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【映画】ウォールデン Walden/ジョナス・メカス


タイトル:ウォールデン Walden 1969年
監督:ジョナス・メカス

ズームした画が手ブレで激しく揺れながら早回しの映像が映し出される。ボレックスの16mmフィルムカメラで映し出される映像は、一見粗雑なホームムービーの様だが、単なる日常の記録とは違う。日記映画という体裁で作られた本作「ウォールデン」は、1964年から1969年までの日々の記録を順に紡いでいる。音と映像はシンクロせず、ズレたまま早回しなどの映像が音の上にイメージを散りばめていく。映像は忙しなく動き、時に音とシンクロしている様に見せかけて、どんどんズレていくが、浮き上がるイメージは浮世離れしたものではない。日常のドキュメンタリーでありながら、アヴァンギャルドな印象を受けるが、実のところ音や話される言葉を追っていくと、それらがストレートな表現に収まっている。
一方で、終始ノイズが垂れ流される場面では、日常がアンプリファイドされた暴力的な音に支配される。

同時代に登場したケネス・アンガーや、劇中にも登場するヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコと同じ遺伝子で出来ていると感じた。アンガーのように、フェティッシュやゴシックな色合いはメカスには無いが、映画のベクトルは近いものがある。そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドが持つ、オルタナティブ性とも近似した感性が同じ時代の同じ場所で登場したのは、時代の因果なのか?リール2からリール3への場面で挿入される音楽は、「Scenes of the Life Of Andy Warhol」で使われたものを早回ししたもの。まるでノイ!やファウストがやりそうなクラウトロック調(彼らもまたヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けている)のミニマルなロックは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのものなのか判別付かないが、早回しで送り出されるサウンドはテクノやポストロックのようにも聴こえるのが面白い。

60年代のファクトリーやフルクサス周辺の人々、ライブハウス”ドム”でのウォーホールやイーディ・セジウィック、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらの姿や、ジョー・ダレッサンドロ、ジョージ・マチューナス、アレン・ギンズバーグにカール・ドライヤーまで登場する。ラストではジョン・レノンとオノ・ヨーコの有名なベッドインなど、60年代後半のニューヨークカルチャー周辺の人々がフィルムに記録される。

映し出されるニューヨークの街並みは、まるでソール・ライターがカメラに収めた風景の様でもある。ニューヨークの文化的遺伝子が、メカスのファインダー越しにシンクロニシティで繋がり合う。早回しやノイズはデヴィッド・リンチの登場を先取りしているが、アヴァンギャルドというにはインティメイトな雰囲気もある。

後年メカスは”フローズンフィルム”の名の下に数コマをプリントした作品を作っていたが、彼の映像の中にある動きは、ひとコマのスチールでは捉えきれない。スクリーンショットを撮ってみると分かるが、映像が紡ぎ出す躍動感は連続したショットの中で本領発揮する。だからこそ、複数のコマに渡ってプリントに起こしたのではないだろうか。

一見プリミティブでローファイなものの様に見えるが、そういったフェティッシュなものというよりも、オルタナティブな映像表現の中でささやかな日常を描いた作品なのだと思う。

皆さんにはこの映像をただ見つめてほしい。特に何も起きない。映像は流れ、そこには悲劇もドラマもサスペンスもない。単なるイメージ。私自身と、その他の少人数のためのもの。見る必要の無い人もいる。見なくたっていい。しかし見るべきだと思ったら、座って映像を見つめればいい。私が分かるのは、人生が続いていくように、映画も長くはそこに存在しないということだ。

http://www.imageforum.co.jp/walden/

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