見出し画像

ビフォア三部作/リチャード・リンクレーター

画像1

タイトル:
ビフォアサンライズ Before Sunrise 1995年
ビフォアサンセット Before Sunset 2004年
ビフォアミッドナイト Before Midnight 2013年
監督:リチャード・リンクレーター

入れ子状態のロマンス

齢40にして初めて観たのでほとんど思い入れの無い状態。おそらくリアルタイムで順を追って観た人とは印象が異なるだろうし、一作ごと、特に初作に対して思い入れが深い人はその世界が崩れていく様に耐えられない人もいるのかなと思う。
この映画が凄いのは作品が進むごとに、以前の作品が作品内作品のような、物語の中で取り上げられる架空のストーリーの様な二重三重にレイヤーになってくる。過去にあった事が常に参照されながらも、普通の映画では一作の中で断片としか描かれないものが、時間を経た作品として独立しながらも、常に第一作の「ビフォアサンライズ」の記憶を辿る不思議な体験をする事が出来る。ジェシーとセリーヌに起こった事が、作品が進むにつれ入れ子状に過去が折り重なってくる。それは作品ごとに経過した時間の重みが存在感を増しながら、夢見心地なふたりの世界だけだった「ビフォアサンライズ」の頃のふたりの記憶に寄り添った記憶が登場人物ふたりと観客が一体化するからこそ、過去の重みが大きくのしかかってくる。観ているとそんな気持ちが炙り出されたように感じた。

画像2

二十代前半の劇的な出会いが描かれた「ビフォアサンライズ」は先にも書いたようにふたりだけの世界が切り取られていて、息が詰まりそうなほど感情が昂るラストは三部作の中でも一番のクライマックスだったと思う。面白いのは「ビフォアミッドナイト」の食事シーンで若いカップルが長距離恋愛中はスカイプでやりとりをしてるという台詞がある。一作目の1994年と三作目の2013年(2012年?)の差が現実的な時代の流れを示していて、この辺りの時代のズレは面白い。当時SNSやネット環境が整っていれば、当然繋がりを保ったまま馬車はかぼちゃにならずにガラスの靴を履き続けていられたかもしれない。半年後に同じ場所で会おうという約束がロマンティックな絵空事の様にしか響かないかも知れない現代と比較すると、「ビフォアサンライズ」のストーリーがまさにシンデレラのような魔法を感じさせるドラスティックなものにも思える。(魔法を信じるか?と現実というのも会話劇の中でちらりと描かれている)

画像3

「ビフォアサンセット」でのふたりの空白の9年間は、出会えなかった事の重みと後悔に振り回されながら、ジェシーが結婚し子供を授かりながらもあの時の記憶にしがみついているのがよく分かる。セリーヌは終始自分の気持ちをはぐらかしながらも、空港へ向かう送迎車の中で9年間の想いをぶちまける所は胸が詰まる。その末の彼女が暮らすワルツを弾き語るシーンの想いを告げるシーンはシニカルな態度を示しながらも、一番ロマンティックなシーンに仕上がっている。(この曲はジュリー・デルピーによる自作曲)。このシーンが素晴らしいのは、恋人の部屋に初めて入った時のアウェイ感とホーム感が同時に訪れるあの感覚だと思う。暮らしが垣間見える瞬間のヴィヴィッドさはすごくリアルだと思う。CDの棚から摘むニーナ・シモンは出来過ぎな感じもありつつ、ロマンティックな雰囲気を残す(ニーナ・シモンは晩年フランスで活動していた)。あの雰囲気の中で飛行機に乗り遅れるわよ!と歌に合わせて言い放つ終わり方もにくい。ふたりの距離の空白を埋めるような雰囲気を残した終わり方は幸せな寂しさを生んでいた。

画像4

この三部作がズルいのはセックスシーンを省いている事。三作ともセックスシーンを描かない事で、ふたりの関係がインティメイトでありながらもどこかやり残した感じがあるというか、そんな至らない関係だったのかなと思わせる。「ビフォアサンライズ」では公園でセックスを匂わせながらそのシーンは描かれなかった。その後のシーンでセリーヌはシャツを脱いでいたので、事は終えたのだなという空気はありながらも具体的な描かれ方はしなかった。
これについては「ビフォアサンセット」で二回したという台詞が入るのでそういう事だったのは明確になっている(青姦で二回もしたのかよ…)。
「ビフォアサンセット」の直後にやりまくって双子が生まれたというのも、シニカルな演出が効いてて良かった。この三部作が面白いのは作品が進むにつれて、現実に直面している出来事を包み隠さずに露呈している事。ジェシーのセックスについてもセリーヌは「キス、おっぱい、キス、おっぱい、プッシー」と彼の単調さを話していて、前二作品にあったロマンティックな感情が長いこと一緒にいる事でマンネリズムにある事を示唆している。これは「ビフォアサンライズ」の頃から一貫して、愛の形やマンネリズムの恐怖が会話の中に織り込まれている。18年経って現実にふたりにそれが訪れるというのが、「ビフォアミッドナイト」のテーマだったのではないかと思う。

一作目の「ビフォアサンライズ」を下敷きにしつつ、物語内物語な入れ子状態のビターな味わいはやはり登場人物ふたりの時間の経過と共に観るべき映画なのだなと痛感した。20代、30代、40代とそれぞれの年頃に観ると特別な味わいを感じる事が出来る映画体験ができるのでは?と思う。

この三部作を観ていていくつかの映画がフラッシュバックした。
刹那的な出会いの中、街を移動していくソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」。異国の中で惹かれ合う様は影響下にあるように感じるけれど、こちらの方は見知らぬ国での孤独感が濃厚に描かれている。
ベルリン、パリ、ニューヨークと三都市を駆け巡るミカエル・アースの「サマーフィーリング」。こちらも想いを馳せながらズレていく様が強く印象に残る。
ビー・ガンの「ロング・デイズ・ナイト」の後半ロングショットのふたりが会話しながら歩き、ラストの大団円までの流れは通じるものがあると思う。
この三部作に一番近いのはデレク・シアンフランスの「ブルー・ヴァレンタイン」かも知れない。出会った時のときめきとダメな夫とのマンネリズムと倦怠感。ビフォア三部作が辛くもハッピーエンドにたどり着きつつも、こちらは辛辣なまま終わる。観るのは覚悟した方が良い。
あとはジュリー・デルピーが出ているキェシロフスキの「トリコロール白の愛」。セックス不能の夫を見限るパリジェンヌは本作に通じる感覚はある。

さて、2022年にビフォアシリーズの続きは描かれるのだろうか?




いいなと思ったら応援しよう!