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威を借るのか、操られるのか。

「虎の威を借る狐」という言葉がある。まぁ有名なので意味はご存じと思うが、 要は自分以外の大きな力を自分のものとして使うことを指す。具体的なシーンとしてはヤンキーが「俺の先輩はヤクザだぞコラァ」と言ったり、クソガキが「僕のパパは社長だぞオラァ」と言ったりとかである。

大きな力と言えば、メディアの力はその一つだ。個人だけでは大声を上げるくらいしかできないのが、電波や誌面の力によって発信力がめちゃくちゃ高まることがある。
ネットが普及してYoutuberはもちろん、アイドルやら配信者が増えることで、そういった「メディアで発信力を増幅できる人たち」がすごく増えた。

何せ水曜日の玩具タレント・クロちゃんですら配信を行い、しかも投げ銭を受け取っている時代だ。実際の様子を「水曜日のダウンタウン」で見ながら「え、クロちゃんに課金?」と違和感を抱いたが、スタジオゲストも同じことを言っていてやっぱりそこ引っかかるよな、と思った。
自分が「配信に応援で投げ銭する」という文化に慣れてない、というのはある。それゆえか「珍獣に餌をやってるような感覚なのか?」とうがった目で見てしまうが、まあそれは別の話。

人気配信者には「いつでもフォローしてくれる人」がいるわけで、これはとても心強いことだ。ただこのへんが信者化してしまうと裸の王様にもなりかねない。明らかに社会的にダメなことをやっていても「味方です」「世間がわかってない」みたいなコメントに溺れていたら「自分は間違ってない」となってしまうのではなかろうか。

なお、メディアの力と言えばネット普及前はテレビが圧倒的であった。タレント議員が未だにけっこう当選しやすいのも「テレビで見たことあるから信頼できそう」という謎の期待感が寄与していると思われる。
バラエティなどでたまに出てくるのが「テレビ的な期待」という『威』だ。ネタ無茶ぶりとか、答えたくないことを言わされるとか、その裏には「視聴者が見たがってるんだからな」とか「このバラエティの現場を壊す気か?」という圧がある。最近は多少収まったように見えるが、アンタッチャブルのザキヤマなどは結構この圧をよく使っていた。他の人間に無茶ぶりをして嫌がられながら、「これはテレビ的においしいんだから正しいでしょ?」という空気で押し通していた。
まぁ実際面白いシーンになることも多いし切り返しも上手いのだが、たまにちょっと「テレビの圧を使いすぎだな」と思うこともあった。柴田とのコンビ出演が復帰してからは上手いバランスになっている気がする(そのぶん柴田が大変そうだけど)。

まあテレビの力というのはそれくらい大きいということだろう。そして前述したようにネットの力もどんどん圧を持ってきている。「親のクレジットカードでスパチャに500万課金」などというニュースも見たが、ライブ配信で 「投げ銭をせねば」「名前を呼んでもらわなければ」という見えない圧が相当あるのではないかと推測する。配信者が「みんなスパチャくれ」と圧をかけるパターンもあるらしいが、その発言に力を持たせるのは「みんなからの人気を背負っている」というである。配信者自体の人気だから虎の威を借る狐とはちょっと違うが。
そしてそれはいつでも逆のパターンにもなり得る。「投げ銭してほしければコレをやれ」「もっと露出しろ」みたいな視聴者からの圧である。いわば公開制の操り人形。確か以前に警察とのやり取りやらを何でも配信する未成年配信者がいたが、これは炎上騒ぎを面白がって視聴者が支援していたという記事を読んだことがある。親が小遣いなどを取り上げて配信などをできないようにしても誰かがネットを通じて金や機材を送ってきて…みたいな話だった。まさにマリオネット人生。「応援してるぞ」と言いながら現実でボロボロに叩かれるのを楽しんでいるのである。下劣。

炎上系Youtuberとか迷惑系Youtuberとかも結局応援する層がいるから「叩かれても逆に再生回数稼げる」となり、それらを「背負って」いる気になるんだろうな。みんなが見たがっているから正しいんだ、という思い。
ところで、迷惑系Youtuberが逮捕とかたまに見るけど、それもう迷惑を越えて「犯罪系」 じゃないの?

あ、ちなみにアンタッチャブルは全然嫌いじゃないです。むしろ好きな方。

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