大きな包み 【5月病】
5月に入り、ゴールデンウィークが終わってからも大学ではオンライン講義が続き、受験以来一度もキャンパスへ行くことはなく、合宿所と呼ばれるオンボロビルの1階で、叔父さんがイタリアの高級品だと宣う古い皮のソファに座り、MacBook で『小説家になろう』へ投稿しているSF小説の続きを書いていた時のこと。
彼女が大きな包みを抱えて、どこかから帰って来た。
ビルが新しい時には透明だったであろう磨りガラス状の覗きに人影が映り、開き扉の蝶番がギシギシと悲鳴をあげ、彼女が肩で扉を押しながら「エムくん、両手が塞がってるから手伝ってよ!」と、切羽詰まった声で入ってくるから、執筆中のMacBook を閉じてソファから腰を上げ、ガラスの内扉を開けたんだ。
「ありがとう、思っていたよりも大きくて」
お礼を言いながら彼女は、自分の身体が隠れるくらい大きな包みを、そのままいきなり僕に預けてくる。
急に大きな包みを渡されて一瞬よろけそうになったけど、大きさの割には重くない。
「ぬいぐるみか、何か?」
「なんだと思う?」
彼女が、ニコッと美少女スマイルを浮かべながら聞き返す。
この笑顔は大好きなんだけど、今までの経験からするとそのあと面倒なことや厄介なことが待ち構えているんだ。
受験の時もそうだったし、引越しの時なんかは、生きて東京に出て来られたのが不思議なくらい。
「なに黙っているの? エムくんは地方から出てきたばかりで、見慣れないショップの包装にドキドキしてるの?」
いえいえ、東京に出てきた日は同じでしょう?
彼女のおかげで東京へ辿り着くのに、どれだけ大変な思いをしたことか。
叔父さんからは「何事もいい経験だよ」という編集長目線のコメントをもらったけど『九死に一生を得る』なんて、あんな事を言うのだろうな。
そんなことは忘却の彼方へすっ飛ばしてしまったかのように、彼女は東京で始まった新しい生活を満喫している。
最初のうちは叔父さんに「こんなオンボロビルで、東京の田舎に住むのなんて無理!」と駄々を捏ねていたのが、しばらくすると「ここも一応、東京23区だし、不便だけど困ったら叔父さんにクルマで迎えにきてもらえば何とかなるかな」と少し前向きになり、対面での講義が始まらない大学の履修を良いことに『市場調査の研究』と勝手な自己申告をしながら、毎日どこかへ出掛けている。
彼女が入学した文学部のシラバスには『マーケットリサーチ』の講義はなかったと思うけど。
書き忘れていたことを思い出した! 彼女も僕も晴れて合格した大学へ…… 一度も通っていない。厳密に言えば受験で一度行ったっきり。
受験の時、とんでもない数の受験生がゾロゾロと駅から大学へ向かうのを見て『こんなに学生がいるの?』と思ったけど、考えたら受験生だから多いのは当然。3科目の試験を終え、同じようにゾロゾロと駅へ向かう時もウンザリしたけど『大学が始まったらああはならないんだろうな』と思っていたらそもそも大学の通学が始まらない。入学式中止のお知らせはメールで来たけど、それ以降も大学とのつながりはメールとオンラインの講義だけ。
「エムくん、ボーッとしてないで包みをどこかに置いたら? もしかして5月病?」
いきなり大きな包みを渡されて、どうしよう?と思う間もなく、彼女から5月病を認定されてしまったようだ。
去年の秋、学校の下駄箱に手紙という名の呼び出し状をもらって以来、彼女の勝手気ままなスピードにはいつも惑わされ、今もそれが続いている。
人の顔色はよく見ていて、ちょっとした表情の変化も見逃さず「どうしたの?」と聞いてくる。
「心配してくれているのかな?」と思ってしまうから、こんなに振り回されても、彼女から目が離せないんだ。
(つづく)