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漫画に描かれた天才は、何でその才能を感じさせるか。

天才といってもいろんなジャンルの天才がいるわけだが、天才とは努力をしないから天才なのか、努力によって開花する天才なのか、このあたりは議論が尽きないところではないだろうか。だから議論しないけども。

ここで取り上げるのは、「漫画内における天才」である。
だいたい漫画の主人公は天才のパターンが多いわけだが、
努力を続けて挫折して努力して大きな成功をつかむ、「地続きの天才」が大半だったイメージがある(昔のド根性ものなどはまさにそれ)。
しかしやっぱそればっかりだと飽きられるのか、「一足飛びの天才」というのもよく見るようになった。ただ、これはジャンルによって描きやすさが違う。

スポーツや異世界バトルなどはそれが非常にわかりやすい。
「なにぃー、あのチビが150キロを投げただとぉ~!」
「な、こんなヒョロ男が伝説の剣を抜きやがった…!!」
というように、天才がやった行為のすごさをそのまま描けるからだ。


難しいのは芸術作品とか、天才ならではの思考だと思う。
「天才の作品」を描いたときに、納得感が出るかどうかが非常に難しい。例えば、天才画家の作品を、あんまり絵が上手くない漫画家が書いたとすると、読んだ方は「これが…?」という気分になる。

映画化もされた『響』ではこのあたりが上手くて、ものすごい小説の天才が出てくる話ではあるが、小説の文章を載せることはいっさいない。当然だ。下手にそれっぽい文章を載せてしまうと「この構成で天才かよ」みたいなツッコミが入る。その代わり、主人公の行動や言動のぶっ飛び具合で天才を描いているわけだ。

努力をめちゃくちゃする割に「地続きの天才」っぽくない主人公ばっか出てくるといえば、曽田正人作品。『め組の大吾』でも『CAPETA』でも『昴』でも圧倒的な天才を描いている。死ぬほど努力するシーンも描かれるのだが、基本的に周囲は「えッ?!」とその思考に振り回されることが多い。「なんでそっちの心配してんだよ!」とか「こいつにはこう見えてるのか!」みたいに驚くというか。

最近のヒット作でいうとやはり『BLUE GIANT』は外せない。主人公の宮本大は世界一のジャズプレイヤーをめざして日々死ぬほど練習するし、その演奏に周囲は魅せられるわけだが、誌面なので当然どんな音かはわからない。わからないが、「自分の成功を疑わない」大のメンタルから、天才を感じ取れるのである。
余談だが、友人の玉田が大を送り出すときに「お前の成功を知ってるぞ。ぶちかませ、大!」って心で叫んだシーンがとても好き。

そんな中、ドラマ化もされて注目が高まったのが『左ききのエレン』
これはどっちかというと「凡人VS天才」に焦点を当てていて、主人公の光一は思い切り凡人枠である。何せキャッチコピーが「天才になれなかった全ての人へ」だからして。デザインの天才やらモデルの天才やらいろいろ出てくるのだが、基本的に天才=何かが欠落した人間となっている描き方がどう洗練されていくかに注目したい。ちなみにドラマのほうは見てないのでコメントできず。

なお、間違いなく天才だけど天才なら周囲が喜ぶとは限らない、というのをガンガン描いているのが新井英樹だと思う。『SUGAR』『RIN』はもろにそうだし、『ザ・ワールド・イズ・マイン』なんかは最悪の天才である。あの漫画絶対映像化できないだろうな。

ちなみに『戦うグラフィック。』という漫画では広告デザインを正面から描いていて、天才というよりその読解というか、ロジックの積み重ね方などを語ったりするので天才と戦う際の参考になるのかもしれない!しれないんだがあんまりちゃんと読んでない。キャラの表情が乏しくてなんか読みにくいんだよな~。これから上手くなるかもしれないので期待しておこう。なんとなくドラマ化狙っている気もするし。

ということで「文学」「ダンス」「音楽」など、描きにくい天才に関しては、その「思考」で表現することが重要なのだと思っている。AからBにいかず、AからFくらいに飛んだり、下手したらそもそもアルファベットの列じゃないところに飛んだりするイメージ。だからこそ凡人には面白いわけだが、大半の天才は「周りにいると迷惑な奴」だったりするのも興味深いところ。


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