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【映画】デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム Bowie Moonage Daydream/ブレット・モーゲン


タイトル:デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム Bowie Moonage Daydream 2022年
監督:ブレット・モーゲン

上のアメリカ版トレイラーを貼り付けて気づいたのだけど、この映画の世界配給はユニバーサルでアメリカ国内はNEON。NEONは映画館アラモ・ドラフトハウス・シネマやポスターやサントラをリリースするレーベルMONDOの設立者による配給会社で、アメリカ国内のインディペンデント映画配給としてはA24と双璧の存在。ポン・ジュノのパラサイトやセリーヌシアマの燃ゆる女の肖像のような非英語圏の映画を配給している。世界配給されながらも、NEONの様な尖った独立系の配給会社で取り扱われている事から、アメリカ国内のこの映画の立ち位置が見えてくる。

監督の上映前舞台挨拶付きのIMAXでの先行上映で鑑賞。監督のインタビューで語られていた「トーキングヘッズ映画にはしたくなかった(バンドではなく第三者が出てきて顔だけ出て語るという意味)」という言葉通り、ほぼボウイのインタビュー映像や音声で綴られる。勿論、全編に渡ってボウイの音楽が長いキャリアの中から抜粋して取り上げられるのだけれど、それ以上にボウイの言葉が洪水の様に追うのも大変なくらいスピーディに繰り出される。ある程度キャリアを網羅する内容にはなっているものの、どちらかといえば彼の死生観や人生観がつづられていた。統合失調症により自殺した兄の影や両親の事、変化を続けた事、その先にあった違う分野でのキャリア、大ブレイクした後の満たされた時期に訪れた葛藤、イマンとの結婚…。キャリアの転換期に彼がどの様に想いながら変化を続けていたのかが中心になっているので、流れる曲もそれらに沿って選ばれている。全体の半分以上が貪欲にならざるを得なかった輝かしい70年代を軸に描かれるのは当然だとしても、80年代の虚無感や、新婚生活の始まりから人生に彩りが添えられた90年代の心のうちをボウイの哲学と共に語られていた。

幾度か出てきた言葉で印象的だったのが「カオス」についてで、世界が安住を求める代わりに「カオス」を切り捨ててしまったのは間違いだと語っている。ジギーからシンホワイトデュークへのペルソナの変化や、ニコラスローグや大島渚らの映画作品の主演や、ブロードウェイのエレファントマンなど他分野への挑戦、ビデオやインターネットなど新しいメディアへの取り組みなど、ルーティンなサイクルからはみ出す「カオス」へと常に足を踏み入れ、自分にとって常に新しいものを追い求め日々を無駄に過ごしたくないという彼の姿勢が汲み取れる。観客が好むものを追い求めず、自分が良いと思ったものを発信し続けるという姿勢が、時に時代を超越した鮮やかさに包まれた作品を放ちながらも、30代、40代とミドルエイジクライシスに直面した彼の実直な言葉が添えられる。とてもじゃないが、初見で全てを飲み込むのが不可能なくらい言葉に溢れていて、理解するのもやっとなくらいだった。
そしてボウイの映像と共に彼が影響を受けた映画や人物の映像もインサートされる。メリエス、フリッツ・ラング、ケネスアンガーらの映画や、バロウズ、ケルアック、アレイスター・クロウリーなどの人物、フランシス・ベーコン、リヒターなどのモダンアートなど枚挙に遑がない。
(ボウイと関わった人々の中にはロミ・ハーグの姿も)

ファンとしても見どころだったのは、ジギー時代のフェアウェルコンサートの映像でオミットされていたジェフ・ベックとの共演がクリアな映像で取り上げられていた事や、ライブアルバム「ステージ」のもとになったワールドツアー「アイソラーII」の映像などがインサートされていた。特に「アイソラーII」は70年代のボウイの集大成でもあり、選曲も素晴らしいので映像作品として今後是非ともオフィシャルでリリースして欲しい。一方でシンホワイトデュークの頃の「アイソラーI」はブートで出回っている程度の映像しか映らなかったので、ちゃんとしたものが残っていないのが残念でもあった。

映画の中では登場しなかったが、僕が10代の頃に観たボウイのインタビューで印象に残る言葉があった。

最終的な目標やイメージなどは、全く持っていなかったし必要なかった。大事だったのは今までと違う現実に漕ぎ出す事。自分の出発した場所から遠く離れることだった。

常にカオスと変化を追い求めたボウイのこの言葉を、映画を通して触れた言葉たちと、ゴールを決めず混沌の最中に身を投じるボウイの足跡を振り返ると、常に革新を求め死の間際まで変容し続けた彼の人生観に圧倒される。


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