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先の不安は大概ムダ。

投稿の期間が随分と開いてしまった。
元旦に投稿するつもりだった。
大地震が起こってニュースにくぎ付けとなり、
翌日は飛行機が炎上してくぎ付けとなり、
お正月らしい三が日を全国民が過ごせなかっただろうと思う。
心が休まない感じ。
書こうと思っていたネタ(?)もどうでもよくなってしまった。
 
慰めの言葉とは何か。
生きる希望とは何か。
色々と考えさせられる2024年の幕開け。
お陰で私にとっては転職を決意する幕開けとなった。
 
結局は、個々の、それぞれの、人生だという事だ。
 
 
前回の投稿から今日まで、まぁ普通に労働していた。
仕事以外にはライヴに行ったり、忘年会やったりと私なりに忙しない日々で、家の年賀状作成は30日にやっと着手でき、構ってほしい猫との攻防戦にも勝ち抜き、31日に投函した。
私がんばった。
 
そして
正月休みが終わり、坦々と仕事をしていて、「あぁ、もう、いいや」と心がハッキリした。
私はやりたい事を仕事にしないと長く続かないと分かっていながらも、昭和の香り漂う閉鎖的な環境で、どうでもいい仕事をやって甘んじてるのだな、とウンザリした。
初めての経験となるが、文字通り外界と遮断されたような空間にいると、社会に貢献しているという感覚がまるでない。お給料が発生している事が不思議に思う程だ。
仕事は任されるまでにはなったが、過去の職歴を振り返っても今回は非常に特殊で、誰のために何のためにここで働いているんだろうかとまるで新卒入社の五月病の如く素朴な疑問が湧く。湧くけど答えが出てこない。
部署内の人々には恵まれたと思うが、それだけだ。意地でも居座り続ける理由にはならない。
そうか、ここはいなくてもいい場所なのか。じゃあもう辞めようか。
一度そう決めると体が軽くなる。
 
軽くなった体で久しぶりの観劇もした。
 
エンタメのような、非現実的空間(現実なんだけど)に身を委ねるのは大切だなと体験する度に思う。
芸術は爆発だなんて子供の頃は「?」と理解できなかったが今は分かる、気がする。
心の栄養であり、安らぎであり、アドレナリンも溢れる。脳と心が繋がっていると感じる。
私の場合はそこに創作意欲が湧くとありがたいのだが、如何せん根っからのぐうたら性格な故、湧くのは一瞬で、翌日にはソファに横になって動かなくなるタイプだ。
今年はどうにかしたい。
 
1月はそうやって終わった。
 
2月の立春が過ぎ、気持ちを新たに過ごしたいところで、風邪を召した。
決して発熱はしない、悪寒が数日続くだけ、という近年稀に見る、誰からも気付かれないタイプの地味な風邪だ。
以前「年に一度くらいは発熱しといた方がいい」と医療従事者から聞いた。
骨の歪みがとれたりと、悪い事ばかりではないそう。
 
2月もすぐ終わるだろう。
3月がやってきて、気がつけば年末になっているのだろう。
なんと1年の早いことよ。
年々早く感じて仕方がない。
 
やりたい事をやる。
いらないものを自分の人生から排除して好きな事をやる。
物事の本質を捉え、想像力を鍛え、偏った思想にならないように。
そしてたまには発熱して。

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