久しぶりに感じた自分の「好きなこと」について。

突然だが、Twitterなどでは言い切れない最近の思いをここにつづってみようと思う。あくまで私の主観で話すので、そんなことなくないか?とか思ってもスルーしていただきく思う。あくまで私の”自己満”である。

さて、その自己満について、私は観劇が好きだ。芝居を劇場で見るのがとても好きだ。だからといってめちゃくちゃいろんな作品を見ているかというと、そうでもないと思う。見に行く芝居にはもちろんお目当ての人がいて、役者さんだったり、脚本書かれてる人だったり、いろいろだ。(主には役者さん目当てだが、、、)

このご時世、コロナが流行ってから、劇場で観劇できる機会が一気に減った。減ったとういより、無くなった。3月、私が楽しみにしていたミュージカルもなくなった。正確には延期だが。人が密集する場所、劇場、ライブハウス、そういった場所でエンターテインメントをするのが一気に”自粛”という名の禁止。”自粛”という言葉は便利だなと皮肉を言ったとしても、当時、未知の病気の前では仕方のないことなのはわかる。だとしてもそのエンターテインメントを生きがいにしてきたもんだから、私としては悲しみが募るばかりだった。

好きなお芝居を劇場で見られない、ライブにも行けない。

そんな中、インターネットで配信をしてライブをしたり、ZOOMなどを駆使してその中で芝居を作っている人たちを見て、感動した。どんな形でも表現しようと動いてくれる方々、こんな風にエンターテインメントも変わっていくのか。画面越しとは言え、ライブをしてくれたり、お芝居をしてる姿はそれはそれで新鮮で家でゆっくり見れるのはいいかもしれない。そう思った。私の好きなアイドルが言っていた、

「今のご時世でもやれることはやっていかないと、立ち止まるわけにはいかないからね。」

それを聞いたときそうだよな、何もしないわけにはいかないもんなと純粋にみんな何とか形にしようと必死なのは伝わったきた。

これはほんと個人的なことで申し訳ないが、私の仕事はコロナの影響を多少受けたものの、コロナのせいで忙しくなってしまい、休みは減り、逆にそういった配信を見る機会が一気に減ってしまっていた。ありがたいことに、毎月が繁忙期だ。配信のタイミングに都合が合わない。当時、ライブや芝居があるといえば、「お!行ってきなよ!」と普段なら快くいってくれる同僚たちだが、今回ばかりは言い出せなかった。(現にそんな事言ってる暇も余裕もなかったのもある)

みんながネットでうまく頑張ってくれているのに、私は、見れない日々が続いた。夏になったあたり、だいぶコロナが落ち着いてきたとき、Twitterである舞台の情報を知る。

かがみの孤城

サンシャイン劇場で8月の終わりから始まる舞台。いろんなとこで劇場で客を入れて芝居が少しずつ上演していたのは知っていた。コロナが出始めの時は、夏にはだいぶ緩和されて、普通に戻っているだろうと安易に考えていたが、実際にはそんなこともなく。自分が想像していたよりも劇場で見るのがハイリスクのように言われているのが信じられなかった。劇場で観劇する際の注意事項としてコロナ対策の案内がつらつら書かれてる。

劇場に入る前に検温をすること、場内ではマスク着用をすること、席は前後左右、人がいないように配置すること、劇場の最前列には飛沫予防のビニールを張ること、演者にも口元を隠すフェイスシールドをすること。

一つの舞台を作るうえでこんだけの対策をしなければならない。仕方のないことなのはわかっていたが、今は異様なんだ、そう実感させられた。

少なくとも、出演者でお目当ての人が出てるし、しかも主演はあの生駒ちゃんらしい、、、(生駒ちゃんと呼んでいいのかはわからないが、、、)

久しぶりに劇場で見れるし、内容も面白そうだし、どうにかしていくことにした。(原作の辻村深月さんは知ってはいたが作品を読んだことはなかった。ごめんなさい。)

まずは2回見よう。舞台は生もの。可能な限り回数を重ねてみるのが好きなので、手始めに行けそうな日のチケットを2枚とった。後は当日を楽しみにするだけだ。相変わらず仕事は忙しいし、休みも少ないが、私は観劇が出来る。それだけを楽しみに日々を乗り越えた。

そして、8/29、当日。前日出張で東京にいなかったため、夜公演のチケットを買っていた。ソワレってやつだ。新幹線の中で今日見れる舞台を楽しみにしながら駅弁を食す。(なぜか緊張していて、食べた気がしなかった)

