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マリッジ・ストーリー Marriage Story/ノア・バームバック Noah Baumbach

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ネットフリックスで配信が開始されたノア・バームバック監督のマリッジ・ストーリーを観た。

イカとクジラでは夫婦間のアンバランスさが描かれていたけれど、当事者というよりも子供から見た両親の不仲に近い視点で描かれていて、キャラクターと微妙な距離感があった印象があった。
マリッジ・ストーリーは夫婦間の只中で描かれていて、そこの距離感は全く別物に仕上がっていてよりリアルな当事者としての形が克明に記されている。そんな肌触りの映画だった。
冒頭の妻ニコール側から観た家族の幸せな一面は温かな気持ちにさせられながらも、認められた文章を読み上げるのを拒否する様子は自分の気持ちと相容れないものがあることが如実に表れている。
夫婦がいかにすれ違ってきたのかが語られながら、LAとNYという場所も文化も異なる壁がはだかって苦悶する様はお互いの在り方を求めた結果、物理的にも生じる距離が時間と金銭を蝕んでいく。

この映画が傑作だ!と感じられたのは、冒頭のニューヨークの自宅で泣くことも上手く出来ないと無感情を装ったニコールが、部屋に戻りながら涙を流すシーンだった。取り繕う夫婦間の感情と、すれ違いながらも自分を取り戻したい葛藤が少ない時間の中に凝縮されていて、このシーンを観てぐっと心を掴まれた。
弁護士を挟んでの対決のシーンでは、お互いの主張が誇張され思わぬ展開に進む中での、夫婦ふたりの気持ちと弁護士の主張から生まれる「こんなはずでは無かった」という感情が、両端からふたりの表情を通じて滑稽さを描いていた。ふたりだけだったら小競り合いだけだったものが、あたかも拡声器で罵り合うような弁護士のリベートはどこかそれでは無いという気持ちが強まった瞬間だったように思える。
その気持ちを抱えながらLAでチャーリーが借りたアパルトマンでの夫婦間の感情の吐露は、ラストのニコールの書き綴った文面へとつながっていて、物語に深みを与えている。ニコールの鬱憤を受け流していたと思われたチャーリーは、実のところそんな事はなくあくまでも夫婦間を取り持つために聞かない素振りを見せていただけなのがよくわかる。

ニコールはチャーリーを真逆な存在と書き綴っていたけれど、よく似た者同士というのが所々描かれている。実際の行動はほぼ同じことをしている。浮気についてもお互いの存在を確認するための行動であり、どこか自制が効いているのも共通している。だからこそお互いが振り回されていると感じているし、どこかお互いを思いやりながらも歯車が噛み合わず、すれ違いながらも絶対的な存在として成り立ってしまっている。ラストの靴紐を結ぶシーンはそれを端的に描いたシーンだったと思う。
秀逸なのは子供の描き方だったと思う。両親のエゴに振り回されながら、なんでこんなことするの?と不思議に思う子供をよそに、醜い様は見せないようにと取り繕っている。不安にさせまいと過剰に褒美を与えるニコールと、カッターでおった傷を見せまいとするチャーリーの姿はそういった子供への気遣いを描いていた。

今作はバームバックの最高傑作たと思うし、ネットフリックスの作品の中でも突出したものだと思う。舞台劇のような会話劇はこの人の真骨頂だと思う。NYとLAというウッディ・アレンのアニー・ホールを引用しながら(LAシンドローム)、ニューヨーカーの悲哀をベースに、LA出身の妻という他者を受け入れる部分を取り入れたバームバックの成長の記録でもあるような印象があった。

「Station to stationの頃のボウイ?」
「Let’s Danceよ」
のくだりがちゃんと翻訳されなかったのはどうかと思うけどね。


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