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犬死に論の言霊

◉X(旧Twitter)上で、またぞろ特攻隊は犬死にだ論を言い出した人がいたようで、タイムラインにチラホラと流れてきますね。毎度のことでバカバカしいのですが、なぜ執拗にこういう事をいうかと言えば、これは日本人の言霊思想だから、なんですね。ちょっとその点について、簡単なまとめを。

犬死にという語を導入すると人の死を「役に立つ一流の死」と「役に立たない二流の死」に仕分けることになります。 僕はその判定を下せるだけの高みに立っていないので犬死にという語を使いませんが、使ってる人を見たら「ご自身はその高みに立ってると自認してるかたなんだな」と思います。

https://x.com/chinoboshka/status/1734420120125280732?s=20

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、X(旧Twitter)で検索したら出てきたイラストですが。なんかイメージに合ったので。

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■御霊信仰とは?■

日本人には、怨霊信仰(御霊信仰)が根強くあります。もともとは、大陸の祖先崇拝が元になったようですが。怨みを持って死んだり、非業の死を遂げた人間が怨霊となって、地震や津波や疫病や旱魃などの天災をもたらす、という信仰です。長屋王が亡くなった後、失脚を画策した藤原四兄弟が、次々と疫病でなくなったため、そういう御霊信仰が生まれたとう指摘があります。大宰府に左遷された菅原道真公の没後、清涼殿に落雷があって死者が出たため、より強化され。以降は、何かあるとあの人の呪いでは、となったわけです。

病死や事故死も痛ましいのですが、戦死者はいずれも望んだ死ではないですし、特攻隊は特に死が確実に待っているという点で、悲惨でしたから。その戦死者を「英霊」という敬称で呼ぶのは、怨霊封じの意味があります。言祝ぐ(寿ぐ)というのは、善き言葉で善き未来を呼び寄せる呪術。なので、そういう戦死者達に「犬死にだ」と言うことは、戦死者が怨霊化するので、言ってはいけないと忌避感が、多くの日本人にはあるんですね。だって、言霊の国の人だから。

同時に、「特攻隊は犬死にだ」と言ってる連中は、悪しき言葉によって悪しき未来を呼び寄せる行為を行っているわけで。これを言祝ぐの逆で、言挙げと呼びます。言祝ぎのカウンターとして言挙げしようとしている点で、実は和製リベラルもまた、言霊の信奉者なのです。だって、それが有効だ・効果があると、無意識に信じているのですから。無神論の共産主義思想が、実はユダヤキリスト教の直系の子孫なように(下記note『ユダヤ・キリスト教の千年王国思想と共産主義思想』参照)。

■言霊信仰の信者■

ではなぜ、そんな事挙げをするのか? 男女平等に貢献した人間を表彰して褒めればいいのに、わざわざ『ミソジニー・オブ・ザ・イヤー』みたいなことをやらかして、無駄に攻撃的なことをする。なぜ攻撃するかと言えば、自分たちが追い込まれているのを自覚して、反撃しているつもりなんですね。自衛隊も日米安保も日章旗(日の丸)も君が代も皇室も、過半数を大きく超える国民が、肯定的に評価しています。そう、60年安保反対闘争も70年安保反対闘争も、学生たちのやったことは「犬死に」だったので。

永田洋子らに殺された16人とか、まさに犬死にです。1989年に、ベルリンの壁が崩壊し、同年に天安門事件が起き。ソビエト連邦は1991年に終演を迎え、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は拉致問題で犯罪国家と一般大衆にもバレて。自分たちが正義の陣営と思っていた国がことごとく、悪の軍事独裁国家だったと、白日の下に晒されたわけです。さらに2022年には、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻と、非武装化と中立化要求で、憲法9条教という、最後の信仰の拠り所も、お花畑平和論とバレちゃった。

そんなもん、1954年発表の『平和論の進め方についての疑問』で福田恆存から批判されてから、わかり切っていたことなんですが。マスコミと教育会を牛耳ってきたため、批判を封じ込めてきたんですが。インターネットの出現とSNSの登場、スマートフォンの爆発的な普及で、情報の流通をマスコミが独占していた状況が崩れ、可視化されてしまい。日米安全保障条約や沖縄の米軍基地が日本の安全に役立っていると思うか世論調査すると、日米安保は「どちらかといえば」を含めて「思う」は沖縄でさえ67%に達し、全国では87%と高い数字に。

■言霊教徒対処法■

だから、犬死にか犬死にでないか、論じても無意味なんですね。信仰の話ですから、決着もなにもないですから。もっとも、犬死に犬死にと言ってる和製リベラルは、何かロジカルなことを言ってると、勘違いしていますから。議論になりません。なので言挙げする人間に対しては「ああ、そうやって侮辱していると怨霊化して、あなたや子孫に祟りますよ?」で充分なんですね。直接言うと、脅迫のなんのと言ってくるので、評論として、フォロワー向けにつぶやくのが吉。自分のことと思って、「なにを非科学的な!」とかせせら笑ってきても、大丈夫。そんな事を言って強がっていても、同じ言霊教の信者ですから。

槇みのり作詞の童謡『お化けなんてないさ』といっしょで、「だけどちょっと だけどちょっと ぼくだってこわいな」なんですから。犬死にと連呼していても、神田明神で平将門公の悪口言ったり、できますかと。できるさと強がる人がいても、無意味です。そんな怨霊を呼び寄せるような言挙げしてる時点で、この国のサイレント・マジョリティは、その人はエンガチョの対象になるんですね。すると陰に日向に、ちょっとずつ縁や運が削がれていくので。人生は70%が運で、でも運は人柄が運んでくると、鍋島雅治先生。

実はそれこそが、言霊の正体です。別に怨霊なんか存在しなくても、そういう言動をする人は、人生で損をする。まぁ、損得観て関係ないと、うそぶくでしょうけれども。そんなつまらん人生で、あなたは満足ですかと。自分は社会を変えているんだと、自負しているのでしょうけれども。でも、60年安保反対闘争も70年安保反対闘争も、学生たちのやったことは、社会を混乱させただけで、日本と日本人を危うくしただけではありませんか? 今やってることがまた同じでない保証、どこにあるんですか?

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