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夏の合宿所 【軽井沢だけど】

 叔父さんの運転で、旧軽井沢銀座通りに入っていくと昼間の歩行者専用時間帯は終わっており、クルマは通りをゆっくりと登って行く。お盆を過ぎたからか、通りを歩く人もまばら。
 三笠通りに入ると整備された街路樹が整然と立ち並び、そこからクルマは左折して、舗装されていない幅の細い道を上っていくと、周りの木々が鬱蒼としてきた。
「たしか、この辺だったと思うんだけどなぁ」
 叔父さんも初めてのところ?
 クルマにナビがないので、どこにいるのか分からない。
「あった、あった。ココ、ココ。門を開けてくれる?」
 道幅が更に狭まり「森林」という表現がピッタリのところまで来ると、叔父さんはクルマを停め、その先には映画の秘密基地に出てきそうな大きな門が構えていた。
 助手席を降り、掴み所のない鋼鉄製の門を力任せに押してみると鍵は掛かっておらず、錆びた金属の擦り合う音を立てながら鋼鉄の扉が開いていく。

 目の前に現れたのは、古いリゾートホテルのような2階建ての建物。
 僕が開けた門を、叔父さんのクルマは建物まで伸びる石畳を徐行し、その後をついて歩きながら周りを見回すと、敷地を囲む塀が見えないくらい木々が生い茂っている。敷地内も手入れがされていないのか、雑草が生え放題。

 建物の中央にあるクルマ回しにボルボを停め、叔父さんたちが降りて来た。
「ココは何の施設?」
 彼女が古びた建物を胡散臭そうな表情で眺めている。
「見れば分かるだろう。今日、泊まるところさ」
 叔父さんはポケットから大きな真ちゅう色をしたキーを取り出し、玄関扉の鍵穴に差し込んで回すと『ギィーッ』と大きな音がして扉が開いた。
「なっ? 預かった鍵も合っているし、ここが避暑地の小説家養成合宿所」
 なるほど、暑さとの戦いが最優先だった東京の合宿所とは、比べものにならないくらい涼しいけど、別の意味でも涼しそう。
 ここにはあやかしとか出ないよね?

「お腹も空いたし、早く中に入りましょう。叔父さん、夕食はどうするの?」料理好きな彼女は、食事のことが気に掛かる。
「バーベキューセットを近くの人に届けさせると聞いているから、準備しているはずさ」叔父さんはキャリアに積んだ荷物を下ろしながら『準備が良いだろう』と言わんばかりにドヤ顔をする。
 彼女はキャスターバッグを受け取りながら「さすが、編集長」と持ち上げる。
 食事の準備と雑誌の編集業務は関係ないと思うのだが。

 クルマから荷物を下ろし、中に入ると建物の中は真っ暗。
 手探りでスイッチを探して照明が点くと、玄関を入ってすぐのところに吹き抜けのホールがあり、傍に階段とエレベーター。両側に廊下が伸びている。

「部屋はどこにあるのでしょう?」ユリさんが、ガランとした廊下の左右を見ていぶかしい表情をする。
「どこでも使っていいと言っていたから、好きにしていいぞ」
 好きにしろと言われても、どこに何があるのかわからない。
 叔父さんの言葉を聞いても、誰も動かないままでいると、叔父さんが廊下をスタスタと歩き始め、廊下に並ぶ扉を適当に開けていく。彼女と僕はキャスターバッグを転がし、ユリさんはバッグを背負い付いて行った。

「オッ! キッチンはここか」
 大きな両開きの扉を開けた叔父さんは、宝物を見つけたかのように嬉しそう。僕たちを引率して来たのだから、どこに何があるのかくらいは知っておいてほしい。

 陽はすっかり暮れ、窓越しに虫の音が聞こえてくる。
 荷物の片付けは後回しにして、夕食の準備をすることにした。
「今からだと夕食は遅くなるわね」と、彼女が呟くと、「心配いらんよ」と叔父さんは何の迷いもなく、業務用冷蔵庫に入っている切り分けられた肉と野菜のトレイを取り出す。なぜ食材の収納場所を知っているのだろう?
「さっきバーベキューの準備をしていると言っただろう。編集長なるもの、手はずを整えておくのは当たり前さ。裏庭にバーベキューセットが用意されているから、トレイを運んでくれる?」叔父さんは大人の余裕を見せ、顎髭に手をやる。
 キッチンに入るまでの手探り状態と、食材を取り出してからの手際の良さのギャップが気になる。

