【映画】ミナリ Minari/リー・アイザック・チョン
タイトル:ミナリ Minari
監督:リー・アイザック・チョン
あぁ、また聖書引用ものか…。
韓国からアメリカに移民した家族の感動的なドラマと思いきや、キリスト教と聖書引用が根底にある。ジェイコブ、デヴィッドという名前と、ポールが十字架を背負って歩いているシーンを観れば一目瞭然なのだけど…(パンフレットには一切書かれていない。何故だ?)。
何故主人公たちが韓国からの移民で、韓国語を話す人々を描いた映画がアメリカ、特にロットントマトなどで支持されているのかが観る前までは謎に思っていた。観終わってから感じたのは、聖書引用することで物語に既視感が生まれ、元々生活圏が大きく異なるアジアの人々の話でも入り込める「糊付け」として機能してるという事だった。アーカンソーがバイブルベルトに位置している事も舞台を考える上でかなり重要で、韓国はよく知られる様にキリスト教徒の割合が人口の三割と多い。さらにバイブルベルトと同様に韓国キリスト教も少なからず福音派が占めている。
キリストのタペストリーを飾っていながら、八角形の鏡があるように風水などアジアのカルチャーも折衷されている。
朝鮮戦争の爪痕も物語の上で時代背景として登場する。1950〜1953年の間に起こったこの戦争は、ソ連とアメリカの冷戦初期にあたり、朝鮮半島を舞台にこの二国間の戦争でもあった。ポールが朝鮮戦争に出兵した過去と、ジェイコブら韓国出身の彼らのバックグラウンド劇中は舞台となる80年代前半でも影を落としている。韓国からアメリカへの移民が年間3万人いたという台詞があったように、戦後の韓国国内の軍事政権や不況から逃れようとして、アメリカへ移民するという流れがこの時代でも続いているのがわかる。「キムジョンギリア」というドキュメンタリーで簡単に時系列がまとめられているので、そちらも参照していただきたい。
表面的には移民した家族と、おばあちゃんのドラマに見えるのだけれど、宗教観と朝鮮戦争の爪痕が色濃く出ている映画なので、そのバックグラウンドが見えてこないと違和感を感じると思う。
劇中で出ていた韓国文化がもう一つある。「はちどり」のキム・ボラ監督の「リコーダーのテスト」でも描かれていた、悪いことをした罰として両手を上げさせ、手を棒で打つ体罰がここでも登場する。アメリカが舞台でありながらも韓国の家父長制度が登場している。
聖書引用については町山智浩さんの映画ムダ話で詳しく語られているので、そちらを参照していただきたい。有料ですけど聞いて損はない内容です。
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