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東京新聞の珍社説

◉東京新聞の社説が、各方面からツッコミをくらっています。元々は愛知県名古屋市に本社を置く中日新聞の子会社で、ここ数年は左側に振り切った編集方針で、朝日新聞以上に朝日新聞という感じなのですが……。軍事音痴は相変わらずですね。というか、日本のマスコミは戦前も戦後もずっと、軍事音痴なんですが。さらに政治音痴に外交音痴も合わさって、非武装中立論なんて珍論を、何十年も批判できませんから。高学歴は知性を証明しないという代表的な職業が、新聞記者なのかもしれません。

【<社説>年のはじめに考える 「平和外交」を立て直す】東京新聞

 昨年十二月、新しい「国家安全保障戦略」が「国家防衛戦略(旧防衛計画の大綱)」「防衛力整備計画(旧中期防衛力整備計画)」とともに閣議決定されました。
(中略)
 「日本も戦後、他国を攻撃しないという専守防衛で培った世界的な信用資源がある。その延長線上で防衛体制を強化する方策があるのに、反撃能力を持って自らその信用資源をかなぐり捨てる必要はない」。国際政治学者で東大大学院教授の遠藤乾氏は本紙のインタビューでこう指摘します。

 戦争とは政治の延長線上にあると指摘したのは、プロイセンの軍事学者クラウゼビッツです。長年読み継がれる「戦争論」の慧眼(けいがん)に学べば、軍事的衝突は政治・外交の失敗にほかなりません。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/224155

ヘッダーはAmazonのサムネイルより、超訳戦争論の表紙の一部です。

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■戦争論のキモの部分■

カール・フォン・クラウゼヴィッツは、プロイセン王国の軍人で軍事学者。ナポレオン戦争にプロイセン軍の将校として参加し、最終階級は少将。引退後に執筆した『戦争論』で知られますが。戦争論は、国民国家が誕生し、戦争の在り方が大きく変わった時代に執筆されたため、名著として評価が高いです。しかし同時に、批判もけっこうあります。孫子の兵法と比較されて論じられることもありますが、東京新聞の社説とは、批判の論点が違いますね。

クラウゼヴィッツは、「戦争というのは政治の一部であって、それを別物と考えるのは違うよ」というのを言った人です。ザックリとした話ですけどね。だいたいの人間は、人間というのは政治は政治、外交は外交、戦争は戦争と、思い込んでしまいがちですが。外交も戦争も、形を変えた政治だよというのがクラウゼヴィッツの視点です。実際、東京新聞のこの社説は、外交と戦争を別モンだと誤解しているでしょ? 外交が良手で戦争は悪手だと思い込んでいる前提。

実際には、外交交渉力というのは、かなりの部分で軍事力の裏付けが必要です。もちろん軍事力だけではなく、経済力であったり、保有する資源の量であったり、国民の数であったり、その国民の教育レベルの中央値の高さであったり、歴史や文化や伝統というのもその一部でしょう。そういうのを総合して、国力と呼ぶ部分もあります。しかし最終的に何かを他者に強要しようとしたら、力の裏付けが必要なのは一緒です。残念ながら国際政治というのは、暴力団の力の論理に、極めて近い側面があります。

■国民国家と徴兵制度■

そもそも、ナポレオンのフランス軍はなぜ強かったのか? ナポレオンという人物が、軍略の天才だったのは事実ですが。フランス革命によって絶対王政が倒されて、国民主権の国民国家が生まれたから戦争に強くなったんです。なぜ国民国家になれば、戦争が強くなるか? 徴兵制度によって、兵隊を潤沢に投入できるから、です。フランス革命以降、民主主義の国民国家や立憲君主制に移行する国家が増えた理由は、まさにこの戦争の強さゆえです。

絶対王政の時代も徴兵制があって、そこらの農民とか職人とかが徴兵されていたという、思い込みがありますが。王政の国での軍隊は、王様がポケットマネーで私的に雇ったモノが基本です。つまり王立軍。そして兵隊の多くは金で雇われた傭兵。バチカン市国の衛兵がスイス兵なのは、山がちで他の産業もあまり発達していなかったスイスでは、男は大柄で屈強な体格を生かし、傭兵として出稼ぎをしていた歴史があります。『アルプスの少女ハイジ』のアルムおんじが、偏屈な人間になったのも、戦場での悲惨な体験が原因という時代背景があります。

