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武芸十八般と現代武道

◉もう一つ、Twitter から派生したネタをば。こんなツイートが回ってきました。自分が小学校の頃、剣道クラブと柔道クラブは体育館の使用権を巡って、仲が悪かったですね。当然のことながら、両方に所属するなんてことはなく。ところが、小学校の近くの派出所の巡査は、剣道も柔道も両方とも指導と練習に参加されていました。当たり前ですね、警察官には剣道と柔道は必須ですから。

これに対する、自分の引用ツイートがこちら。

尾張藩の下級武士、と紹介されることが多い朝日文左衛門重章ですが。実際は御畳奉行にまで出世していますから、中級武士という感じでしょうかね。弓道場に入門したのは、後にそこの娘を娶るので、別の下心があったのでしょう。免状も、割と簡単にもらっていて、武士が元禄の世にサラリーマン化しているのが、よくわかる貴重な記録です。

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■柔道という発明■

思えば明治の時代、柔術は柔道になってしまいます。日本人は何でもかんでも道にしてしまいますが、柔術と書くと技術を習得するというテクニカルな問題なのに対して、柔道と名乗るとそこには精神修養的な、別の価値が入ってしまいますね。精神修養であるならば、二つも三つも併修するのはおかしいということになってしまいます。私はキリスト教徒でイスラム教徒でもあります、なんて話になってしまいますからね。

その視点で面白いのは、ヨガや呼吸法はこれをたしなむキリスト教徒やイスラム教徒がいるという点。それは宗教的な価値観から切り離された、運動などと同じテクニカルな技術であるとみなされてるからなんだそうです。柔道と柔術の違いのようなものが、そこにはあるわけです。そういう精神修養的なものを嫌って、堀辺正史師範は〝喧嘩芸骨法〟と名乗った訳ですが。ここから、武道・武術・武芸の違いが見えてきますね。

ただ、嘉納治五郎は明治の文明開化の世に、古臭いものとして滅びかねない状況にあった柔術を、西洋の体育教育の概念と、日本古来の精神修養の芸道とを融合させることで、生き残りをかけた側面があります。嘉納治五郎は教育者でもあり、漱石や鷗外と同じ近代人でもありましたから。その狙いは成功し、柔道は警察官必修の優れた武術として、採用され五輪種目に。柔道整復師の資格化も含め、嘉納治五郎の功績は大きいです。

■武芸・武術・武道■

それにしても江戸時代には武芸十八般と言われるように、多種多様な武芸があって、それを併修するのは当たり前でした。芸ですから、それは三味線や笛太鼓などの歌舞音曲、彫刻や工芸やなどの芸近い存在と、思われていたのでしょう。自分などは、道場で総合格闘家とスパーする程度ですが、それでも人間はある種目の専門家でも、知らない分野は素人同然というのを、総合格闘技は知らしめました。

さらに、剣道もやってたので、一流の総合格闘家も、自分程度の剣道経験者でも翻弄できちゃうわけで。武術は本来、流派内に武器術も含む総合武術だったんですね。坂本龍馬が最初に学んだ、土佐藩で盛んな小栗流は剣術と柔術を含みます。龍馬はさらに江戸の千葉道場で、薙刀の免許を貰っています。武芸百般などという言葉もあるように、実際に武芸は本当に多種多様ありますからね。Wikipedia にあげてある武芸十八般を、以下に転載しますね。

弓術
馬術・騎馬術
水術(泳法術)
薙刀術
槍術
剣術
小具足
棒術
杖術
鎖鎌術
分銅鎖
手裏剣
含針術
十手術・鉄扇術・鉄鞭術
居合・抜刀術
柔術・和術
捕手術
もじり術
しのび(隠形)術
砲術

実際には、時代によって変動しますし、小具足や十手術などは、剣術と小太刀術などクロスする部分が多いですからね。含み針とか、もうフィクションの世界でしか見る事は少なくなっていますが。この中に相撲が含まれないのは、武術と意識されないぐらいに一般に浸透しているからか、柔術の中に含まれるという認識なのか。武芸十八般という考え自体が中国由来のものだから、含まれなかったのか? これも興味深いです。

■古流武術と現代武芸■

これらの武芸自体は、今では古流武術として愛好する人、剣道や柔道や弓道のように、近代スポーツと融合する中で競技化され、精神修養的な部分が付加されて道になったものも多数ありますが。武芸家武術という側面からすると、実際に犯罪者や暴徒と相対したりする警察官や、戦場で使用する可能性もある自衛官にとっては、昔ながらの実戦的価値を持っていそうです。なので、古流武術が現代武芸として、どうなっているか書き出してみましょう。

・剣術→剣道
・柔術→柔道・自衛隊格闘術
・杖術→警杖術
・槍術→銃剣道
・薙刀術→刺股術
・捕手術→逮捕術
・捕縄術→捕縛術(手錠が高性能化)・ボーイスカウト
・十手術→警棒術
・小具足→ナイフ術
・手裏剣→手榴弾などの投擲術
・砲術→拳銃・アサルトライフル
・馬術→白バイ・各種車輌運転技術
・水術→水泳・ライフセービング
・忍術→通信・暗号術 栄養学(携帯用軍食)