一度家に帰ると時間が微妙だ、乗り換え駅で仕事道具をロッカーにぶち込み、池袋へ移動した。緊張と猛暑で汗を大量にかきながらサンシャインへ向かう。

私が若い頃によく食べていたばくだん焼きはなくなっているし、パチンコ屋がゲーセンになってるし、池袋の進化を肌で感じながら、地下通路のポスターが目に入る。

緑色のポスターに大きな鏡と制服を着た主演の生駒ちゃん、オオカミの被り物をした女の子。そこには大きく”かがみの孤城”と書いてあった。

そのポスターを見ただけで心が躍る。劇場で見れるのかと実感がわく。ちょうど私がサンシャインへ着いたのが16時ごろ。本番スタートは18時。

まだ時間があるので、原作を買おう。私は本屋へ向かい原作を手にする。こんな分厚い大作なのか、そして漫画にもなっていることを初めて知った。舞台までに読み終わる内容ではとてもないけど、無知で臨むのもいいが、もしかしたら2回しか見れないかもしれん舞台だ。少しでも、もらって帰りたかったのでさわりだけ読むことにした。安西こころが学校で嫌なことが起きたこと、鏡の中の城に招かれたこと、そしてその城で出会た同じ中学生の子供たち。私自身、小説というものをちゃんと読んだのは久しぶりだった。芝居が好きだ!といっておきながら本は恥ずかしながらあんま読まない。読めないわけでもなく、読まないが正しい。嫌いなわけではなく、読みたくないわけでもなく、”読まない”だけだった。久しぶりに活字を追いかけながら読む本は、なんか新鮮でこれから見る舞台であったせいか、内容もすいすい入ってきた。ちょうど90ページほど読み進めた時、時間が来た。

本番が始まる20分前、私は劇場へ向かった。サンシャイン劇場はいつぶりかと考えつつ、チケットを用意し中に入る。マスクを着用したスタッフさんによる検温チェック、チケットを確認してもらい、中へ。右手には舞台の物販、左には”かがみの孤城”のポスターが貼られていた。舞台のパンフレットを買うのが私の定番になっていたので、パンフレットを購入。しっかり読もうと思ったが、なぜか集中できないのでペラペラめくり、閉じた。出演さんのお写真が素敵だったという感想しかその瞬間はない。何より、ここに入れる感動で私は胸いっぱいだった。自分の席を座席表で確認する。

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座席表を見るだけで、やっと劇場で見れるのかと。サイコーな気分だ。(大げさかもしれないが、その時はそう思ったんすよ)

私の席は1階の21列目の下手側だった。全体をちょうどよく見れそうなとてもいい席!告知されていた通り、前後左右には人がいないようになっていた。いつもなら注意喚起を叫んでいる劇場スタッフさんも注意事項のボードをもち、歩き周っている状態。舞台セットの奥に窓が見える。最初はわざとそういう作りにしているのかと思っていたが、換気をしているようだった。(そんな事したら暗転できないだろ、気づけ!自分!笑) 

一番前にはビニールが貼られている。しっかり対策をされていた。ここまでしなきゃいけないのか、私の中の違和感は消えない。ただ、こうして劇場で芝居をしてくれるのはありがたかったし、冬に見たっきり芝居を見れていなかったので、何よりも楽しみが勝っていた。

換気の窓が閉まり、黒の幕が下ろされ窓が見えなくなる。そろそろかと、身構え集中する。どっちかっていうと感受性が豊かな方だと自負している。芝居を見るときはだいたい頭を空っぽにして臨む。たくさんの感情をせっかくならお持ち帰りしたいので。いろんな感情をあてられてぐちゃぐちゃになるのが好きなんです。(何言ってんだこいつって思っても気にしないでくれ)

一度、BGMが消えて無音になる、始まりを知らせる音楽とゆっくり暗転する照明。それだけで泣けてきたが、ここで泣くわけにはいかない。ピンスポと共に現れた生駒ちゃんの第一声、その優しい声に私は飲みこまれていった。

終始鳥肌が止まらない。芝居が進んでいく中で、魅力的な役者の皆さん。フェイスガードなんてすぐ気にならなくなった。絶妙な音楽、照明、不安定なこころを囲む仲間たち。度重なる伏線の数々。まさかって気づいたときにはもうやられてて、私は号泣していた。観劇初日は必死にいろんなことを理解していくのが楽しかった。物語を純粋に楽しみ、ちゃんと原作に触れてなった私は、中途半端に手を出すくらいなら読まずに見てもよかったと少し後悔したが、何とも言えない暖かい気持ちと、優しさに包まれた気分だった。ああ、これだ。この感じだ。舞台を見終わった後、感情が定まってないこの感覚、私は気がついたらリピーターチケットの前にいた。このお話、このお芝居は2回で満足は絶対できない。もっと見たくなる。5日のソワレを手にした。この時選んだ場所は15列目上手側。ちょうど舞台に立ってる人たちと同じ目線くらいの席だ。