■傭兵は弱く徴兵は強い■

自分たちは、農民の徴兵と傭兵ならば、プロの傭兵の方が強いと考えがちです。ところが戦争というのは、個人の体格や戦闘能力だけでは、勝敗が決まらないのです。第二次世界大戦中も、日本人よりはるかに体格の優れる白人や黒人のアメリカ軍が攻略できなかった地域を、ハワイ日系人部隊が短期間で攻略できた事例が、多数あります。自分たちが戦果をあげることが、アメリカ合衆国への忠誠心を示し、強制収容所で待つ家族のためになるという、目的意識の強さゆえ。

国民国家も同じです。それまでの戦争は、王様のポケットマネーの私設軍隊が、土地の奪い合いゲームとして行っていた、他人事でした。ところが国民国家になって主権が国民にあると、〝我々の国〟意識が国民の間に芽生え、対外戦争になっても決死の覚悟で戦います。傭兵というのは金で雇われた兵隊ですから、これは負けそうだなとなったら、とっとと逃げる人間が多いのです。ところが国民国家の徴兵は、死ぬまで戦うという気概を持っている人間が多いです。個々の兵隊は弱くても、軍隊としては徴兵制度の国の方が、圧倒的に強くなります。

クラウゼヴィッツの生きた時代というのは、まさに戦争や軍隊やその制度自体が大きく変わった、転換点の時代でもありました。兵士の数が一気に増え、それまでの戦法や戦術が全く通用しなくなり、国民や産業力などを全部注ぎ込んで戦う、総力戦の時代の幕開けだったのです。だから、それまでの庶民の戦争観でさえも、変化しました。それが、戦争とは政治の延長線であるという考え方を、クラウゼヴィッツが提唱した理由です。

■国民国家と徴兵制度■

その当時のドイツというのは、少領主の連合国家みたいな感じで、江戸時代の幕藩体制に近いと考えていいでしょう。各藩は独自の軍隊を持ち、独自の法律を持ち、藩札という独自の通貨さえ持っていた半独立国です。薩摩藩のように、密貿易で独自の海外貿易や、薩英戦争後に外交活動までやっていたところも、あるぐらいですから。そんな寄り合い所帯状態のドイツは、国民国家になったフランス軍に攻め込まれて、ボコボコにされてしまいます。これは、各地の藩王が対立してたインドが、イギリスに支配された構図とも近いです。

そんな時代の中、ドイツは国民国家へ脱皮しないと、国が滅びるという危機感を持ったわけです。結果的にプロイセン王国が中心となって、鉄血宰相ビスマルクという政治の天才を得て、立憲君主制の国として力を持ったのですが。この、民主主義は徴兵制と表裏一体であるという考えは、日本の反戦平和を口にするリベラル界隈の考え方と、真っ向から対立する現実思考がベースにあります。と言うか、第二次世界大戦の敗戦の反動で、日本のリベラルの思考がいかに飛躍したおかしなものか、ご理解いただけましたか?

戦後日本のインテリと呼ばれた人達は、日本が戦争に負けたのは全部軍部が悪く、軍隊や戦争というものは全部悪だという、非常に単純かつ極端な思考に走り、軍事というものを真剣に考えていきませんでした。その結果生まれたのが、日本社会党の非武装中立論という、お花畑な平和論でした。しかしこれをマスコミは批判する能力もなく、むしろ素晴らしい考えだと称賛し続けたわけです。憲法九条信仰とセットで。

■非武装中立論のお花畑■

それが単なる妄想だとバレたのが、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻でした。憲法九条があろうがなかろうが、侵略してくる国は存在するし、それが日本の隣国であるということが、全国民に気づかれてしまった。それどころか、ロシア連邦も中華人民共和国も北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も、日本と領土問題を抱えた核保有国で、しかも全体主義国家で軍事独裁国家であるということが、ようやく認識された訳です。

でもこんなことは、1954年に福田恆存が『平和論の進め方についての疑問』を中央公論で発表した時から、まともな思考能力がある人には当然のことだったのですが……。日本の言論を支配していたマスコミや文化人や論壇、アカデミズムの二流のインテリ達は、福田を無視するか、あいつはロックフェラー財団から金をもらったなどと誹謗中傷することしかできず。正論を封殺しました。

そして、社説を書いているであろう東京新聞の偉いさんは、1954年以前の思考で止まっているわけです。もう世間はすっかり地動説の時代なのに、天動説がいかに正しいかを、力説しているわけです。外交交渉力というのは軍事力の裏付けがあって初めて可能なわけで。しかし、憲法九条があるから日本は外国から攻めて来られないとか、水と森が綺麗な国は侵略されないとか、何の論理性もないことを口走る人間が、多かったわけです。

これでは新聞が若者から見放されるのは当然でしょう。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