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「なぜどんどん歌が難しくなっていくのか」を考える。

最近の歌はよくわからない、難しい。みたいなことをよく聞くが、いわゆる「時代についていけなくなったジジババの嘆き」というのは昔からあった。ヘビメタとかが出てきた時代にも「うるさいばっかりで何を言ってるのかわからない」みたいな親世代の声はよくあったと思う。やっぱり新しいものを受け入れるのは一回自分の価値観を崩さないといけなかったりするので大変なのだ。
まあ自分もジジババ世代のほうに近いので気持ちはわかる。

……という前振りをしておいてなんだが、最近の歌は本当に難しいと思う。というか、「難しい歌が受け入れられるようになってきた」というべきだろうか。複雑な歌というのは、Queenのボヘミアンラプソディを始め、世の中に出ていなかったわけではないと思う。しかし、めまぐるしく展開が変わったり転調に次ぐ転調を重ねたり急にラップが入ったりといった変化球でヒットするものは少なかった印象がある。
そんな中勝手に「令和の歌唱難度爆上げ御三家」として認定しているのがAdo、オフィシャル髭男dism、KingGnuの3アーティストだ。(YOASOBI、Vaundyあたりも肉薄)

曲の特徴としては前述した変化の多さがあるが、その他にも歌唱自体も裏声の多用、ミックスボイス、ロングトーン、単純に速いなど高難度要素が詰め込まれている。
先日Adoの「唱」という曲を初めてちゃんと聞いたのだが、その難度の高さに驚いた。がなりを入れるわ速くなるわシャウト挟むわ裏声入れるわで、まさに発声技術をつめこんだおもちゃ箱みたいな曲。これだけの歌が歌える喉の強さ、音域の広さなどから、なるほど顔出ししなくてもこれだけ支持を受けるわけだと納得したものである。
ちなみにオフィシャル動画のようなので以下リンクも貼ってみる。

最初サビだけを何回か聞いて「耳に残るなあ、なるほど覚えやすいかもしれない」と思ってフルで聞いてみたら「こりゃ無理」となった。まあ元から歌ったりはできないが。


で、注目したいのは「なんでこんなに難しい歌が受け入れられるようになったのか」である。これに関しては以前から仮説を持っている。ズバリ、「カラオケや歌い手といったものが浸透したから」だと思う。あまりに普通の結論ですみません。
ぶっちゃけ、「みんな昔より歌上手くなってる」と思ったことはないだろうか。俳優とかが歌番組でのコラボなどで歌を披露しても、壊滅的にヘタなのは聞いたことがない。だいたいそれなりに歌えるし、それを見たネット上の反応で「天は二物を与えた」「イケメン(または美人)なのに歌も上手い」「声良すぎ」みたいな賞賛を受ける。
まあ、カラオケアプリなども出てるし日常的に歌っていれば練習と一緒なのでそりゃあ上手くもなる。みんながそれなりに上手くなれば相対的に「けっこう上手い」程度では目立たなくなっていく。そうなると珍しい声質か、はっきりとした歌唱力の高さなど抜きんでるための要素が必要になってくる。ただ、普通の歌を外さずに歌うだけであれば一般人でもそこそこできるので、アピールポイントとして「難しい歌を歌いきる」にたどり着くわけだ。
「歌えるもんなら歌ってみろ」的な難易度の歌が出ては、歌い手的な人たちがカバー動画を上げて「こんな難しい歌を歌えるなんて」と称賛を浴びて、またその繰り返し……となってるうちに曲の難度もインフレしてしまったのではないだろうか。あとは単純にたくさん曲が出てるからシンプルな曲調だと知らぬ間にパクリになりかねないというのもあると思う。

まあ、体操だって昔は最高級難度を「ウルトラC」とか言われてたのがいまやF難度の時代である。歌も同じように進化していると言えるのかもしれない。自分も難しいけど歌い甲斐があるなあ、と思った曲は優先的にカラオケで歌ったりもするし。でもさすがにAdoとかになると歌ってみたいとは全く思わずただすごいなと思うだけだ。そのうちまた逆にシンプルな曲が流行りだしたりするかもしれないが、そういう時代になったら「令和初期ってなんか複雑なの多かったなあ…」といったように振り返られるのかなあ。
90年代くらいのCD全盛期を振り返った時に「なんかやたら打ち込み系多いな」と感じるようなもんで。

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