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【映画】牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day/エドワード・ヤン

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タイトル:牯嶺街少年殺人事件  A Brighter Summer Day 1991年
監督:エドワード・ヤン

観よう観ようと思いながら、パソコンの画面に映る4時間弱という残り時間を見る度に後退りし、そのまま先送りする日々…。そもそもリバイバル上映の時に時間が合わず、タイミングを逸してしまったのもあって、この手の映画は無理にでも映画観に行くべきだったなと。そんなこんなでやっと観終えた。
さりげなく洗練されたカメラワークの凄さと完璧な構図。流れる様なカメラの動きは、中心にいたキャラクターから別のキャラクターへとするりとひたすら感情やドラマチックさを排除した物語が延々と続く。舞台や時代背景の説明もあまり無く、登場人物の置かれた状況もそれぞれの関わり合いから探るしかなくて、とにかく情報が削られている。台湾ニューシネマの最高傑作というのも納得出来るくらい作り込まれている。エドワード・ヤンらしい世知辛い話かつ、子供のギャングという点では「シティ・オブ・ゴッド」の様でもある。

一見青春映画の様で有りながら、1961年に起きた事件をベースにしているのだけれど、中国と台湾、そして冷戦時代のアメリカの関わりが映画のバックグラウンドになっている。中国本土の中国国民党と共産党の対立から、国民党の人々が台湾へ逃亡し台湾を制圧した後の時代が映画の舞台となっている。
主人公の家族や学校、その周辺の人々は外省人と呼ばれる中国本土から移り住み、元々台湾で暮らしていた本省人を抑圧していた(映画では主に外省人同士の争いが描かれている)。そして第二次大戦中は日本が支配していた名残も、劇中の日本家屋や日本刀、女性たちが戦時中に自死するために用意された短刀などに現れている。冷戦が表面化した朝鮮戦争の重要な拠点として台湾をアメリカが支援した事も、この国をより一層捩れさせる要因となっている。
この頃の戦後の時代の日本やドイツと同じように、台湾でもアメリカの文化が大量に雪崩れ込んだ事が分かるのが、コンサートシーンで映画の洋題となったプレスリーの曲や、ビートルズ以前のアメリカンカルチャーの一端が映画の中に差し込まれている。後にジョン・レノンがフィル・スペクターのプロデュースでカバーした「Angel Baby」など、アメリカのオールディーズがほぼリアルタイムで(脚色はあるだろうけど)台湾に入っていた事が窺える。

日本に限らずアメリカのカルチャーが、戦後の世界を席巻したのは、こういう時代の風景(の再現)でもこれでもかというくらい表面化している。現在の台湾をみれば、こういった他国の干渉による捩れの中で発展した国ではあるものの、リベラルな在り方は感嘆するしかない。東京オリンピックの開会式で台湾の置かれた位置が話題になる様に、中国と台湾の関係は未だに解消はされていない。けれど国に対しての先々のヴィジョンは、日本よりも進んでいるだろうし、柔軟さも感じられる。台湾の姿を見る度に、情けないくらい国の在り方を考えさせられる。

牯嶺街少年殺人事件の副読書としては、この論文が一番的を得ているので映画を観た人は是非読んで欲しい。アメリカのスパイとして雇われたヘミングウェイとその時の妻マーサ・ゲルホーンの中国訪問記を軸に、アメリカと中国の関係が分かりやすく記されている。

かなり分かりにくい映画ではあるが、スコセッシが音頭を取ったクライテリオンのリイシューがある様に、映画史に残る傑作であり、アジア圏の歴史を紐解くには格好の作品でもあるので、バックグラウンドを理解しながら観ると戦後のアジアの姿が浮かび上がる内容でもある。長軸の映画の単調さにつまらないと断定する前に歴史と共に観ることで、奥深さも感じられるのが本作の醍醐味なのでは無いかと感じられる。



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