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今週の日記|つわものどもが夢の跡

8月3日 がんばらない

いつだったか、フィンランドの首都ヘルシンキで「世界陸上」が開催されたことがある。

その「世界陸上」を、ぼくはまったく陸上競技に興味がないにもかかわらず心待ちにしていた。正確に言えば、マラソンの開催を楽しみにしていた。夏のヘルシンキの景色が、テレビで2時間も生中継で映し出されるのである。そんな機会めったにあるものではない。

オリンピックもそうだが、マラソン中継は開催都市の魅力をアピールし、観光客の誘致へとつなげる唯一無二のチャンスである。当然、その都市のもっとも見どころのある場所を周遊するようにコースは設定されている。要するに、マラソンを見るというのは、ぼくにとって「はとバスに乗車する」と同じ意味を持つ。

ところが、いざスタートして驚いたのは、ヘルシンキの街全体がまるで「工事中」なのだ。沿道のそこかしこで道路は掘り起こされ、せっかくの美しいユーゲント様式の建物も白い鉄板に覆われて味気ないこときわまりない。

たしかに、夏のヘルシンキが工事シーズン(冬が長いせい?)であることには薄々気づいてはいた。しかし、まさかこんなときまで「通常運転」とは思いもしなかったのだ。後ろにずらすとか、それができなければ「世界大会」の開催前には完了するようスケジュールを調整するとか、なんとかならなかったのだろうか。

しかし、いまにして思えば、こういうところにこそ「世界幸福度ランキング4年連続第一位」の国フィンランドのフィンランドたるゆえんがあるような気がしてならない。ひとことで言えば、国家とか自治体とか会社とか、あるいは場合によっては家族もふくめ、そういった自分が属している集団の目的のために、必要以上に自分の幸福を犠牲にしないのである。

まずは個々が幸せであること。その個々の幸せの総和が家族の、会社の、自治体の、そして国家の幸せであるべきなのだ。だれかの「頑張り」という名前の自己犠牲の上に成り立つ大きなプロジェクトの成功など、はたしてどれだけの意味があるだろう? フィンランド人がそう言ったわけではないが、あの工事現場を疾走するヘルシンキの「世界陸上」を思い出しながら、いま僕はそんなふうに思っている。

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