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【映画】ハッピーアワー/濱口竜介

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タイトル:ハッピーアワー 2015年
監督:濱口竜介

何より驚いたのが出演している俳優陣だった。鑑賞中はどこかで見たことがあるような気がするから、劇団辺りに所属していて映画なりテレビで見かけたんだろうと思っていた。観劇後にインタビューや資料を当たっていたら、ほとんどのキャストはプロの俳優ではなく、ワークショップに集まった他に本業を持つ人々と知って驚いた。監督のインタビューでカサヴェテスの名前が挙げれていたので、何を意図しているのかがよくわかる。最近ではクロエ・ジャオのように、全くの演技未経験の人を起用して映画を作る人も登場しているが、いかに自然かつ生々しさを映画に溶け込ませるかの方に重きを置いているようにも感じられる。濱口作品は映画の中へ自然に溶け込ませようとしながらも、それ以上に人間の中にある感情の生々しいものを引き出しているのは大きな違いと言える。特に主役の四人については、演技未経験を全く感じさせなかっただけに、監督の俳優のポテンシャルを引き出し方の凄さには感嘆するばかり。
思えば「寝ても覚めても」の唐田えりかの印象はそれとは真逆で、CMでの彼女の舌ったらずな雰囲気は鑑賞前までは「どうなんだろう?」と思っていたが、東北の堤防に一人たたずむ場面の表情の異形さは強く印象に残っている。「ドライブ・マイ・カー」での西島秀俊と岡田将生が対面で話すシーンなど、真正面を捉えた場面では非現実的で特別な空間が作り出される。本作「ハッピーアワー」でも真正面を捉えるシーンがそこかしこに用意されていた。ただ本作での真正面のシーンは、特別な空間を作り上げるというよりも、小津安二郎の映画で原節子が感情を吐露するシーンにあるような、少し浮わついた印象の表現に近いものを感じた。とはいえ、それが違和感を感じさせるかといえば、そうではなく物語のあるべき姿として組み込まれている。「ドライブ・マイ・カー」と合わせて見ることで両作の奥行きが増すのは、「ハッピーアワー」で撮影前に感情を抜いて台本の読み合わせを行なっていた事と、「ドライブ・マイ・カー」で劇中の演劇の読み合わせがオーバーラップさせている事だろう。「ハッピーアワー」で試みたことを、そのまま「ドライブ・マイ・カー」では劇中に盛り込まれ、完成までどのような経緯があったのかが手に取るようにわかるようになっている。作品のつながりという点では「寝ても覚めても」も「ハッピーアワー」とのつながりを感じさせる。「寝ても覚めても」は夫婦間の破綻が起きた後、受け入れがたい事象に対して違和感を持ちつつも、それでも共に歩むラストで終わった。一方「ハッピーアワー」では『破綻した/破綻しかけている/潜在的に破綻しかけている/破綻するまいと踏みとどまっている』四人の夫婦関係のその最中が描かれている。四人が抱えた夫婦観が雪崩のように崩れながら、解決するまでは描かれていない。あかりは新たな伴侶を希望する男性(演じるのは濱口監督)の存在をかき消すように、三人の男と一晩の情事を行う。子供を欲した純は身ごもりながら桜子の旦那やあかりの反発を知っていたかのように東北のシェルターへ蒸発する(フェリーのシーンはこの映画のピークを物語る。純と桜子の息子は現実には親子で、この辺りの演出はにくい)。芙美は旦那との距離感を感じ離婚に踏み切るものの、事故でお互いの存在を確認する(芙美の話が一番リアリティがあった)。そして実はこの映画の主人公ではないか?と思うのが桜子で、周囲の出来事に対して一番揺れ動いていたのが彼女だったように思える。家族の在り方を崩すまいと関係を保ちながら、周囲は変化していく。ユリイカ2018年9月号の、細馬宏通氏のコラム(ノイズの夢)で、フェリーのシーンは桜子の夢ではないかと書かれていて、確かに彼女が望むものが家庭という現実からの逃避と考えると、幾らか合点が行く(2枚組のブルーレイでは、眠っていた桜子が目覚めと共に見開いた目でこちらを見るショッキングなシーンで前半のディスクが終わる。本作で一番異形なシーンでありながら、彼女の力強い眼差しに決意と共にある種の生々しい恐怖を感じさせる)。桜子は「重点を聞く」ワークショップで知り合った男とセックスをする事で、夫婦間の破綻の先に純が囚われた結婚の契りの先に歩もうとする。桜子の息子についても、何も解決せずに終わっている(クラブで鵜飼に未成年でしょ?と詰問されていた)。5時間もの長い物語で彼女たちは、日常の中で埋没していった自己の精神性や肉体性を取り戻していく。しかし、映画は彼女たちのその後は描いていない。桜子の義母が話す「結婚とは進むも地獄、戻るも地獄」という人生の最中のまま終わる。こう書くとこれがバッドエンドの様に感じられるかもしれないけれど、暗闇の先に光明が見えた彼女たちの「幸せ」のかたちは記されて終わっている。長いトンネルから抜け出して、四人の姿が現れるオープニングのシーンですでに描かれている様に。

この作品は日本映画の中でも屈指の傑作だとは思う。しかし前半に比べると後半は少しだれてしまっていて(とはいえその2時間も長さを感じさせない)、前半にあったマジックが少し薄まってしまった様にも感じた(途中で予算が尽きたことも関係しているのかも)。後半の物語に若干蛇足な感も否めなかったけれど、ラストに至るにはそれらも不可欠なので削るわけにもいかないと思う。この辺りは、この先再見する度に印象は変わりそうな気もする。あとは「寝ても覚めても」もそうだったけれど、クラブのシーンはやめたほうが良い。大音量で会話もままならないクラブという場で、普通に会話しているだけで違和感しか覚えないし、全てがいただけない。単にバーで飲んでるくらいにしたほうが、まだ自然だったと思う。とはいえここでの会話は良かったのだけれど。


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