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【遺書4】戦わない奴が笑うだろう

自分は何も頑張ってこなかったと思う。

何も頑張れなかった。

頑張ったけど、結果が出なかった人じゃない。

頑張ったけど、社会に馴染めなかった人じゃない。

頑張ったけど、負けた人じゃない。

頑張ったけど、失敗した人じゃない。

頑張りすぎて、生きるのがつらくなった人じゃない。

頑張りすぎて、疲れてしまった人じゃない。

何も頑張ることのできなかった人だ。

頑張らなかった人だ。

頑張る気力のない人だ。

頑張る気持ちのない人だ。

だから、頑張りすぎてしまう人へのメッセージが響かないのだ。

頑張りすぎて疲れてしまった人への言葉が見当違いに聞こえるのだ。

頑張っても社会に馴染めなかった人への新しい生き方の提案にピンとこないのだ。

頑張りすぎた人のつらい経験に共感できずにいたのだ。

誰かの言葉に救われることもなかった。

誰かのつらさに共感することをおこがましく思ってきた。

頑張りすぎなくてよい、とか。

頑張らないことを頑張ろう、とか。

あなたは今までもう十分に頑張ってきたじゃないか、とか。

自分をもっと甘やかしてあげましょう、とか。

そんな言葉をまっすぐに受け止められない。

なぜなら、自分は何も頑張ってこなかった人なのだから。

そんな風に言ってもらう権利が自分にはないのだ。

ずっと手を抜いてきたから。

ずっと嫌なことからは逃げてきたから。

ずっと適当にやってきたから。

ずっと責任から逃れてきたから。

ずっとその場しのぎでやり過ごしてきただけだから。

不器用で頑張りすぎてしまう人じゃない。

ずる賢く立ち回ってやり過ごしてきた奴だから。

疲れ果ててしまうまで頑張ってしまう、生きるのが下手な人じゃない。

適当にごまかして、楽をして、その場をしのいできた狡猾な奴だから。

ストレスやプレッシャーに押しつぶされてしまう責任感のある人じゃない。

言い訳して、逃げて、無責任に放り出してきた奴だから。

第三者から見れば、それなりに”頑張ってきた人”なのかもしれない。

勉強も運動も習い事もスポーツも人間関係も仕事も。

でもその実は、怒られない程度にやり過ごしているだけ。

馬鹿にされない程度にフリをしているだけ。

落ちこぼれない程度に。

失望されない程度に。

人の目があるときだけ、やってるフリ。

浮かないように、みんなと同じことを同じようにしているだけ。

随分と自分のことを買い被ってくれる人の多いこと。

自分はそんなに評価されるべき人間じゃない。

頑張って結果を出した人に嫉妬する権利はない。

頑張っていないのだから。

頑張って結果を出した人に憧れたり、尊敬したりする権利もない。

これから頑張る気もない人間だから。

頑張っても失敗した人を笑う権利もない。

自分は頑張ってすらいないのだから。

今、必死に頑張っている人に共感したり、応援する権利もない。

自分は今も、これからも頑張らないのだから。

頑張らなかった、事実だけがここにある。

中島みゆきの「ファイト!」という曲がある。

有名なフレーズで

「戦う君の歌を 戦わない奴らが笑うだろう」

という部分がある。

戦っている人は、努力している人は、頑張っている人は、

文字通り「ファイト!」と応援されている気持ちになるのだろう。

背中を押される気持ちになるのだろう。

自分は違った。

自分は「戦わない奴ら」の側だから。

とても素敵な歌詞だな、と思うと同時に自分を否定された気持ちになった。

頑張っている人を遠巻きに見て笑ってるだけの奴だから。

自分はやりもしないのに口だけ達者になったやつだから。

でもどうだろう。

「戦わない奴ら」なんて自分にピッタリじゃないか。

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