翌日は朝から仕事だったし、すぐに帰路に立つ。電車の中で何も考えられなかった。あの空間が幸せだったこと、思い出すと泣いてしまいそうになっていること、そしてお目当ての子の芝居を見た時、やっぱこの子のお芝居が好きだなと実感したこと。まっすぐなんだよな、役に、そこがとてもいいんだ。私がそう感じているだけかもしれんが。

8/30 、観劇2日目、この日は仕事帰りだった。(仕事は終わっていなかったが無理言って帰してくれた同僚には感謝しかない)何とか無事に劇場につき前日同様、席を確認する。1階7列目上手側だ。ここは扉前で前に人はいなかった。役者の表情も見えるし、昨日とは見えてくるとこも違うだろう。音楽が大きくなり、照明、が落ちる。私の2日目が始まった。 

上手の端の方だったため、セットの場所によっては表情が見えない。それもまた舞台の楽しいところだ。ということはそれ以外のとこに目が行きやすい。実際、2回目はメインじゃない役を演じてるとき、この人はこんな役もやってたのか!とか、ストリートが動いてる最中、後ろでこんな表情してたのかと、近いからこそ気づくことがあり、新鮮だった。もちろん、ストーリーも結末もすでに知っている。だが、初日見た感動とは別の感動が浮かび上がってくる。舞台は生ものだ。初日と話が違うわけじゃない、でもその瞬間のお芝居は絶妙に違う。セリフが決まってはいるが、役者さんの感情で絶妙に変わる。展開はわかってるに待ってる自分がいる。そのたびに思う。人が演じているものを肌で感じられる舞台は最高だなと。

終演後、私は2階で全体的に見てみたい欲にかられた。迷わずリピーターチケットを購入。5日にマチソワ行くことは決定した。

私の観劇は5日で終わり。6日の東京の千穐楽はチケットが取れなかったし、存分に楽しもう。そわそわしながら仕事をこなし、5日当日。

またあの城へ戻れるのがうれしかった。でも私はもう最後なんだなと思いつつ、劇場へ向かう。こんなに揺さぶられたのは久しぶりで、感動のぶつけ先に迷ってる状態、情緒不安定のような感じで笑(だからここにぶつけているのだが、、、)

5日、マチネは2階2列目真ん中より下手側。さすが2階なだけあって下で見てた時には気づけない照明さんの粋な演出に圧倒される。照明と音が入るだけでこんだけ臨場感が増す。もう3回目だというのに私はまたもや号泣していた。こうも違って見える舞台をこんだけ楽しめてる自分は最高に幸せだと思う。はい。笑

とうとう自分にとっての最終日。ソワレは15列目上手側。ちょうど役者さんと目線が同じくらい。もう4回目だし、気づくことも少ないだろうって純粋に楽しもうとしてたが、さっそくオープニングで城を照らす照明のキレイさにやられ、物語に入っていった。役者さんの動きやお芝居を楽しみながら。孤城に行くのが最後だからかみしめ。日々進化していく皆さんのチームワーク。主演の生駒ちゃん。温かさや、やさしさ、何て素敵な座組なんだろうか。久しぶりに見たお芝居がここでよかった。私のソワレは多幸感に包まれ終わった。

翌日もぼーっとすると孤城のことを思い出し、自分ってこんなにお芝居好きだったんだなんて改めて実感する機会をもらった。まあ、我慢でききなくて6日は配信を見れる限り見まくったのですが、、、、笑

かがみの孤城は終焉したようですが、キャストの皆さんのつぶやきを見て、キャストさんにとっても最高だったんだと思えて、それだけで私は幸せな気持ちになれた。。。

さて、ここまで長々と語って申し訳ないですが、何が言いたいかというと、どんなエンターテインメントも最高なんです。私はお芝居が好きだし、アイドルだって好き。好きな役者さんが全力でお芝居に向かってるとこ、好きなアイドルが全力で歌って踊ってるとこ。 そんなのが当たり前じゃないことが、当然のように思ってたことが、一瞬でなくなる怖さは今回知れた気がする。それでもお客さんがパンパンに詰まった劇場で役者さんが生き生きとお芝居してる姿、お客さんをあおったりして楽しそうに踊るアイドルを見てるのが好きなんすよ。

だいぶ緩和はされてきたとは思う。配信ライブももちろん素晴らしい。配信が簡単じゃないことも何となく知ってる。でもやっぱその場所に行って生まれる感動もたくさんあると思うのだ。

今週末にこんどは好きなアイドルのライブに行く。休みは勝ち取れなかったが、見に行くことは許してくれた。。これもまた規制が多少ある。普段通りではない。それでもその場所で体験できるものもあるはず。とても楽しみだ。

当たり前なんてものはない。でもエンターテインメントは最高で、なくなっちゃダメなものだとアラサーオタク女子は思います。

長々とまとまってない文書ですみませんでした。そろそろ仕事に戻ります笑


     







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