように幾度となく手を握り合う場面があるわけでないので唐突というか、もし映画を観て予習していなかったら「???」となってしまったのではないかと感じた。歌舞伎の場合、そのくらいざっくりした感じでよいのかもしれないけれど。

正直、観る前はチャップリンと歌舞伎とが結びつかず不安だったのだが、実際にはとてもエンターテインメントとしてよく練られた演目に仕立てられていて楽しかった。なお、20日、24日と25日の夜の部はこの『蝙蝠の安さん』単独の上演とのことなので、気になるひとは「歌舞伎かぁ〜〜」という重たい気分にならずに出かけてみるとよいと思う。

ちなみに、僕が観劇した日はチャップリンの四男ユージーン氏も来場されていた。結末の解釈にそんな感想を抱いたか、ちょっと訊いてみたかった。

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