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凱里ブルース 路邊野餐/ビー・ガン

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タイトル:凱里ブルース 路邊野餐
監督:ビー・ガン

「ロング・デイズ・ジャーニー」でも感じていたけれど、本作のパンフレットの監督のインタビューでも語られている通りマジックリアリズムの映画でもあると思う。『あると思う』と言ったのは、「ロング・デイズ・ジャーニー」ほど明確に一線を超えた表現はなく、本作では主人公の意識の境界線が曖昧なまま進むからだった。日本のマジックリアリズム作家である村上春樹の小説を連想させるような「ロング・デイズ〜」に比べれば、あからさまな非現実な状態までは描かれないものの、本作も中盤から後半にかけての長いロングショットは夢見心地な状態へと観客を誘っていた。
結果的に「凱里ブルース」は「ロング・デイズ〜」のプロトタイプな作品とも言えるものの、荒々しい映像の中に湧き上がる浮遊感や、やたらと水が滴る部屋(甥っ子ウェイウェイが住む滝の真横にある部屋や、カードゲームが行われている部屋など)は、人が住んだりする場所には見えない非現実さがそこにはあった。それはそこに暮らす人々の経済状態を示しているのかもしれないけれど、それだけではない非日常の様子があったようにも思える。
観ていて感じたのは、カメラを通して映る映像がやたらと立体的に感じるシーンが所々にあった。老いた医者がお湯を注ぐシーンや、電車のシーンなどビー・ガンの眼(撮影監督かもしれないけれど)には常に立体的に映っているのかもしれない。「ロング・デイズ〜」が後半3Dになったのも、そもそもそういった立体的な視点で映画を捉えていたからこそ、ああいった描き方になったと考えると少し納得する。
ラストシーンの車窓の描き方は身震いがした。主人公チェンと、未来のウェイウェイと思われる青年がバイクに乗りながら、ウェイウェイが想いを馳せるヤンヤンが話していたという「時計の針を戻す」話とオーバーラップし、亡くなったチェンの妻のシーンが挟まれる事で、ロングショットの最中で起きている事が、過去と現在と未来が織り混ざった状態だったのが分かる。取り戻せない過去と、取り戻したい現在と、その先にあるものを通過した時、帰路の中で眠りにつく。知らず知らずのうちに一線を超えていたのが、ラストで分かるようになってる演出はにくい。この点はまさにマジックリアリズム的な表現だと思う。
やはりビー・ガンという人は一筋縄ではいかない監督なのを実感した。今後も目が離せない監督のひとりなのは間違いない。

そういえば途中、酒屋のシーンでビー・ガンっぽい人が映っていると思ったら、やはり監督本人だった。低予算ながらのこういった小ネタも観ていて面白い。




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