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大切な人を失って過ごしたこの1年を振り返って。

今年のM−1は、とろサーモンが優勝したらしいね。
 
去年のM−1を、わたしは1か月前から住み始めてすっかり慣れ親しんだコミュニティスペースで、友人とパソコンの画面に夢中になりながら見た。銀シャリの優勝について、あーだこーだ言い合い、誰が面白かったか、あーだこーだ言い合い、時計の針がすっかり天井を過ぎた頃、シェアハウスの自室に戻って眠りについた。それが最後の夜だった。
 
 
それから、わたしは毎晩、彼に会いたくてたまらない。
2017年12月の上旬。わたしが大嫌いで大好きだったともだちは、永遠に失われてしまった。
 
 
今年の誕生日は、罪悪感でいっぱいだった。
もし去年、彼からもらったバースデーメッセージに、もっときちんと返事をしていたらなにかしらの変化に気づいてあげられたかもしれないのに。
「のんちゃん!」「お誕生日おめでとう!」可愛らしいうさぎのスタンプ付きの言葉に、嗚咽が止まらなかった。
学生時代、わたしの誕生日をとびきり祝ってくれたその人が、祝福の言葉をくれることはもうない。
 
 
8月、昔の友人から、突然、批判のメッセージが送りつけられた。
「友人の死をネタにするなんて気持ち悪い」「馬鹿の極み」「しんどい」
わたしと彼のことを知らない人間に何が分かるっていうの、と、思いながら、反論の言葉をぶつける気力も湧かなかった。
 
 
7月、二十歳から3年以上付き合った恋人と別れた。
大学時代に、彼とわたしが仲がいいことを、恋人はいつも面白くないような顔していた。それが可愛くて仕方なかった。
 
 
6月、恋人に別れようと伝えた。
悲しみが共有できないことに、ついに耐えられなくなってしまったのだ。
 
 
4月、それまで一緒に過ごしていた仲の良い友人たちが新しい道を歩み始めた寂しさと焦りで、気持ちが不安定になりだした。
どうやったら彼に会えるか、それを考えることにこころを奪われる。
旅先のタイ、ドミトリーの小さな二段ベットの上で、シェアメイトにばれないように声を殺して毎晩泣いた。ドンムアン空港のWi-Fiを使って、帰国したら行こうと心療内科をずっと調べていた。
 
 
2月、唯一安心して一緒にいられる親族であるおばあちゃんが病気で倒れる。
「死」を連想して、気分が落ち込むことが多くなる。
 
 
1月、鴨川の海岸で見た初日の出がとても綺麗だった。彼にも見せてあげたかった。
 
 
12月9日、遠距離恋愛中の恋人に久しぶりに会う。
ひどい状態だった。にもかかわらず、一度も泣けず、一度も彼の名前を口にすることもなく、いつも通り過ごして、笑って、夜行バスに乗った。自分が自分じゃないみたいだった。
 
 
12月6日、彼はとても白くて、とても小さくて、彼が彼じゃないみたいだった。
 
 
 
 
しばらくはずっと、笑うことに対しても後ろめたさを感じ、自分が幸せを感じていたことが恥ずべきことだと思っていた。でもそのうち、わたしは変わりなく笑うようになったし、幸せに惚けることも何度もあった。
次にやってきたのは、忘れてしまうんじゃないかという恐怖だった。
 
でもそれは単なる杞憂に過ぎず、この1年、毎日彼に会いたくてたまらない。
大好きだった映画のポスターを見ても、あのアーティストの歌を耳にはさんでも、誰かの隣で眠りにつく瞬間も、一番に彼に会いたい。
 
 
悲しさも愛しさもずっと平行線をたどっている。
1年間、激動の日々を過ごしても変わらずにずっと平行線をたどっている。
 
 
いつかポッキリと、その線が折れることもあるのかもしれないし、もしかしたら、それの上を行く新しい線が付け足されるのかもしれない。が、今のとことその兆しはなさそうだ。
 
 
この1年で、わたしはずっと考え、悩んでいた。
どうしてこんなにも「悲しみ」を大事に扱ってしまうのだろうか。
 
彼との思い出すべき素晴らしい日々があり、それはグラデーションを織りなし、とてもとても幸福なものだ。
なのに、わたしは、もう彼に会えない、という悲しい事実ばかりに目を向けてしまう。
 
 
感情の共有に関しても、そうだ。
楽しい、をいくらたくさん共有できても、悲しい、をうまく分け与えることができないことが、とてつもなく大きな穴に感じ、そこにある関係性そのものを疑問視してしまう。
そもそもわたしは、人に悲しみの共有をして、満たされた経験が一度だってなかったというのに、それができることこそ意味ある関係だという幻想に囚われていた。
 
それこそ追い求めるものだ、と決めつけ、そうでありながら、自分がそれを上手にできないため、自己嫌悪に陥り、理解されようと努めることに疲れ、諦めようとしていた。
 
 
でも、最近になってやっと「人に分けて楽になる」という経験をした。
いままでの全てが間違っていたとは思わないし、これまでの戦いの勲章のようなものも無駄だったとは言い切らない。
すこしだけ、肩に力が入りすぎていただけで、もっと、楽に、共鳴のもとにあれば、無理な話ではないのだ。
 
相手によって、うまくバトンパスできる感情は異なっていて、それがどの感情であるからって、勝手に人間関係の枠組みにはめ込んでしまう必要もない。
それを知れただけで、大げさに言うと生まれ変わったような気分だった。
 
こんなふうにすこしずつ、悲しみを分けていって、そうしたらいつかはフラットに戻り、純粋に彼のこと、ハッピーな気持ちで思い出すこともできるようになるかもしれない。
 
 
でも、わたしはそんなにポジティブではないので、「また別の悲しみがやってくるでしょ」と思っている。それでいいのだ。
また別の悲しみがやってきて、せっかく前進した気持ちを押し戻すようなことがあったとしても、ゼロにならなければ、一歩分でも踏ん張れれば、なんとかやっていける。
 
 
彼のことを今日も寝る前に思い出すだろうし、明日も、来月も来年も、きっと思い出している。
でもそれが頭の隅になったって、ものすごく大好きな誰かの二の次になったって、何かのきっかけを伴わないといけなくなったって、きっと彼は怒ったり拗ねたりはしないだろう。
 
だから別に、恥じることも責めることも後悔もしなくていいのだ。祝福することがなくても、祝福しているに決まっている。
 
 
 

 
ゼロにならなければ、一歩でも踏ん張れれば、なんとやっていける、と、言い切ることはしてはいけないかもしれない。だって、わたしは、次に誰かを失うくらいなら自分が先に死のうと思っている。
 
けど、まあ、わたしは生きていて、人間は変わるものだから。
 

 
 
 

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