捕縄術などは、犯人護送の際の腰縄など、まだ一部に残っていますがむしろ、ボーイスカウトなどで教えられるロープ技術など、そっちの方に吸収されてるかもしれませんね。カウボーイのロープ技術などは今でも現役の、生きた技術ですから。現代の武芸としては、居合術や抜刀術、あるいは分銅鎖や鎖鎌術などが完全に、古流武術の範疇に入ってしまいましたね。逆に、空手のトンファーはアメリカの警察官が採用するほど、その実用性が評価されたり。

警察官ですと、制服の紐の先にホイッスルがついています。武術ではないですが、戦場での法螺貝や、江戸時代の岡っ引きが用いた呼子笛に近いんですよね。中に玉が入っていないタイプの単管笛は海上保安庁・ライフセーバー・船舶関係者など、水に濡れる職業で用いられ、海上保安庁公認の救命胴衣にも必ず単管タイプのホイッスル装備が義務付けられているそうです。こういう視点で見ると、興味深いですね。

■武芸という文化遺産■

日本の剣術は、江戸時代以降は両手持ちが主流になりましたが、個人的な経験から言えばこの両手持ち、槍や薙刀などの長いポールウェポンを扱うにあたって、習得が早いんですよね。そういう意味では、剣術をベースに杖術や警棒術、刺股術などを学ぶのは有効でしょう。柔道も組技としてはものすごくよく出来た技術体系ですから、これをベースに関節技を逮捕術として組み込むのが効率的。

そういう意味では、警察官が剣道と柔道必須なのは、合理的なんですよね。これに砲術、つまり拳銃の技術を加えれば、現代の犯罪者に対応するには必要十分な技術が身につくのですから。実際、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業の嘉納治五郎は、崩しの理論の発見と技術の体系化によって、誰でも学べある程度以上に強くなれる、優れた教授体系を持つ、教育ツールにもなったわけで。

昔、道場で知り合ったフランス人に言われたのが、背負投や内股で相手を綺麗に投げられる技術を発見した日本人は、素晴らしいと。レスリングの技術体系には、首投げ以外は相手に背中を向けて担ぎ上げる技術体系は少ないですから。また、三角絞めや片羽絞めで相手を失神させて無力化できる、よくぞこんな技術を見つけて、体系化し、洗練させたものだと、確かに思います。世界の格闘術でその汎用性が認められてるからこそ、警察や軍隊でも採用されているわけで。

■技術を伝承する意味■

日本では、今日の警察官の拳銃と自衛官のアサルトライフルなど、砲術は日本人には馴染みが薄く、使用も限定的ですが。銃器が一般的なアメリカでは、重要度がずいぶん違うでしょう。だからこそ日本では、弓術は砲術の代替として・併修するのに適していそうです。手裏剣術などもその意味では、ナイフ術の一環として、残しておきたい技術ですね。刺股の制圧力の高さなどが見直したりとように。再評価っていつ来るか分かりませんからね。

ブラジリアン柔術が、バーリトゥードという試合形式を世に広めた結果、フリースタイルレスリングに比較して弱いと思われてたグレコローマンレスリングが、打撃があったり短棒の使用も可の状況では、とても有効な技術体系であると見直されたり。競技化によって普及する反面、失われたり誤解されてしまうものも多いですからね。先人たちが残してくれたこの文化遺産を、継承していくのは現代の我々の使命なのかもしれません。

武術武芸の技って、かつての種痘の種痘苗ように、人間の体を通して伝えていくしかないものですから。いくら伝書や動画で残しても、微妙なニュアンスとか、実際に使用した体内感覚を伝承するのは難しいですからね。そうやって伝承されたものを一旦解体し、再構築し、体系化し、教授体系を工夫し、次の世代に受け継いでもらう。そうやって生まれてくる新たな武術武芸もあるでしょう。

■現代の武芸十八般■

では現代武芸は、伝統継承の古流武術とは別に、総合格闘技・総合武芸的な形で伝承されていく面が、あっていいと思います。これは、単独での武術学習を否定するものではありませんし、精神修養としての〝道〟を否定するものではありません。また、単独で武術を研鑽することによって、技術的な発見や発達があるのは、剣道や柔道や空手が証明しています。以下に、現在の武芸十八般的な存在を挙げてみます。

組技系:相撲・柔道・レスリング・サンボ
打撃系:空手・ボクシング・ムエタイ
武器術系:剣道・カリ・ナイフ術・トンファー術
飛び道具系:弓道・拳銃・ライフル
乗り物系:馬術・自転車・バイク・自動車
生活系:水泳・ライフセービング・ロープ術・栄養学・応急術
通信系:無線・モールス信号・手旗信号・インターネット

こうやってみると、現代でも武芸十八般的な技術が要求されますね。海軍や海兵隊の兵士とかだったら、上にあげたものの半分以上を修得していたり経験してる人は、案外いそうですね。もちろん趣味や道楽として身につけてもいいし、生活に密着した実用の技術として身につけてもいいし。多分その両方がないと、時代と共に廃れていってしまうのでしょうね。安易に失うには惜しい文化だと思うので、伝承されることを願います。

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