 キッチンの外扉を開けると、そこは裏庭というには広すぎる空き地が広がっていた。周りの眺めが良く、遠くに見えるのは浅間山かな。
 建物の外灯に照らされたテーブル、グリル、椅子が用意されており、食材のトレイをそこまで運んで行く。叔父さんが居なくなったと思ったら、出掛けるときクルマに運び込んでいた段ボール箱を持って現れた。
「さぁ、乾杯しよう。ガスバーベキューグリルだから焼くだけだ。あとはよろしく」叔父さんは段ボール箱からクーラーボックスに入ったビールのプルトップを開けて飲み始める。
「叔父さん、いつもみたいに酔い潰れても、今日はお世話をする大人の人はいませんよ」彼女はグリルに火を入れ、野菜や肉を乗せながら叔父さんに釘を挿す。
「心配は無用。数メートル歩けば部屋に辿り着くから、あとは寝るだけさ」
 ユリさんは二人の会話を聞きながら、彼女の横で食材をグリルに並べていた。

「ところで、ココって何なのですか?」
 食事を前に今更だが、そもそもこの建物がどこの何なのかも分からないままバーベキューを始めるのも変な話。
「この建物かい? ここは昔、会員制ホテルだったところさ。経営が行き詰まり潰れてから、どこかの会社が保養所にしたけど、その会社も清算されて俺の知り合いが引き取ったそうだ」
 そんなに縁起の悪い不動産を引き取った、叔父さんの知り合いは大丈夫?

「その知り合いの方は、ご存命なのですか?」
 オカルト同好会の叔父さんのことだから、あの世の知人かも知れない。
「お前、縁起の悪いこと言うなよ。今朝も電話で話したばかりさ。まあ、それなりの年齢だから身体の調子が良くないとは言っていたけどな」
 僕たちがこの元ホテルにいる間は、元気でいてほしいところ。

 そのあとグリルで焼かれた食材が次々と皿に並べられ、僕たちは食欲を十分に満たし、叔父さんはいつもの通りお酒がビールからワインに替わりラッパ飲みをしながら半分寝かけていた。熟睡されると大変なので建物の中に連れて行き、キッチン近くのドアをいくつか開けていくと、ホテル仕様の個室が見つかり、叔父さんをそこに寝かせ、僕たちは裏庭へ戻って行った。

 バーベキューセットを簡単に片付けながら、明日のことを相談する。
「叔父さんは明日の予定を言わなかったけど、どうするんだろう?」
 涼しいところに連れて来てもらったけど「涼を取る」だけではないよね。
「小説の執筆に決まっているでしょう。東京の合宿所が軽井沢に移っただけよ」彼女の言うことはご尤も。でもそれだけで良いの?
「紀行文を書かなければならないと思います」紀行文募集サイトを見つけたユリさんは忘れていない。
「ユリちゃんは、もう書き始めているの?」
 東京を出発してから今までクルマの中と、ここでバーベキューをやっただけなので書いている時間はないはず。
「時々、スマートフォンにボイスメモを残しています。私、この紀行文は、エムさんを主人公にして書こうと思っています」ユリさんが、僕をチラリと見ながら彼女の質問に答える。僕が主人公?
 ユリさんの意外な返事に、彼女の片付けの手が一瞬止まり、溜息ためいきをついたあと口を開いた。
「そうね。具体的な主人公が目の前にいれば、紀行文が書きやすいかも知れないわ。エムくんは行動が分かりやすいから素材には良いかも。私もエムくんを主人公にして紀行文を書こうかしら」

 彼女の、ユリさんに張り合うような口ぶりが気になる。
 微妙な場の雰囲気を変えるため、話を別の方向に振ってみた。
「紀行文は著者が何処かを訪れた時の体験や見聞したことを、感想を交えて書くよね。僕という別の人物を主人公にしても意味がないのでは?」
 僕は無難な説明をしたつもりだが、彼女が腕組みをして右手を挙げ人差し指を左右に振りながら、口で「チッチッチ」と効果音を出す。講義の時間だ。
 いつもの彼女に戻ったようだ。
「私たちは『紀行文』が、お題のコンテストに応募する作品を書くのよ。当たり前の紀行文を書いても最終選考まで残るのは難しいわ。敢えて主体を他の人に設定して、ひと味違う紀行文を書けば意外性が評価されると思うの」
 僕を主人公にすると意外な紀行文が書けるの?

「私は昨日、自宅に戻ってからエムさんを主人公にすることを考えました。エムさんって個性的ですよね」
 女子高生から個性的と言われたのは初めて。目立たなくしているつもりだけど、何が個性的に見えるのだろう。
「ユリちゃんもそう思う?(ユリ「思います」)じゃあ、同じ主人公になるから書き方が被らないように、時々打合せをしないとね… 寒くなってきたわ。中に入らない?」
 僕を紀行文の主人公にするのは腑に落ちないけど、外が寒くなったのには同意して建物に入り、叔父さんを寝かせた部屋の近くを調べてみると、どの部屋にもシーツやリネンが揃っており、僕はシングルルームを、彼女とユリさんは2人でツインルームを使って休むことにした。

(つづく)