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新年のごあいさつ

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

よく来年の話をすると鬼が笑うなんて云うけれど、さて、去年の話をしたらはたして鬼はどうなるのでしょう。呆れる?

じつは、年末まったくnoteが書けませんでした。いや、努めて書こうとはしていたのですけれど、いっこうに筆が先に進まない。書いては消し、消しては書いての繰り返し。

いっそ「今年聴いてよかった音楽」とか「今年買ってよかったモノ」とか、そんな話題でお茶を濁そうかとも考えたのですが、それですら記憶があいまいで思いつかない。仮に思いついても、あ、あれは今年じゃなかったとか。

これはもう、ひとえに「2020年」という年がいまだかつて経験したことのないような異様な一年だったからにちがいない。

いや、たしかに一年間なにやらゴソゴソ仕事めいたことをしたり、少ないながらもリアルでひとと会ったり、あるいはまたちゃっかりGoToトラベルを利用して横浜に遊んでみたり、つまりちゃんと生活していたにはちがいないのに、すべてがなんとなく表面をさわさわとなぞっただけというか、後に残るようなたしかな手触りみたいなものが振り返ったときどこにもないのです。

つまるところ、息はしていたけど生きてはいない、みたいな。ちょっと大げさな言い様になってしまうけれど、ものすごい虚無感に取り憑かれた年末だったわけです。

きっと、この自分は2020年という一年間ずっと「冬眠」していたのかもしれない。そんなふうにさえ思いました。そしてそう考えると、じっさいすべての記憶がぼんやりとして現実と夢とのあいだが判然としないような気もしてくる。

さて、年は変わって2021年。あいかわらず、この世界を取り囲む状況は険しい。それでも、少しだけぼくは希望を抱いているのです。あくびをし、大きくのびをし、目をぱちくりとしばたたかせている。

去年のようにいますぐやれることばかり追いかけるのではなく、やりたいことをしっかり見据えて、どうしたらそれがやれるのか、ただそれだけを考えていきたいと思う。なぜって、「生きている」と実感できるのは、たぶんそのことの内にしかないはずだから。

冬眠から目覚めた森のクマやムーミン谷の住民とおなじくらい、気力だけはギュウギュウみなぎっている2021年(丑年だけに)です。本年もよろしくお願いいたします。

さて、今年はふたたびこのnoteを日記形式に戻してみようと思います。
日々かんがえたことがふくらんだり、またしぼんだり、あるいはまた思わぬかたちに変形したり、そんなことも楽しみつつ綴っていきたいと考えています。よろしくお付き合いの程お願いいたします。

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