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鈴木智子第2歌集「舞う国」評

歌誌「かばん」2022年6月号掲載
鈴木智子『舞う国』2022年1月14日発行
( NextPublishing Authors Press)

 三月まで「かばん」に在籍していた著者の第二歌集。発行は二〇二二年一月なので、第一歌集「砂漠の庭師」(二〇一八年十二月)からほぼ三年を経ての発行である。

踊る、と落ちるは似ている今がそう淵にいるときわたしは踊る

 歌集冒頭の歌。前著「砂漠の庭師」が、世界への焦燥と葛藤の記録であるとするなら、この歌集からは、世界を見つめひたむきに受け止める意志を感じる。世界の中で足掻きつづけた身体は、何時しか世界を流離うための様式として、踊り/舞いを獲得したことが、歌集のタイトルと冒頭で宣言される。

ああこれはインクのにおい図書館に沼があるなら共に落ちよう
それはもう暴力でした一文字も読めない街の図書館へ行く

 これらの二首は、「砂漠の庭師」に収録された「図書館で/沼を見つけた/さっきから/飛び込む人の/本が散らばる」「降りていく/一つの文字も/話せずに/外を見ていた/憧れていた」(原文は二首とも五行表記)に呼応している。しかし主体の在り方は大きく異なる。飛び込んだ他者の痕跡しか捉えられない、話せないまま外を見て憧れているだけだった主体が、こちらの二首では、「共に落ちよう」とし、図書館へ赴く。世界での身の処し方を手に入れたからこそ可能になった能動的なふるまいだ。
 より直接的にタイトルのもとになったのは、この一首であろう。

どの国も舞はきれいだ星空にすばるが揺らぐたびに思った

 様式の異なる国々の全ての舞を、主体は「きれいだ」と言う。世界の受容と舞=人々の営みの肯定、これがこの歌集の主題である。

 以下、もう少し詳しくこの本を読み解いていこう。

シロップをペリエで割って飲むようにわたしを銀河で割れば、弾ける。
ほとり、とは涙が落ちる音に似てまなうらに水鳥は飛び交う
屋上で白く干されたシーツたち五月はきっと揮発する夏

 三首とも、光や水の繊細な情景を切り取った、詩情あふれる歌である。
そして主体の眼は、このような美しい世界を発見するにとどまらない。

紫のマスカラを塗りあなたまで見渡す塔をいくつも建てる

 紫のマスカラを塗られた睫毛は、どこか神秘的な影を帯びる。それはどこまでも伸びて、いつしか向きを変え空に向かって聳える塔となり、物見として主体自身がそこへ立つ。

心臓はほとんど海だろ 押し寄せる波をギターで蹴散らかすのさ
ずんずんと上がる花火がばちとなり奏でられゆく琵琶湖を見たい
花火を探す探して見つかるものでなく気づけばあなた自身が花火だ
駅で待つ人それぞれの円を見るきれいな円のあの人が良い

 一首目、ギターによって身体の内部は反転し外部の海と繋がる。二首目、音は物体(撥)となり、湖をかき鳴らすことで再び音へと還る、物理的な要素の交錯。三首目、見られる花火とみる人の一体化。四首目、人々が差す傘は持ち物ではなく、属性そのものと感受される。世界を構築する要素は交錯しシャフルされて感受される。

 また、この歌集には、鈴木がイランで三か月暮らした経験から得られたイメージも散見される。言語も文化も異なる地での暮らしが自身に与えた影響の大きさは、あとがきでも述べられている。

夏ひとつそれでどこまで行けるだろう町中に鳴るアザーンの音
コーランは何故美しい耳でなくたましいへ行くその周波数
ボルボルという鳥がいるこの街で屠殺を美しいと思った
ただひとつ新緑みたいなレモネード手に取り思う ここは戦地よ
王政をやめたすべての国たちに獣のにおいのピザは配られ

 滞在時の光景を歌った一、二、三首目。四、五首目も場所は特定できないものの、歌われているモチーフには明らかに影響がみてとれる。主体は、この光景をとおして、生活に内在する暴力性に気づいていく。その視線は、帰国後の日本での生活においても生きることの構造の生々しさを見出していく。

破壊することで得られる給料でかわいいかわいいワンピース買う
鉛筆を見たとき何の木か分かるいつでも奪う側でいたかった

 冒頭で述べたように、この歌集は、世界と向き合い、時には介入し、在り方を受け入れる。このような関わり方は、主体を疲弊させてゆく。歌集の半ばから終わりにかけ、主体自身について詠まれた歌からは、その様が見て取れる。透ける衣服を纏い、身体も薄れ、心や肉体を失うことを希求する。世界に対し誠実に歌いつづけた主体の、行き先にあるもの。

秋ならばレース使いがうつくしいブラウスを着る 思い出してね
透けていくからだの中に投下するコントラバスは弾かれ続ける
置き去りにした心から芽が生えて森が生まれた 焼き払わねば
骨になる日が来ることの現実を私は小さく安堵、と呼んだ

 鈴木は、この歌集の発行直後に、短歌の活動からしばらく離れることを公表している。二冊の歌集は、作者が世界と対峙した、その記録なのかもしれない。しかし、私はあえて、鈴木に言う。今すぐでなくていい。もう一度肉体を身に纏い、世界を歌いなさい。あなたの目で見て、あなたの言葉でしか語れないものが、世界にはある。

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