【映画】17歳の瞳に映る世界 Never Rarely Sometimes Always/エリザ・ヒットマン
タイトル:17歳の瞳に映る世界 Never Rarely Sometimes Always 2020年
監督:エリザ・ヒットマン
何度もクローズアップされる顔の表情や仕草で分かるように、主人公ふたりの身近に起きている出来事が彼女たちの視点を通して描かれていた。妊娠と中絶という現実への決断に対して、すんなりと解決できない社会との関わりの難しさを痛感させられる。
17歳という姿形は大人に近くとも、彼女たちの立場はまだ十代。しかしスーパーのレジ打ちのバイトの最中でも、会計時に誘惑してくる年かさの男性や、職場の上司の異様な行動や言動から、彼女たちが性的な目に常にさらされている事に気付かされる。冒頭の学校の催しで”メス犬”と同級生からヤジを飛ばされた後に、義父(劇中は分からなかったけどパンフレットに書かれていた。この辺りの両親との関係性がこの物語の根幹にあるように思える)も”メス犬”という言葉を使っているように、家庭の中にも女性軽視な価値観が入り込んでしまっている。劇中一度だけ母親に電話するが、何も話さずに切ってしまうのは頼るべき家族に助けを求めても救いがない家庭環境が重くのしかかっているように思える。
邦題の「17歳の瞳に映る世界」というタイトルが示すように、彼女たちが見るNYの町並みは煌びやかな観光地の光景ではなく、ごちゃごちゃしてスーツケースを引くには歩きにくい雑踏でしかない。邦題は映画の世界を端的に表しているとは思うのだけれど、やはり原題の「Never(全くない)Rarely(めったにない) Sometimes(時々ある) Always(いつもある) 」が意味するものが映画中盤でわかった時、映画の表情が一変する。主人公オータムが抱えていた問題は、望まぬ妊娠というだけでなく、無理強いされてセックスした結果妊娠してしまった事がこのシーンから見えてくる。どのようにしてそこに至ったのかは描かれていないが、冒頭の”メス犬”というヤジがある通り、周りの男の子たちにとってセックスはあくまでも脱童貞などの通過儀礼や、快楽を求めるゲームのような感覚でしか無いように思える。結果的に負担がしわ寄せになるのは女性だけで、妊娠させた男が責任をとるわけでも無い。自分のお腹を痣ができるくらい殴って中絶させようとする行動も、そう考えると合点が行く。「(もし自分が)男だったらと思う?」というセリフがあったように、女性が背負わされる負担の大きさから常に逃れたいと求める姿は、後半に進むにつれてその本当の意味が露わになってくる。ラストのオータムの安寧な表情はこみ上げるものがあった。
USインディーファンとしては、母親役を演じたシャロン・ヴァン・エッテンの曲がエンドロールで使われていて、ジュリア・ホルターがスコアを担当している所もポイント。劇中二回出てくるオータム役のシドニー・フラニガンの歌声も良く、エッテンやホルターとの共演が出来たらいいな、なんて思ってしまう。
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