私の中学時代について…

こんばんは。今日は、私の小,中学校時代について話していこうと思います。

長くなっているので時間があるときに気軽に見ていただけると嬉しいです。

小学校時代

私は小学四年生から塾に通っており、六年の頃中学受験がしたい!

と思い、六年の夏から公立の中高一貫校に入学するために元々入っていた塾をやめて中学受験コースがある塾へ通い始めました。

そこで、面接の練習として受けたのが私の地域では結構有名な

私立中高一貫校でした。

受験したのは2校でしたが、合格したのは私立中学のみでした。

そこで私は、私立中学へ入学しました。

入学後

中学入学後、最初は順風満帆にすごしていました

部活はサッカー部に誘われて、入部しました。

しかし、さすが中高一貫校。

授業のスピードがとても速く、中一の終わりには中二の内容をし、

中三の終わりごろには高一の内容をするカリキュラムでした。

また、テストは30点で赤点。

私は毎回テストで何教科も赤点をとっていました。

また、放課後には

・赤点をとった人に課せられる毎週月曜日の補習自学に毎回参加

・強制の放課後授業二時間が週に2回

があり、私の頭では到底追いつけませんでした。

また、見た目と学力で一軍と呼ばれる生徒にいじめられ、

部活に一軍のトップらしき人物がいたため、私の居場所はありませんでした。

やがて学校にも行かなくなった私は、中学2年の夏休み直前に

退学届けを提出し、地元の公立高校へ転校しました。

転校後

地元中に転校した私。

しかし、またいじめられるのではないかという被害妄想から

転校後すぐに不登校になりました。

起きたらスマホか食べるか寝るかの毎日でした。

なにもないつまらない毎日でしたが、あるきっかけで人生が楽しい!

と感じる出来事がありました。

人生の転機

ある日親戚の集まりがありました。

その時に叔母に不登校の子がいく学校

「フリースクール」(適応指導教室)

の存在を教えてもらいました。

これが私の人生を変えた出来事でした。

興味を持った私は母に頼み、フリースクールの体験を申し込みました。

私のイメージでは暗くネガティブな人が沢山いそうだなと思っていました。(ごめんなさい)

しかし、行ってみると部屋の外までがやがや笑い声がしていて

その時は休み時間だったのですが、

みんなで楽しそうにはなしていて、イメージと全く違い驚きました。

そのあとの所長との面接で

「もふちさんはまだ学校復帰の可能性が十分あるので一旦学校に戻れるよう頑張ってみてください。」

といわれ、最初は入所できませんでした。

しかし、母から行きたいなら電話してお願いするよ。

といわれ私はお願いし、入所することができました。

しかし、中二の間はたまにしか登校できませんでした。

でも、フリースクールの人たちは、登校すると来なかったことをとがめることもなく暖かく受け入れてくれました。

当時の中三とも仲良くなり、いまでも交流があります。

三年生

中学三年生になり受験もあってフリースクールへ積極的に登校するようになりました。

中三最初の目標は「一日も休まない」でした。

しかし、夏に急にいけなくなりました。理由は今でもわかりません。

二か月ほど行かなくなったときにまた登校するようになったのは

一本の同じフリースクールに通う友人からの電話でした。

「今度○○先生がお辞めになってさよなら会があるからおいでよ。

先生もいつもふちちゃんくるかなっていってたよ」という内容でした。

結局私がさよなら会に参加することはありませんでしたが、

それが復帰するきっかけとなり、また通えるようになりました。

二回目に私がいけなくなった時がありました。

その時もいけるきっかけとなったのが友人からの

「○○先生がこいっていってた」という一通のLINEでした。

なんやかんやでいけるきっかけとなったのはすべて友人の声掛けでした。

やっぱもつべきものは友ですね(笑)

受験期

そんな私にも受験がやってきました。

受験なんて考えたことない+まったく勉強していなかったので

本当に苦戦しました。

(ちなみに、中三の時、学校の授業は受けたこともありませんでした)

何回も志望校が揺れました。

A高校にする!…でもB高校もいいなぁ…C高校もいいな…という感じで

三校を一校に絞るのにほんとに時間がかかりました。

しかし、結果として、今の高校にしてほんとに正解だったと思っています。

毎日中学の復習をして、過去問といてを繰り返していました。

ちなみに家で勉強することはありませんでした。(笑)

途中で自暴自棄になって受験しない。中卒でいい。という考えの時期もありましたがなんとか合格することができました。

しかも、特待生で。

特待生になったとき最初に祖母に見せました。

号泣して喜んでくれました。

叔母や祖父、そして母に報告し、みんなほんとに喜んでくれて、親孝行したねと言われ、本当にうれしく思ったのを覚えています。

まぁそのあとは、わかりやすいように調子に乗っていました。(笑)

なにか褒められたりすると「まぁ、特待生なんで」と鼻を伸ばしていました(笑)

卒業

受験が終わるとついに卒業の日がやってきます。

わたしは、卒業式は中学校、フリースクールどちらとも参加しました。

まず、中学校の卒業式では、コロナの影響で日にちも早くなり、

音楽の授業をうけたことがなかったので、流れもなにも知らずに

ぶっつけ本番でした。

合唱曲二曲の中で「大地讃頌」はフリースクールで習った曲だったので

歌えましたが、もう一曲は完全に口パクでした(笑)

卒業式後グラウンドで先生に向けてmiwaの「結」を合唱した時も

合わせるので必死でした(笑)

一方、フリースクールの卒業式では、

合唱曲でソロを務めるなど練習もたくさんできてほんとに楽しかったです。

ちなみに、先生、後輩含め私以外のほとんどが号泣していました。

なぜ私は泣かなかったのかというと、前日に歌のソロの音程がうまく出ずに苦戦し、プレッシャーで泣いていたので涙が枯れ果ててました(笑)

まとめ

中学校生活の前半は本当に地獄のような毎日で、夢も希望もなかったです。

しかし、ちいさなきっかけでこれだけ変われました。

フリースクールで過ごした日々は本当に楽しかった一生忘れないおもいでに

なるでしょう。

私が、超難関大を目指す理由は、私以外にも苦しんでいる不登校の子に、

『不登校でも大丈夫。人は何でもできる。』

ということを証明し、不登校の子の勇気づけ、希望になりたいからです。

作文のようになりましたが、

最後までご覧いただきありがとうございました。

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