紙ナプキンを自分に貼っていた話
なるべく、人目にふれるところで生理の話をすることにした。
あまりに知らない人が多いし、女性の中にも生理痛で苦しんでいるとさぼっているとおもったりする人がいるらしいので、驚いた。
驚愕のあまり、セキララに語っていこうではないか、と思ったのだ。
とりあえず、初潮だ。
初めて生理になったとき、血がでるものだという知識は持っていたが、血は鮮血だと思っていたので、パンツについた茶色いなにかをみたときに、なんだかわからなかった。
わからなかったので、母に聞いた。
母はとても嫌な顔をして、生理用ショーツとナプキン、ブラジャーを投げるように与えてくれた。
今思えば、そんなに嫌なのに、一応準備してくれていたんだな、と思う。
「使い方は……わかるでしょ?」
こういう言い方をされると、うん、といわざるを得ない。
一応、女子だけ集められる保健体育のアレで知っているといえば知っていたし。
さて、ナプキン初装着の時間です。
当時ツルペタだった私は、なんの躊躇もなく、シールを自分に貼りました。
昔のナプキンは、そんなに裏表ががっちりわかる仕様ではなかった。
シールも、こころもとないほど小さいものだった。
(もれない、ずれない、よれない、という広告は、このころのナプキンを知っていると、それほんと大事だよなあ、と思います)
そして、保健体育の授業では、実演は無かった。
そのうち、だんだんモサモサになってくると、シールを剥がすときに痛いのです。当たり前です。
さすがにこれは何かが違うのではないか、と思って母に聞きました。
爆笑されました。
教えてもらえなかったことを爆笑される。
子どもにだって、恥ずかしさはあるのです。
そんな親にブラジャーを買ってくれ、とはなかなか言い出せず、雨が続く季節など、湿ったブラジャーをつけたりしていたので、いまだにブラが湿っていると死にたくなります。
でも、私はいま大人なので、自分の働いたお金で、自分のために、たくさんのブラジャーを買うことができます。
正直やや買いすぎなのですが、精神衛生にとてもいいので、ブラはたくさん買っていいことにしています。
母はなにかとこういうことの多い人で、私はいちいち真っ向から小さく傷つけられ続け、医療ネグレクトで死にかけ、こいつには何をいっても駄目だな、という絶望にいたりますが、それはまた別の話です。
幸いにして私は、そっくり同じことを娘にやって鬱憤をはらしてやろうぜ!というメンタリティを持ち合わせなかったので、思春期に突入した子と一緒にかわいいブラを選びに行き(楽しい)、かわいいサニタリーショーツを選び(楽しい)、ナプキンを収納するかわいいポーチを作ったりしています。
母になって初めて母の大変さがわかった!ありがとう!という話はよく見かけますが、私の場合は、あー、うちの母ダメだったじゃん、よく生き延びたな自分、と思うことしきりです。
なるほど、そういう取り扱いをすると、人間って壊れるんですね、という実例をみた気分。
それを小さな、小さくなくなっても庇護が必要な子にすることができたということは、彼らはそれをしてはいけない、ということを知らなかったのでは。自分たちもそのように育ってきたのではないか。
わかりやすく私の人生の障害物だった父が、実は医療に関しては、乳幼児期限定ではあるが、私の命をこまめに救っていてくれたことが判明したり。
衣食住を死なない程度に確保してくれて、学校にも行かせてくれてありがたい。でも、それはヒトとしてやってはいけないことをやってもいいということにはならない。
私がつらかったこととは別なのです。
ライカ犬と比べて乗り切るべき事柄ではないのです。
短期的にとりあえず乗り切らなければいけないときは、ライカ犬方式は力を発揮するのですが、苦しみの絶対値が減るわけではない。
なんとか大人になれて、自分で自分をケアできるところまで生きたのは、ほんとうに運がよかった。
周りの人に恵まれたとしかいいようがない。
生き続けるのが幸せかどうかは、正直いまでもよくわからない。
いや、仕事の責任とか、もうちょっとやりたいことがあるので、検診はマメに行ってますし、健康維持のために太極拳とかしてますし、検診結果もオールグリーンですよ。
生きているうちは生きますよ。