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去年マリエンバードで L'Année dernière à Marienbad/アラン・レネ

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タイトル:去年マリエンバードで 
L'Année dernière à Marienbad 1961年
監督:アラン・レネ
脚本:アラン・ロブ=グリエ

彫像のように微動だにしない不動の人々の間を抜ける。途端に人々は動き出し各々の世界に散り散りになる。
観ていても終始掴みどころがなく、延々と語られる名のない男のモノローグが同じような内容で繰り返される。見方を変えればループものの映画とも言える。シーンの切り替えごとに名のない既婚女性はシャネルのドレスが変わる。名のない男と、名のない既婚女性と、名のないその夫の視点による過去が描かれるものの、それがいつの過去なのか判別つきにくい。いくつかの場所が舞台になっているものの、時間軸が時系列に並んではいない。名のない男は去年女と出会い一年後に駆け落ちする約束をしていたのに、女は「覚えていない」と捨て吐く。一年前に会った場所ですら二人とも曖昧なまま。

フレデリクスバード
カールシュタット
マリエンバード
バーデン・サルサと出会ったと思わしき場所を羅列しながらも、そこではないのかもしれないと告げる。変わらずそこにあるのは、3人と印象的な中庭とホテルの外観だけ。

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ストーリーを追うと、混乱するばかりで一体ふたりの間にあるズレはなんなんだろうと思うばかり。とくに説明もないため何が起きているのかいまいち判別がつかない。
ただし、冒頭のモノローグを読むと男が考えていることが繰り返しの中で徐々に変化しているのが分かる。

静かな部屋で足音は熱い絨毯に吸い取られ
歩く当人でさえも何も聞こえない。
まるで耳自体が廊下をずっと歩いていけば
古い時代の建物の広間や回廊をよぎる
バロック風の巨大なホテルの廊下は
果てしなく続く
無人で静かで 冷たい装飾が
過剰で化粧漆喰や
くり型の鏡版
大理石
黒ガラス
黒っぽい絵
円柱
縁取り彫刻のある一連の扉
一連の回廊 交差する廊下
廊下は無人の広間に通じる
広間は古い時代の装飾過多

静かな部屋で足音は熱い絨毯に吸い取られ…

まるで床が砂か砂利か
敷石であるかのように
その上を私は歩いてきた
廊下を歩き この建物の
広間や回廊を通り抜け
バロック風の巨大で
不気味なこのホテルの
廊下は果てしなく続く

静かな部屋で足音は熱い絨毯に吸い取られ
歩く当人でさえも何も聞こえない
まるで耳自体が廊下をずっと歩いていけば
古い時代の建物の広間や回廊をよぎる…..

大理石
黒ガラス
黒っぽい絵
円柱
縁取り彫刻のある一連の扉
一連の回廊 交差する廊下
廊下は無人の広間に通じる
広間は古い時代の装飾過多
静かな部屋で足音は熱い絨毯に吸い取られ
歩く当人でさえも何も聞こえない
まるで耳自体が….

その敷石 その上を私は
再び歩いてきた
廊下を歩き続け
古い時代の建物の広間や回廊をよぎる
バロック風の巨大で
不気味なこのホテルの
廊下は果てしなく続く
無人で静かで 冷たい装飾が
過剰で化粧漆喰や
くり型の鏡版
大理石
黒ガラス
黒っぽい絵
円柱
縁取り彫刻のある一連の扉
一連の回廊 交差する廊下
廊下は無人の広間に通じる
広間は古い時代の装飾過多….

黒っぽい絵
円柱
縁取り彫刻のある一連の扉
一連の回廊 交差する廊下
廊下は無人の広間に通じる
広間は古い時代の装飾過多….
静かな部屋で足音は熱い絨毯に吸い取られ
歩く当人でさえも何も聞こえない。
まるで耳自体が地面や敷物から遠く離れ
この無人の舞台から遠く離れ
天井の下の帯状装飾から
昔の葉飾りのような帯状装飾から遠く離れ
まるで床が砂か砂利か
敷石であるかのように
その上を私は歩いてきた
あなたに会うため
装飾過多な壁の間を
漆喰やくり型の間を
絵や額入りの版画の間を
私は歩いてきた
そうした装飾の間で
私自身も すでに
あなたを待っていた
この舞台から離れたところで….

ここであなたも
もう決して来ない人を
待っている
もう来る恐れはないのに
あなたを私から奪いはしない
行きましょう

同じ場所をぐるぐる回っているようで、微妙な変化がある。男の頭の中で逡巡する想いが自己完結する形で進んでいく。ホテルと思わしき建物にいる人々の様子や、建物の静けさや、ロココ調の装飾が言葉で綴られている。映画の中で映し出される様子がくどいほど繰り返される。

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さらに舞台にいる男の台詞は3人の様子を切り取ったような内容で、その後の結末を暗示させる。

永遠に無感動な過去の中で
これらの石の彫刻のように
このホテルも同じ
どこも空室 人々は不動
無言で
ずいぶん前に死んだ人々が
私があなたに会うため歩いた
廊下の角で見張りに立つ
不動で凍結した 冷淡な顔の
列と列の間を私は歩いた
ためらうあなたに会うため….
庭の入り口を見やるあなたに…

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昨年の夏の出来事のはずが、まるで冬の出来事のように語られるシーンがあり、女が会ったのは夏でしょと伝える。その前には男が「29年の夏は1週間 氷点下に冷え込んだ」という台詞を交えている。男が追い求める過去は、どうにも整合性がなくばらばら。男は別の人間から「想像力が過剰」とまでいわれる始末。

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この映画のベースになったのは、黒澤明による芥川龍之介の「羅生門」とアドルフォ・ビオイ=カサーレスの「モレルの発明」だったらしい。

南米のラテン幻想文学やマジックリアリズム、芥川の視点が移ろう話はこの映画の表面的な不確かさに宿っている。その後のミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」(原作はアルゼンチンの南米幻想文学のフリオ・コルタサルの「悪魔の涎」)などに連なる、不条理の世界の起点として存在する映画とも言える。建物や人物が豪奢なため、その後の不条理の映画と比べると無機質な感じというよりも、不動の人々含め豪華絢爛なインテリアの一部のような雰囲気が漂う。

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ラストで幽霊のように佇む男の姿を見るに、どうにも生きた人間というよりも佇まいそのもののような幽霊のような現実味のない人物像に、死後の世界のようにも感じられる。思いを馳せた女に対する情念から、自分の思い描いた世界へと変貌する様がループしながら変わりゆく様がこの映画の描いたものなのかなと、振り返ってみると思わされる。

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ストーリーを理屈で追うよりも、シャネルが手掛けた絢爛の衣装と、人物以上に雄弁に語る建物の美しさに酔いしれるのがひとつの正しい見方なのかもしれない。そして、洗練されたカメラワークの美しさも特筆する部分だと思う。
シャイニングを想起させる廊下の果てしないスケール感と、雨宮ハルヒのエンドレスエイトにも通じる繰り返しの中の絶望と、その先にある一筋の光があの建物の中で描かれる体験がこの映画の全てだと言えるのではないだろうか?


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