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【映画】パリ・テキサス Paris,Texas/ヴィム・ヴェンダース

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タイトル:パリ・テキサス Paris,Texas 1984年
監督:ヴィム・ヴェンダース

最近ツイッターで個々人の投票による映画ランキングで盛り上がっていたけれど(投票を募っているのを全く知らず、参加できなかった)、映画好きなら一位はともかく好きな作品は何本かすらすら出てくると思う。まあ映画にしろ音楽にしろ、過剰なくらい触れていると自分の好みがよく分からなくなってくる事もあるけれど、それでも強く印象に残るものはある程度絞られてくるはず。僕はと言えば、タルコフスキーの「惑星ソラリス」やリンチの「マルホランド・ドライブ」、カラックスの「ポンヌフの恋人」、ドランの「わたしはロランス」、ビー・ガンの「ロング・デイズ・ジャーニー・イントゥー・ザ・ナイト」などある種の喪失をテーマにしたものが強く心の中に残っている。映画としての完成度よりも、歪な人間関係の中で上手くいかなかった人生への後悔と、至る事のない修復の狭間を描く映画に強く惹かれるているのが、好きなものを並べていくとよく分かる。映画の造りで言うと例えばウェルズの「市民ケーン」やキューブリックの「2001年宇宙の旅」、「時計仕掛けのオレンジ」、タチの「プレイタイム」、レネの「去年マリエンバードで」、川島の「幕末太陽傳」など圧倒されるものも当然好きは好きなんだけれど、ランキングに入れるとなると少しばかり下の方になるかなと思う。
好きな映画については僕の中で一位は常に決まっていて、それはヴェンダースの「パリ・テキサス」である。個人的にはこれほどまでに完璧な映画は他に無いと思うし、初めて観た18歳の頃からこの位置は変わらない。いささか単調で体調によっては眠くはなる長さかも知れないけれど、映画のもつマジカルなものが目一杯詰め込まれてる。特に長回しを編集して作り上げられたトラヴィスとジェーンの会話劇の、徐々に変化していく様は久しぶりに見返しても感動は薄れる事がない。名脇役として知られたハリー・ディーン・スタントンの淡々とした演技と、感情が滲み出てくるナスターシャ・キンスキーの表情を捉えたこの場面の異様さと、映画的な強さはいささかファンタジックではありながらも、鏡一枚隔てた触れる事が出来ない距離感がこの映画の全てを表している。
ブルーレイやDVDのボーナスに収録されているカットされた未公開部分を観ると、詩的な映像部分がカットされていて、説明的な箇所もオミットされているのがよくわかる。横たわったジェーンの表情のカットインや、トラヴィスとウォルトの会話、ハンターへタープレコーダーを渡すシーン、ジョン・ルーリー演じるきな臭い男のハーモニカのシーンなど何故削ったのか不思議なくらい印象に残るものも多い。けれど、これらが入っていたら本編のドライさは損なわれるかもしれないし、印象はかなり変わってくる様に感じられる。頭の中で残っていたほどアメリカの風景は登場しないし、必要最低限な表現だけで物語が紡がれている。世にあまたあるディレクターズカットがこの映画では存在しないように、ヴェンダースはこのバランスを崩す必要が無いと感じているのではと思う。長い年月をかけた「夢の涯てまでも」が長尺版のディレクターズカットがあるのとは対照的だと思う。これ以上付け加えると、冗長で映画のバランスが崩れていく可能性の方が大きい。このドライさが、この映画の魅力だと思う。
こういったヴェンダースの代表作が、作品の間に軽く撮られたというのも面白い。元々コッポラが総指揮を務めた「ハメット」や、「夢の涯てまでも」といった映画の副産物として「パリ・テキサス」と「ベルリン・天使の詩」が作られていた。サム・シェパードの「モーテル・クロニクルズ」という短編集が元になっているけれど、戦後のカウンターカルチャー世代としてはケルアックの「路上」などビートニクの影響も色濃い。東から西へと移動する「路上」に比べれば、移動距離は少ないけれど異邦人から観たアメリカの原風景と共に、アメリカであってアメリカでは無い景色の切り取られ方はファンタジーでもある。
「パリ・テキサス」を撮影する前に写真に収めた写真集「Written in the West. Revisited: Ueberarbeitete Neuauflage」や「モーテル・クロニクルズ」に触れるとこの映画の奥行きが変わってくるので、この2冊は目を通していただきたい。
あとニュージャーマンシネマと言われたそれまでのヴェンダース作品との違いは音楽の扱い方だと思う。「都会のアリス」や「アメリカの友人」、「まわり道」などがヨーロッパ的な重苦しい音楽が扱われていたのに対して、ライ・クーダーが奏でるワイゼンボーンのスライドギターによる乾いたアメリカの音楽が映画をより洗練させている。当初はディランを起用するはずだったが、予算が尽きた事でライ・クーダーに変更されたのは結果的に良かったと思う。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「Dark was the night」の改題はとてもマッチしている。


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