見出し画像

いかにして私はコピーライターを挫折したか。 第1話 黎明編

Twitterのプロフィールを最初に設定したとき、「コピーライター」と書いていた。
なぜそう書いたかというと、事実であるからということと、「やめてはいるんだけど昔取った杵柄で広告の話も多少わかります」という感じを醸し出そうとしていた気がする。

ところが途中で「なんか業界わかってる感を出そうとしてるようで鼻につくんではなかろうか」と思ってやめた。

そもそも何でコピーライターになり、何でやめることになったのか。
地方コピーライターの現実と展望を語りたい。と思ったわけでもないがせっかくnoteを続けているので何となくシリーズ化できそうなことを書いてみることにした。
書籍化のご連絡お待ちしております。

自分のコピーライターのスタートは特に早くはない。24~25の年である。別に遅かったからダメだったというわけではない。確か有名コピーライターの中にはミュージシャンを目指したけど途中であきらめてコピーライターを始めたとか、そういう人がいたはずだし。

その頃の自分は、公務員試験をあきらめた後、いわばニート状態になっていた。仕事を探してはいたのだがどんなタイプの仕事に就きたいというビジョンもなく、なーんとなくの日々であった。本を読むのは好きだったし、国語も得意科目ではあったのだが、それを仕事に活かせるというような考えがなかった。そんな中で目に入ったのが「コピーライター」の文字である。その頃の自分はコピーライターといえば糸井重里で、なんか上手い事言う人、くらいの知識しかない状態。当然宣伝会議もブレーンも読んだことはない。だが何となく文字を書いてればメシが食えそうな気がする!という浅~い見識で応募したのだった。

今にして思えば珍しいのだがその時は同時期に3社ほどがコピーライターの募集をしていて、1社め・2社めは面接でダメとなり、3社目も正直「ど素人が来やがったな」感を面接官の社長が出していたのでこりゃダメだな、と思っていた。ところが好きな映画を聞かれたときに「ショーシャンクの空に」を出すと急に話が弾みだし、どさくさに紛れて合格したのがコピーライター人生のはじまりであった。

この会社ではコピーライターの先輩が4人ほどいた。ベテランの男性女性が一人ずつ、中堅の男性女性が一人ずつ。最初に挨拶すると皆さんいい人そうだったが、少し経つと「あれはいつまでもつかわからない奴へのあたりさわりのない対応だったのだな」とわかった。実際、まったく未経験のコピーライター志望なんぞ、期待されるわけないのである。ただその後入ってきた女性コピーライターは大学の新卒でありながらラジオCMの学生コンクールみたいなやつでグランプリをとったという実績があり、最初から期待されていた。えらい違い。
まあこちらは「広告業界の本とか読んだことある?」と聞かれて「CM Nowなら」としか答えられないのだから当然だ。その後輩はのちにTCCに入ったし、マジで広告大好きなコだったので差は大きかった。

そう、TCC。その存在を知ったのもこの会社に入ってからだった。コピー年鑑を見て「こんな世界があったのか!」と感動し、社長に「これって借りて帰ってもいいんですか」と許可を取って借りたら、女性のベテランコピーライターの人からえらく怒られた思い出がある。いやだって社長が許可出したんならいいんだと思うじゃないですか、Mさん。

そんなこんなでコピーライター人生が始まるのだが、長くなるので続きはまた。

サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。