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世の中いつだって賛否両論。

最近、ちょっと尖った表現とか発言があると、すぐ「○○のテレビでの発言に賛否両論」みたいなネット記事が出る。
だがしかし考えてみると、「逆に賛否両論じゃないものがあんのか」と思う。星野源と新垣結衣の結婚ですら「星野源嫌いだ」みたいなことを言っている人もいる。数は少ないと思うが。大多数が好意的に見ているものが嫌いだとひねくれていると取られるが、生理的な好き嫌いかもしれないし、だとするともう何とも言えない。ちなみに個人的には全然「否」のほうではなく、「家帰ったら新垣結衣に出迎えられる生活ってどんなのだよオイオイ」と思っている。

「両論」という言葉面だけ見ると、「半々」に近い印象がある。「両雄並び立たず」などの言葉もだいたい割合的には50:50だろう。ただネット記事で見る賛否両論は「賛20否80」くらいに感じる。逆に「賛80否20」であれば、それは単純に「絶賛」として扱われるのではなかろうか。
否定したことばかり書いてるとこれまた記事自体が「何様だ」と叩かれやすいので、「賛否両論ありました」という内容にしておく。そのうえで実際はけっこう賛の割合が少なく、印象としては否の文章になっている…といった感じだ。何より否定ばっかりだとヘタすると名誉棄損や侮辱やらで訴えられるリスクがある。

あと、実際に「これって本当に50:50で難しいな」みたいな問題はあまりないのではなかろうか。深い事情まで掘っていけば色々あるかもしれないが、とりあえずクリックを稼ぐような記事ではそこまでの説明はない。例えば殺人事件を起こしたとなれば犯人が叩かれるものだが、実は犯人は長期にわたり虐待を受けていて…となると受ける印象も変わる。ただそこまでの事情を追う記事はちゃんと読み込まないといけないので、見出しとか3行で知ろう、みたいなものとは方向性が違うというわけだ。

話は変わるが、最近はインスタント食品のクオリティがすごく高い。時間も短く済むし、安上がりだ。「下手に一人分調理するよりインスタントのほうがはるかに楽で時間も短く済む。しかもおいしい」と思っている人も増えているだろう。これと同じことが情報にも起こっているのではないだろうか。いわば情報のインスタント化だ。そのままか。しかも話が変わってない
インスタント食品を好む人は、「原材料がどこで、どこの工場で」みたいな部分まであまり気にしないと思う(気にする人はそもそもインスタントを好まない)。それと同じでインスタントニュースを眺める人はその背景や事情を気にしないだろう。こうして浅く薄い情報のスライスがひらひらとあちこちに飛んでいくというわけだ。

まあこんなことを書いてる時点で「お前もさんざんネット記事読んでんだろ」とバレるけど。そーなんですよ、結局ね。ただ10行くらいいろんな見出しがあるかと思いきや8行くらい不倫記事なときはさすがに「他にないんかい」と思う。

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