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SF小説 『面倒な時間旅行者のお世話係り』 (プロローグ 第2話)歩くときは目の前に注意


 ツーリスト捜索のエージェント活動を始めてから地球時間で3年経つが、2005年の世界は初めてなので少し緊張する。
 東京駅に向かう人は多く、人混みを避けて丸ビル方向へ歩いて行く。
 こよみは9月だが、街路を歩いていると汗が滲んで肌がシャツに張り付き、喉が渇いてくる。

 丸ビルに入り、ビル内にある案内図を確認すると地下1階に飲み物の販売店があるようだ。目の前の移動装置エスカレーターに乗り地下へ降りてみる。いろいろな店があるが、どこへ入って何を頼んだらよいのか分からない。通路を回ると飲料水のボトルが並ぶ店を見つけた。
 えっと、コンビニエンスストア?
 中に入り、冷えた棚から透明なボトルを一本手に取る。
『おいしい水』と書かれている。
 書いていないのは、まずい水なのか?

 ストア内でボトルの並びを整えている女性、おそらく店員であろう21世紀の人間に聞いてみた。
「この飲み物は取って良いのか?」
 店員が怪訝な顔をする。
 言葉がおかしかったのか?
 この時代に合う正しい日本語を話したつもりだが。

「レジはあちらです」
 出口近くのカウンターを指差して、私の顔を伺う。
 なるほど、あそこで代金を支払えば良いのか。
「ありがとう」
 カウンターへ向かう途中、棚に面白いパッケージの食べ物が目に付き、それも手にして台へ置く。
 向かいに立つ女性が台に置いたボトルと食べ物のバーコードを読み込み、白い袋に入れてくれる。
「298円です」
 人間が品物をまとめてくれて、代金を口頭で伝えてくれるのはとても新鮮だ。
 品物の入った袋とカウンターの女性を思わず見入っていると、怪訝な顔をされた。
「298円です」
 そうか、お金を支払わねばならないのか。
 慌てて上着のポケットから『財布』を取り出す。
 何回タイムトラベルをしても『財布』の使い方には慣れない。お金というものにも。
「カードが使えますか?」
 事務局が用意した、この時代で使用できるカードを女性に見せる。
「はい、使えます」
 私の手からカードを取り、レジの機械に通す。
 レシートとカードを私に返し品物の入った袋をこちらへ差し出す。
「ありがとうございました」
 お礼を言われて、どう答えてよいか戸惑い「ああ、どうも」と中途半端に答えて袋を手にし、コンビニエンスストアから出た。

 水と食べ物が入った白い袋を見ながら、これを手に入れるのに随分と手続きが必要なものだと改めて思う。
 やはり千年前の生活はいろいろと面倒だ。
 長く続く人生の一つの経験として、この時代のエージェント活動を始めてから、やることが一つ一つ不思議なことばかりで面白いのだが、思い返すと面倒な手続きばかりが記憶に残る。
 まず身体を動かさなければならず、動いてもその結果が精神活動までに及ばないことが多い。
 この時代の人たちは、日頃、何も考えずに動いているのだろうか?
 精神活動がアクティブで無い状態に不安を覚えないのか?

 そんなことをボーッと考えながら歩いていると、急に何かにぶつかった。
「アッ! スミマセン!」
 斜め前を歩いていた若い女性、右手のスマートフォンを見ながら、左手に持った飲み物のカップと自分の身体をぶつけて来て、液体を私のジャケットにぶちまけた。
 生成りのジャケットが微妙な色に染まる。
 熱くは無いので、冷たい飲み物のようだ。
「スミマセン、スミマセン」
 彼女はそう言いながら、下げていたバッグから小さな布を取り出して私のジャケットを拭き始める。
「大丈夫です。気になさらずに」
 この時代の受け答えはこれで良いはず。
「そうはいきません… 落ちませんね。どうしましょう」
 彼女が拭き取ろうとした飲み物の染みが広がった。
「うーん… 今、お時間大丈夫ですか?」
 時間が大丈夫とはどういう意味か?
 タイムトラベルは上手くいったが、今問題なのはシミのついたジャケットなわけで。
 
「時間は合っていますよ」
 彼女は私の返事に首を傾げながら
「大丈夫ですね。そんなに時間は取らせませんので一緒に来て頂けませんか? ジャケットが直ぐ綺麗になりますから」
 21世紀には意図した分子だけを任意に取り出せる技術はまだ無いはずだ。何か新しい発明ができたのか?
 そんなことを考えていたら、彼女が歩き始めながら手招きをする。
「こっちです。隣のビルです」
 ストアが連なるビルの地下を出て、地下通路を歩き始める。
 網膜レティーナに地図を映し出すと行幸通りを横断する地下通路のようだ。
 彼女は時々こちらを振り返りながら先を歩く。
 通路が終わると、新丸ビルと呼ばれるビルの地下にたどり着く。彼女が手招きをする先について行くとゲートがある。
 ゲートの前で彼女が1枚のカードを渡してくれる。
「ここで働く社員用の入口ですが、緊急なのでこれを使ってください」
 彼女は首から下げているネームプレートをゲートのセンサーにかざして先を行く。渡されたカードを同じ様にかざすとゲートが開いた。
 なるほど、この時代はコレでセキュリティーチェックをしているのか?
 あまり意味はないな。
 ゲートの先にあるエレベーターホールで彼女が待っていた。
「申し遅れました。私、高坂コウサカマリと申します。ナノテクノロジー社に勤めていて、そこで染みのついたそのジャケットをキレイにします」

 ナノテクノロジー? この時代にそんな会社があるとは知らなかった。未来まで引き継がれなかったテクノロジーがこの世界にあるのか?
 高坂コウサカマリと名乗る女性が、こちらをじっと見ている。そうか、私も名前を名乗らねば。
「えっとー、羽鳥慎司と言います」
 この国に合わせた風貌で『パトリック・K・デュランシン』という31世紀の通名は名乗れないし、名乗っても笑われるだけだ。
「羽鳥さんは、この辺にお勤めなのですか?」

 一番答え難い質問が出たところでエレベーターの扉が開き、中からスーツ姿の男性3人が出てきて会話が中断した。
 高坂マリが先に乗り込み、あとに続く。
 彼女が24階のボタンを押すとエレベーターは直ぐに上昇を始め、途切れた会話が再開する前に24階に到着した。
 彼女に案内されるままにエレベーターホールからカーペット敷の廊下を歩いて行く。廊下の両側にはところどころに扉があるが、彼女は脇目も振らずにまっすぐ先を目指していた。
 廊下の先にある大きくて重そうなドアを彼女が押し開けて中に入ると、そこにはそれまで歩いてきた廊下とは雰囲気の異なる、何かの実験を行っている部屋だった。

(続く)


MOH

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