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「空気」の研究:山本七平(著)以前読んだKindle本を再読

昭和52年の発表以来、40年を経ていまだに多くの論者に引用、紹介される名著。
日本人が物事を決めるとき、もっとも重要なのは「空気」である。

2018年3月にも、NHK Eテレ「100分deメディア論」で、社会学者・大澤真幸氏が本書を紹介し、大きな反響があった。
日本には、誰でもないのに誰よりも強い「空気」というものが存在し、人々も行動を規定している……。
これは、昨今の政治スキャンダルのなかで流行語となった「忖度」そのものではないか!

山本七平は本書で「『気』とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。」「この『空気』なるものの正体を把握しておかないと、将来なにが起るやら、皆目見当がつかないことになる。」と論じている。

それから40年、著者の分析は古びるどころか、ますます現代社会の現実を鋭く言い当てている。
「空気を読め」「アイツは空気が読めない」という言葉が当たり前に使われ、誰もが「空気」という権力を怖れて右往左往している。

そんな今こそ、日本人の行動様式を鋭く抉った本書が必要とされている。
『「水=通常性」の研究』『日本的根本主義(ファンダメンタル)について』を併録。
日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探った名著である。

解説・日下公人

https://www.amazon.co.jp/dp/B07KW272T3/

Kindle版も私が購入した時から版が変わったようで、以前の解説の方がスッキリしているように思います。

Kindle版を購入したのは5年前 表紙もこっちの方が好きです

買って、すぐに読み終わり「そうだよねー」と納得するところ多々。
それから5年、日本では相変わらず「その場の空気」が手を替え品を替えて君臨しているようで、国会中継をニュースで見ていると「空気」の応酬をしているように感じられる。

悪いことばかり書いても暗くなるので、これをポジティブに捉えている論者の意見をご紹介。

すぐ空気に支配される日本人の「いいかげんさ」こそ国の底力である
・誰もがよくないと思いつつ、誤った意思決定をしてしまう
・危機的状況にある組織で「空気」はより抑圧的になる
・王様は裸だと言える人、KY発言が空気を破る
・現代社会全般に「空気」の抑圧は蔓延
・多神教ゆえに「空気」が絶対になる日本
・「空気」と「絶対化」がすぐに移ろうことが日本の底力

『MOH:良いのは最後だけ?😅

『しかし、このようなくだりを読んでいて思い浮かんだのは、空気によって支配され、簡単になにものかが絶対化されつつも、すぐに絶対化の対象が移ろってしまう、このいいかげんさこそが、日本の底力なのかもしれないということである。
 興味関心が揺れ動く。一瞬大きな力をもつが、すぐに忘れる。たとえば郵政民営化。あんなに盛り上がったが、いったい何だったのだろう。なんでもかんでもすぐに祭り上げ、手を出してみたかと思えば、次の瞬間興味の対象は移ろい、そのことは忘れて、次の関心事にまい進する。検証もほとんどしない。悪の権化もしばらくたつと許される(というか忘れられる。あるいは新しいキャラクターに変身したりする)。
 しかしながら、この空気の先導によって何かしらが前に進む。今回の新型コロナの新常態において、一気にリモートワークが進み、ジョブ型人事や、法規制でできなかったオンライン化がある意味融通無碍に進む深い思想など持たないし、全体や過去との整合性など何も考えない。そして、これらの変化のうち、うまく状況にフィットしたものは一般化して定着するが、合わなければ中途半端なままにとどまり、いつの間にか立ち消えになる。
 この日本型の“いいかげんさ”を、私自身はずっと“絶対的に悪い”ことだと思ってきた。しかし、案外これこそが、日本社会を進化させ、結果として驚くべき柔軟さで変化に対応する日本社会の原動力なのかもしれない。生物の進化と同様、国家の進化も計画によるものよりも、行き当たりばったりの突然変異とその環境に適応した適者生存によって達成されているかもしれないのだ。新常態下における山本七平『「空気」の研究』の再読は、まったく予想もしなかったような発見を筆者にもたらしたのである。』

https://diamond.jp/articles/-/253847

流れによっては「良い空気」もあるのかも知れない。
最近のニュースを見ていると「悪い空気」ばかり。
そんなに「悪い空気」ばかりだと、戦後75年間も国が持たなかったようにも思う。
これからのことは、分からないけど…

上に引用した通り、進化論からすると下手な計画性を持つよりも行き当たりばったりの方が、生き残れるように思う。
私たちの元となる宇宙の始まりからすると人間が自分たちの理屈・理論を捏ねくり回すより、空気の流れに沿う方が合理的なのかも知れない。

個人レベルに落とし込むと「長い先の事まで悶々と(『老後どうしよう』とか『もし大病に罹ったらどうしよう』とか『仕事が(会社が)無くなったらどうしよう』とか)思い煩わずに、せいぜい半年先くらいまでのことを考えながら『日々、まともに生きていこう』」と考えるのが精神衛生上、正しいのではないかと。

去年の今頃『ロシアが戦争を始めている』とか『コロナの収束が未だ見えずに4回目の接種が始まる』なんて、誰が思い描いていたことでしょう。

おそらくこの世紀は、斯様な混沌とした状態が続くので、行き当たりばったりの『良い空気』に身を任せるのが良いように思う。


MOH

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