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いかにして私はコピーライターを挫折したか。 第11話 激動編

10話までを読んだ昔の同僚が感想をくれたのだが、死ぬほど忙しかった時期に関してはみんな忙しかったことだけを覚えていた。
自分は前話で書いた通り「車に軽く轢かれて休みたい」と思っていたのだが、
「自分はビルが爆発しないかなと考えてましたよ」
「俺は車通勤だったからこのまま事故を起こそうかなと思ったことあった」
といった物騒な思い出話に花が狂い咲きサンダーロード。


凄まじい多忙時期が、結局どのくらい続いただろうか。詳しく覚えてないが、たしか3~4か月ほどだったと思う。けっこう離れたところから通っていたため時間帯的にタクシーでしか帰れず、タクシーチケットをもらいまくっていたので、ちらっと「近くに引っ越したら?」という打診もあった。両親と住んでいたのでとりあえず食事や洗濯を考えなくてもいいというメリットが大きく断ったのだが、独り暮らしなら生活が破綻していたのではないかと思う。「何で会社の都合でこんだけ働かされてんのに会社の都合のために引っ越しまでせんといかんのじゃい」というような反発も正直あった。

なお社内一の激務野郎であった広須君は、週に3~4日泊まっていることもあり、深夜に給湯室で頭を洗ったりしていたらしい。さすがに給湯室のシンクに湯をためたりはしていないようだが。

会社は一度グループ会社と統合していたが、結局また分社化していた。相変わらずやっている内容は同じであり、何で分社化したんだと思っていたが、なにやら代理店との関係とかいろいろ大人の事情があるらしかった。
広須君と仲の良かったアートディレクターの与田(仮名)さんもそちらの分社のほうに所属していて、コピーに行き詰ったが社外にも出づらい雰囲気の時は3人で雑談をしたりしていた。「ゲーム好き」という共通項があったからだ。社内に同じ趣味の人がいるのは意外と息抜きになる。

コピーのほうは、酒村さんに容赦なくボツを食らいながらもデザインに助けられたりしながら何とかギリギリ切り抜けている、という状況であった。やや話がずれるがこの会社はなぜかコピーライターが代理店の窓口をする、という慣例があり、電話が来るととりあえず自分が受けていた。おそらくデザインの手をいちいち止めていたら効率的ではない、ということなのだろう。とはいえまだまだ若手もいいところの立場では、結局ただの伝書鳩となるので自分の場合はあまり関係なかった。

「酒村さん、こないだのデザイン再提案いつになるかという電話です」
「あと1週間かな」
「1週間かかります。え?遅いですか?はぁ、ある程度ラフでもいいから早く、と。酒村さんそういう話なんですが」
「それなら3日でいいよ」
「それなら3日で大丈夫です。……え?『それなら』とはどういうことだ?いやそういうつもりではなくてですね」(電話口から罵声

代理店ブチギレ事件その1(その3まである)。単語として投げやりにとられたんだろうなあ、と思うけど当時は「代理応答しただけなのに何でこっちがブチギレられてんだ」と理不尽を感じていた。
そんな感じでやっていたせいか次の年の健康診断で「胃カメラ飲んだほうがいいね」と言われて、飲んだら飲んだで「気になる痕が」とか言われてひやひやしてたら最終的に「胃潰瘍が治ったあとですね」となった。胃潰瘍に対応した覚えがないので「あの激務時代だな…」とすぐ見当がついたものだ。

ということであいかわらずヘボコピーをどうにかこうにか叩いて形にしながら、それなりに落ち着いた日常が戻ってきたかと思いきや、しばらくしてまたもや事件が起きた。

「新しい会社を立ち上げるので、そっちに移ってくれ」

ええええーーー。って激動なのこの部分だけやん。
次回、流転編に続く。


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