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アカ・セカ・トリオ Aca Seca Trio 来日公演 渋谷WWW 2019 8/28

アルゼンチンのアカ・セカ・トリオの来日公演に行ってきた。初来日公演以来3年ぶりの公演で、改めて3人が合わさるアンサンブルの凄さを堪能してきた。
とにかく音の大きいマリアーノ・カンテーロのドラムに圧倒された。元プエンテ・セレステのアンチアゴ・バスケスにも通じるパーカッションとドラムセットが合わさったような独特のセットで、スティックとブラシ、手、金物を叩く鉄棒とあらゆるものを使いながら、ジャズドラマとパーカッションのハイブリッドな演奏をしながら歌うという驚異的なスキルは凄いとしか言えない…。スタイルとしてはアイルト・モレイラにも近いのかなと思った。
ファン・キンテーロの歌とギターも圧巻で、特にハイトーンでの歌声は心をぐーっと締め付けられる。ギターは繊細な音からワイルドなカッティングまでと、アンサンブルに埋もれず速いパッセージのフレーズも息のあった演奏が凄まじい。途中演奏が始まったあとストップをかけるも他の2人が全く見ていなくてそのまま進むという微笑ましいシーンもあった。相変わらずどの様にアンサンブルが構築されているのかよく分からない状態だった。あれどうなってるんだ?
ソロとは違い控えめながら、バンドのアンサンブルに彩りを与えるアンドレス・ベエウサエルトのクラシックやジャズを感じさせるピアノも鮮やかなタッチ。ベースレスな編成のためか、ピアノの上に2オクターブの小型MIDI鍵盤でベースラインを奏でていた。MacBook AirにはGarageBandらしきアプリが立ち上がっていたので、そこから音源を鳴らしていたと思われる。サウンドファイルのプレビューも見えたので、SE的に音が足されていたようだった。

アカ・セカ・トリオはクラシックとアルゼンチンのフォークロアがベースにありながら、パット・メセニー・グループなどのECMやブラジルのミナスに近い清涼感のあるバンドだと思うのだけれど、単純に割り切れない所に引き出しの多さと、懐の深さを感じる。小さい音から力強い音までダイナミクスの幅の広さと、ジャズマンのような身体能力と反射神経の高さに、このバンドが高いアビリティを持ちながらもテクニックをひけらかさずに全体で演奏を押し上げる一体感が持ち味なのでは無いかと思う。なによりも3人ともしっかり歌えるというのがこのバンドの特異性なのではないか。

ライブの選曲はオールタイムベスト的なラインナップで、アルバムそれぞれの一曲目やMaricón、Hurryなどの定番どころが演奏されていたのだけれど、エドゥアルド・マテオのEsa Tristeza(アンドレスとマリアーノのヘイ!という掛け声が胸アツ!)、フスティニアノ・トレス・アパリシオのClavelito Blancoのプログレ顔負けな怒涛の演奏が最高潮の盛り上がりを見せていた。この二曲が終わった時に拍手が鳴り止まず、3人がその間ずっと観客の方をじっくりと眺めていたのも印象的だった。

アンコールではPAを使わず、サプライズとしてリハーモナイズされた故郷のカバーを日本語詞で披露。個人的にこういった企画色の強いものは興醒めする事が多いのだけれど、透明感のあるハーモニーと、アンドレスの不協和音を織り込んだピアノのリハモされた和音に彼らの「ネオフォークロア」という立場をまざまざと感じさせられた。楽曲を洗練させるインタープリターとしてのアカ・セカ・トリオというバンドの本領が発揮された場面として強く印象に残った。アンコールのその他の曲は初来日の時と同じものだったけれど、PAを通さずアンプリファイドされない生の歌に心が洗われた人も多かったのではないか。各曲が短いことと1時間半という決して長くはない時間だったものの、濃密な時間を過ごすことができた。

惜しむらくはアルバムVentanasからの曲をもっとやって欲しかったというのは前回同様。タイトル曲Ventanasや、ECMや現代ジャズに通じるLa Manãnaや、ミナスっぽいPasan、エドゥアルド・カルドーゾのChiquitaなども聴きたかった。

ライブ後のサイン会も盛況でした。前回もらったので今回はパスしました。

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