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【全文公開】けっして読書家ではないが本好きなひと

本は好きだが、なにを隠そう読書は苦手である。かんたんに言うと、本を読むという行為が苦手なのだ。

じっさい、一冊の本を読むのにとても時間がかかるし、なかには読み終えることができないまま放置される本もある。あと、よくあるのは、書かれている事がらが刺激的であればあるほど意識がどんどん余計な方向に行ってしまい文章に戻れなくなってしまうパターン。本の上で、迷子になってしまうのである。それは、面白い本ほど頻繁に起こるのでたちが悪い。

以前は、これは自分が他人よりも集中力に欠いているせいだと考えていた。そしてそのことは、自分にとって大きなコンプレックスでもあった。食いしん坊なのに胃弱。カラオケが好きなのに音痴。ときに神様は残酷である。

さらにどういうわけか、若いころから現在に至るまで、自分の身の周りには読書家が多い。なんでそんなにたくさん活字が読めるのだろう? もはや羨望を超えて脅威ですらある。こちらがペロペロおちょこを舐めている間に、むこうはジョッキでお代わりしているくらいの差はありそうだ。

本屋に行くとしばしば息苦しくなるのは、世界にはこんなにも読みたい本で溢れているのに、その爪の先ほども読めないまま自分はここから退場しなければならないという事実をまざまざと突き付けられるからにほかならない。

ところで、これはどこかで聞きかじった話なのだが、最近の研究で「本が読めない病気」というものがあることがわかったそうである。きっとなにかしらの病名もあるのだろうが、なんとなく厭であえて調べてはいない。自分にレッテルを貼ることで楽になれることもあるだろうが、まだなにかを諦めるのも悔しい気がする。

だから、自分では「けっして読書家ではないが本好きなひと」程度に自分のことを思っている。多読ではない分かえってある種の「嗅覚」が研ぎ澄まされるのか、直観で手に取った本が自分にとってかえがえのない読書体験につながるという機会も多い。打席は少ないが、打率はけっして悪くない。

時々、ここでそんなふうにして出会った本を取り上げて紹介してみるのもよいかもしれないと考えたりもする。いまの自分にとって、本を読むのは知識を蓄えることが目的ではない。本を読むことで、白く靄に覆われていたような自分の世界にくっきり輪郭が与えられ、広い世界の中の「現在地」を自分に伝えてくれる。その一瞬の晴れがましさのために、ぼくはそろそろときょうも本を読む。

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