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ココナッツの歴史

◉子供の頃、教養娯楽番組『すばらしき世界旅行』などで登場した椰子の実──ココナッツの中のジュースが、美味しそうで美味しそうで。いつか飲んでみたいと思っていたのですが、実現したのは社会人になってから、社員旅行でのハワイで。美味しかったですねぇ~。タイに遊びに行くようになると、小ぶりのココナッツジュースがよく売っていて、美味しくいただきました。中の果肉も美味しくて。そんなココナッツの歴史をわかりやすくまとめたnoteがあったので、ご紹介を。

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ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、椰子の実です。

■ポリネシア文化■

日本文化の基底に、ポリネシア系の文化があることは、何度も書いていますが。ポリネシア人は、現在の台湾や対岸の福建省あたりが発祥の地で、今から4000年ほど前に太平洋の島々に漕ぎ出して、東南アジア各地に拡散しています。トンガ王国などが有名ですが、南はニュージランドのマオリ族、北はハワイ諸島、東はイースター島まで到達していますし、たぶん南米大陸にも到達して、サツマイモの伝播ルートになった可能性もあります。下のGoogle Mapの画像の、右の赤いポイントがイースター島です。まさに、大海洋民族。このポリネシア系が、椰子の実を伝えたわけで。

島崎藤村の童謡『椰子の実』が有名ですね。民俗学者の柳田國男が、愛知県の伊良湖岬の恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実について藤村に語り、そこから着想して生まれたのですが。椰子の実の外皮は固く、そうやって遠く東南アジアから日本にも流れ着くわけで。海洋民族のポリネシア人からしたら、船に積む保存食であり、水分であり、到達した島に植える種でありと、実に有用な存在だったでしょうね。必然的に、環太平洋の島々に引く分布し、ハワイといえば椰子の実、タイと言えば椰子の実といったイメージも定着しました。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子やし一ひとつ
故郷ふるさとの岸を離れて なれはそも波に幾月いくつき

■ココナッツ・ミルク■

ここらへんは、バナナとも似ていますね。バナナの原種はマレーヤマバショウ(M. acuminata)とリュウキュウバショウ(M. balbisiana)とされますが、どちらも東南アジアの原産。そこから、アフリカ大陸や南米大陸まで広がって、人類にとってなくてはならない存在に。バナナも、その葉の繊維を利用したり、幹からお酒を作ったり製紙用チップに利用したり。こちらも、ポリネシア人の移動とともに、各地に伝播したようです。人類はそうやって、有用な作物を共有してきたわけで。

椰子の実の果肉から作るココナッツ・ミルクは、東南アジアの料理では、味わいをまろやかにする効果があるので、辛い料理にもよく使われていますね。ミルク粥にも使われますが。お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれたとき、スジャーターという村娘からミルク粥をもらったとあります。インドですから、水牛や牛の乳などの動物性のミルク粥ではなく、ココナッツ・ミルクの粥だったのかもしれませんね。お釈迦様が悟りを開かれたのは、ガンジス川のナイランジャナー川の近くですから、椰子の実が早くから伝播していても、不思議はないですし。インドは今でも世界的に、ココナッツの消費が多い地域です。

■ココナッツ・オイル■

石鹸の原材料として、鯨油の時代があり、ココナッツ・オイルの時代があり、それが今は大豆油の石鹸の原料になった時代の変遷も、興味深いですね。これらやペストの流行と、衛生観念の発達があり、そこで石鹸の需要が高まると。今だと、アブラヤシのほうが油を取るには効率的なんでしょうけれど。でも、海岸でも育つココナッツは、痩せた土地でも育つので有用だったのでしょう。大規模なプランテーションでの栽培。いろいろと有用な植物ですから、そういうことも可能なんでしょうけれど。オマーンのアラブ人が元祖プランテーションってのが、興味深いです。

アラブ人というのは、東西貿易の要衝の地を抑えていて、その意味で世界の流通を握った商人なんですが。宗教的な対立から、中東経由の東西貿易を避け、アフリカ周りの航路が開拓され。やがてそれがコロンブスのアメリカ大陸到達に繋がり。南北アメリカ大陸から、トウモロコシ・ジャガイモ・唐辛子・トマト・煙草などなど、多くの作物がヨーロッパに入ってきて、世界に伝播し、人類の生活は変わりました。くいう、作物から見る世界史は、本当に面白いです。椰子の実は大好きですが、あんがい盲点だったので、良い学びの機会になりました。

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