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8年ぶりの乾杯

「あれ、お酒飲めないんでしたっけ」

メニューを片手に、驚かれる。

「飲めないというか、もう長いこと飲んでいないし。
 それに、あまり強くはないから。」

そう言い訳めいたことを言って、ジンジャーエールで乾杯した。

仕事で知り合った彼とは、友達のような、仕事仲間のような不思議な関係性。
年齢もさっき知った程度の間柄。

一度一緒に仕事をして、彼の仕事の繊細さに、とりこになった。
それ以来、一方的にファンと言ってもいい。
繊細でナイーブな彼の仕事からは、思いもよらないくらい豪快な彼の笑顔にも、年甲斐もなくひかれた。
こうして2人で食事に行くことになり、ものすごくワクワクした。
いつもはあまりはかない、ヒールなんかもはいたりした。

「いつもご主人にお弁当作ってるんですね。
 すごいなぁ。うらやましいですよ。」

ビールを美味しそうに飲み干しながら、彼が言う。
おかずが被らないように、備忘録的意味合いでSNSに載せているお弁当写真を、見てくれているそうだ。


「ついでですし、約束なので。」

薄く華奢なグラスのふちを、親指できゅっと拭きながら言うと、彼が心底驚いた表情になった。

「約束!?えらいなぁ。
 僕なんて一人だから、いっつもコンビニ弁当ですよ。」

「亭主関白なんですよね。
 家事は全部わたし。それが働く条件だったから。」

「なるほど。まぁ夫婦のあり方なんて、その夫婦が納得していればそれでいいですしね。」

話題を変えようと、彼が料理をすすめてくる。
フォトジェニックなお料理は、目にも美味しい。
普段夫と行くお店とは違い、どこにも隙がないおしゃれなお店。

時代錯誤だとは、自分でもわかっている。
ただ、夫はそういう人間なのだ。

自分は家事は苦手。でもしっかり稼いでくる。
だからできるだけ家にいて欲しい。
家事も全部してほしい。
そうプロポーズされ、受けたのも私だ。

幸い、夫の求める家事レベルは低い。
食事も準備さえしてくれれば、お惣菜やレトルトでも構わない。
部屋も散らかっていても気にしない。
洗濯は着るものがなくならなければOK。

そういうおおらか、悪くいえばおおざっぱなところも、夫のいいところなのだ。
そして本当に稼いでくる。年収は軽く私の倍はある。
私は夫のおかげで、好きなことを仕事にできている。

それでも、ふと「妻」という言葉の重さが気になるときもある。
夫のことは愛しているし、大切にしたいと思っているけれど、それでも息苦しさを感じるときもある。

こうやって異性と2人で食事に出かけることも、少し躊躇する。
たとえそういう関係でなくとも。
これが結婚というものなら、結婚を躊躇する友人の気持ちもわかる気がする。
そんなことを考えながら、彼と他愛ない会話を続けながら、ジンジャーエールを飲む。

「相手をさ。大切にすることと、依存することは違うよね。
 自分の人生を相手に任せたらつまらなくなるよ。」

ふとそう言われて、ふわっと目の前が明るくなった気がした。

自分の人生を相手に任せる。
そうしたつもりはない。でも、いつしかそうなっていたかもしれない。

「次、何飲みますか?
 ここの果実酒自家製らしいですよ。いちごとか美味しそう」

そうメニューを渡されて、いつもは目もくれないアルコールの欄を眺める。
そうだ、私は決してアルコールが嫌いではなかったのだ。

結婚してから、なんとなく明日の準備や後片付けなどを考えて、飲まなくなっただけ。
1杯でほろ酔いになるほど、アルコールに弱いけれど、ワイワイと明るく乾杯する雰囲気や、そのほろ苦い味わいは好きだったのだ。

「すみません。いちご酒のソーダ割りお願いします!」

「じゃ、仕切り直し。乾杯!」

彼のビールのグラスと、私のいちご酒のグラスを合わせる。
8年ぶりの乾杯は、カチンと明るい音がした。

今度は夫と、昼間から乾杯してみよう。
夏も終わるね、なんていいながら、涼しくなったベランダで、普段着のままで。

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