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地球に落ちて来た男 The man who felt to earth/ニコラス・ローグとジム・オルークとデヴィッド・ボウイについて

ニコラス・ローグ

11月23日にイギリスの映画監督ニコラス・ローグが亡くなった。大ファンという訳ではないのだけれど、ニコラス・ローグの映画で僕が観たのはミック・ジャガー主演のパフォーマンス、アート・ガーファンクル主演のジェラシー(Bad Timing)、オーストラリアの自然が舞台のウォークアバウト、そしてデヴィッド・ボウイ主演の地球に落ちて来た男の四本。あとは撮影で参加したトリュフォーのSF作品の華氏451くらい。

どの映画も風変わりで、話も一筋縄では行かないものばかりで、独特の映像美が随所に現れるたびにはっとさせられる。

パフォーマンスでの脳を駆け巡る映像、ウォークアバウトでの車が爆破するシーンや幽玄な水泳のシーン、後半サスペンスへと切り替わる様がスリリングなジェラシーなど、どこか垢抜けなさはあるもののそれを超える描写が印象に残る。

ジム・オルーク

ジム・オルークがローグのファンで、幼い頃にパフォーマンスを観て衝撃を受けたとインタビューで語っていたのを以前どこかで読んだ。彼のアルバムでBad Timing(ジェラシー)、Eureka(錆びた黄金)、Insignificance(マリリンとアインシュタイン)とローグのタイトルを引用していることでも知られているので、それで映画を知った方も多いのではないだろうか。彼のアルバムThe Visitorは地球に落ちて来た男の中で主人公のトーマス・ジェローム・ニュートンがリリースしたレコードのタイトルからの引用である。(劇中レコード店でこのレコードを試聴するシーンの手前にボウイのYoung Americansが一瞬映る)。

デヴィッド・ボウイと地球に落ちて来た男

そしてデヴィッド・ボウイのキャリアの中でも彼の一番美しい容姿を捉えたのが、地球に落ちて来た男というカルトな一本。この映画の撮影から、その後に録音されたアルバムStation to stationの頃は食事もろくに取らず、コカインに溺れて体はやせ細り、オレンジと金髪がグラデーションしている髪型が強く印象に残る。この後のLowのジャケット含めボウイのアイコンとして使われている。ボウイ自身もこの映画の役どころからしばらく抜け出すことが出来ずStation to stationの歌詞にある通り、シン・ホワイト・デュークというキャラクターを生み出すことになるほど入れ込んでいた。

この映画はかなり厄介で、劇中に起こっている事についての説明もないため、観ていてもよくわからないところが多い。水が枯れ果てた星から来た宇宙人だというトーマス・ジェローム・ニュートンという人物の酔狂な想像の産物の話と取るか、宇宙人に起きた悲劇と取るか答えは曖昧なままで終わってしまう。勿論観客はエイリアンの姿や故郷の星を見せつけられているので、観ている方はエイリアンだと思いこむのだけれど…。しかし、後半の展開で本当に彼はエイリアンなのか?という疑問も頭を過ぎる。

トーマス・ジェローム・ニュートン以外の人物は年を取っているのにも関わらず(VHSで見ていた時には映像が粗くてこの辺りがよくわからなかった。メアリー・ルーの化粧がどんどん濃くなっていく。)、彼自身は変わらぬ容姿のまま酔いに任せて生きている。傍らにはビフィーターやゴードンのジンの瓶が並び、長い時間ベッドの中で過ごしているようにも見える。

宇宙旅行はどこに行ったのか?彼は何故監禁されているのか?何故レコードを出したのか?一切の説明が無く全てが現実なのか妄想なのかもよくわからない。この現実と虚構が入り混じっているような描き方はアンダー・ザ・シルバーレイクにも通じるものがあると思った。

サウンドトラック

この映画のサウンドトラックは当初ボウイが担当する予定だったものの、監督から却下され、その時に録音されたものはStation to stationとLowに流用されたと言われている。ひたすらテレビを見るシーンでTVC15が劇中に使われていたら少しは印象は変わったかもしれない。

最終的にママス&パパスのジョン・フィリップスがメインのスコアを担当し、ツトム・ヤマシタの楽曲も合わさりながら、ファンキーでサイケデリックかつカントリー色の強いアメリカーナな音楽が占めることになった。全体的に無機質な電子音ばかりで覆われていたら映画の評価も大きく変わっていたかもしれない。

ミケランジェロ・アントニオーニ

この映画を観ていて思い浮かべたのが、ミケランジェロ・アントニオーニ監督による欲望と砂丘の二本の映画。内容は全く異なるし直接関わりがないけれど、撮影したイギリスとアメリカという舞台が醸し出す雰囲気にどこか共通したものがあると思う。

アントニオーニの欲望は舞台のロンドンが醸し出すヨーロッパの雰囲気がありスタイリッシュなロケーションだったものの、砂丘でのアメリカの景色はアクが強くどこか野暮ったさがあり、同じ監督でもロケーションが違うだけでここまで異なるのかと強く感じた。

ニコラス・ローグで言えばイギリスが舞台のパフォーマンスと、アメリカが舞台の地球に落ちて来た男の違いが、アントニオーニの作品と重なり自分の中でフラッシュバックしていた。どちらの映画も場所が醸し出す雰囲気が大きく影響していたと思われる。


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