めっちゃ我慢してるのを感じてる

今日は高校の友達4人(そのうち、2人子なし)会う約束をしていて、子供を置いてくるとのことで私は夫に預けることに。

父の日なのに悪いなー、ありがたいなーと思った。
(いや、夫なんだから当たり前ではあるんだけど)

朝、夫と子なし/子ありのそれぞれの立場の話をしたのだが、

夫が「子供はいなくてもいいかなって思ってたけど君が欲しがってたから」と言い、

子なしのメリットを饒舌に語り、子ありは大変だ、エゴなのかも、と言う。

否定は出来ないし、したくない。
私も言葉としては認める言葉を発してはいたし、子ができる前は子なしの立場が強かった。

(前提として子供は欲しいけど、そもそも不安だし、加えて夫がそんなんだから余計に不安だった)

でも、どんどん身体がダルくなって苦しくなって体調が悪くなった。
赤ちゃん、悲しくさせてしまってないかな。

夫にワンオペしてもらって(昼ごはんは私が用意しておいた)迎えにきてもらったのだが、娘の機嫌がすごぶるよくない。

きらい!と連呼している。

話を聞くと娘にスマホを見せながら寝ていたらしい。

全然相手してあげてなかったんだろうなと思った。

夫は「いいよ別に!きらいでいいもん!」と拗ねている。

私はその様子をみて、夫の子供じみた態度に心底呆れたり悲しくなったりしたけれど、でも慣れない中頑張っただろうしな…と、言いたいけど言えず引っ込めた。

父の日だしなと思い、私は相変わらずお腹が張るように苦しかったけどハンバーグを作った。

私はもう食べられなかった。

あーあ、もう我慢しすぎて苦しい。
赤ちゃんがいるお腹に空気が溜まって苦しいって思ってたけど、これは私の我慢なんだろうな。

「これは危険だ」「あれどうなってる?」「こうした方がいいんじゃない?」と、安全意識が高いのはいいことだけど、どこか監督のような物言いというか、「俺はわかってる」みたいな言い方に腹が立つ。

それらは毎日長時間一緒に過ごしてる私からすると現実的じゃないし、夫が気になってることは大体病院で聞くべきことで、その予約を取るのは私だから。

てかそれも夫にやらせればいいじゃんね…

なんかわかってるんだよ。
我慢しすぎ。
雑務はもっと夫に頼ればいい。

でもさ、なんだろうな、悲しくてやるせなくて悔しくて情けない気持ち。

割り切れない自分が。言えない自分が。

今日友達と話してて気付かされたことがあって。

前の職場で女性の上司と子育てに関する配信?をする回があって、その上司のタイムスケジュールに多くの人が「旦那様は育児に参加してるの?」「◎さんのバッファ確保されてるの?」と旦那さんはどうなってるんだ、コメントが殺到していて、私はすごく複雑な気持ちになった。

私はそれについて夫と話して「子育てに参加したくても出来ないんだから仕方ないじゃん」とか「上司が納得してるならいいじゃん」という話になって、私もそうだよな、なんて思っていたけど

友人が「▲(私)は気にするタイプだしコメントも全部読んだんでしょ?きっとその上司はそんなコメントが来ても多分なんとも思ってないと思うよ」と言った時、ハッとした。

私は多くの第三者の意見を持ってるくせに、
ほんとはそう思ってるくせに、
それを認めたくなくて、
(認めると今の私の状況を疑問なく受け入れてることになるから)
「私じゃなくて■さんが言ってたんだけどー」
なんて卑怯な隠れ蓑を使って、私の本心の一部を言ってあわよくば共感してもらおうとしてたんだなって。

うん、要は卑怯なことしてたなって思った。

夫との育児や夫婦生活で感じてる違和感、割り切れない私の気持ちを、

見て見ぬふりをしたり、夫と「対話」して納得していたつもりだったけど、

腹の底から腑に落ちてはなかったし、
言い争うのも面倒くさいし、

かと言って、
上司のように家庭の状況を割り切って振り切って、自分で切り拓いて、
他人の意見なんて気にしないほどの覚悟も全然なくて。

なのに、まるでその上司と大きく分ければ同じ立場?にいるとでも言いだけだったのかな、なんて。

2年越しに、この出来事に対して新しいというか、こびりついてた私の意識に気付かされた。


なんてかっこ悪いんだろう。


加えて、「そういう人のコメント全部読んで気にしぃなタイプだ」と言われて恥ずかしい気持ちになった。

でもさ、気にしぃなのはどうしようもないと思う。感じることは止められないもん。
大事なのは自己認識と対策なんだと思う。
人の意見を聞いて流されがちなタイプだから、人のコメントより自分の感情を掬い取ろう。とか、そういうこと。

その発言をした友人はストレス耐性が強いことについて「みんな反応しすぎ、熱中しすぎなんだよ」と言っていて、まるで私のことを指摘されてるように感じてしまった。

そもそも、ゾウとライオンのレベルで、生物としての構造が違うから、比べても仕方ない。
そこで凹んじゃう自分がイヤなんだけど、
でも、見習う点はあるなと思った。

「それは自分にとっていいこと?」
「それは自分のためになるの?」
「それについて考えて、怒ったり泣いたりして、自分や自分の大切な人のためになるの?」

そう思えることだけ、真剣に考えたらいいのに。
あとは切り捨てた方が良いはず。
気力体力時間は、限られてるから。

そんなことを思いました。

つくづく真面目すぎたり、気にしすぎたり、
そんな自分をカッコ悪い!って思っちゃってて認められないでいるんだな。

もう卒業できてるかなと思ったけどまだまだだ。

認められない代わりに、夫みたいに声高な人や、第三者の声を使って、

まるで自分から出てきたことのように語って、その不一致への認識も無くなってたんだろうな。

どこまでも自分からは逃げられないし、
色々麻痺させてるだけで、気づいた時には自分を大事にできなかったことへの後悔が襲いかかる。

自分以外の立派なメッキを着けても剥がれちゃう。今感じてる痛みのようなものは、その時の傷なんだろか。

自分がめちゃくちゃかっこ悪くても、
その場はうまく収められなくても、

やっぱり自分から湧き出てくる怒りや虚しさや悲しみとか、そういうのは抑えずにいようと思った。

それを相手にぶつける必要はないけど、
今朝みたいに、言葉として肯定しなければよかった。
これからは、もうしない。
もう、黙ってしまえばいいし、好きな音楽でもかけて流してしまえばいい。

私はあの時、肌感覚に近い感覚で、あぁこの発言とか空気いやって感じられていたよ。

子宮の中の赤ちゃんはずっとイエローカードを出してくれてたんだよな。。。

目の前のちびっこ怪獣なんて「キライ!」と発し続けていたし(笑)

情けない私の、長ーいつぶやきでした。

情けないけど、言葉にした自分が愛おしい。
とか言って、人を傷つけてないかな。
自分を傷つけることに麻痺してると人を傷つけても気づかないんだろうな。

noteがあってよかったです。

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