ざまぁ系小説と、なろう小説
面白そうなnoteがオススメにあったので、読んでみたら重要な問題を指摘されていたので、シェアします。芦辺拓先生を迎えての小説講座や、中の人の一人から小説の文字校正などを頼まれてる関係から、ここ1年ほどなろう小説をチラチラ読んでいますし、文化放送の『下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ』も毎週楽しくradikoで拝聴してるのですが……確かに、ウェンリー氏の指摘される傾向は顕著です。詳しくは、下記noteをお読みください。
ランキング上位に入っているということは、人気があるのは確かでしょう。では、人気があることが正義かと言えば、実はそこが微妙な部分でもあります。これは小説に限らず、漫画やアニメ、映画、演劇などの、あらゆる物語表現全般にも言えることなのですが……。人気があるに越したことはないのですが、数と質をゴッチャにしていては「ロングテイルで支持されにくい」という側面があります。以下、考察をば。
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■世間が認めてくれない幻想■
本題に入る前に、まずは補助線から。自分は20代後半の頃、高田馬場での呉智英夫子の論語素読の『以費塾』に通っていました。ここでは、講義中の質問が禁止でした。初期の頃は受け付けていたんだそうですが、それは質問ではなく質問のフリをした「ほらほらボクってこんなに優秀なんですよ〜」アピールですから。んで、そういう人間は、自分が自負するほど優秀ではないので、速攻で呉夫子に論破され、翌週から来なくなるんだとか。
何のことはない、Twitterでよく見かける「質問するふりで慇懃無礼に話しかけてくる連中」と同じです。無邪気に「オマエこんなことも知らないのかwww」と突っ掛かってくる釈迦に説法マンよりも、ひねくれてこじらせてるぶん、面倒臭いのですが。呉夫子、最初は『以費塾』を、松下村塾のように志のある若者を育てる場にしたかったそうですが、すぐに気付いたそうです。ここは戸塚ヨットスクールなんだ、と。
自分はこんなに優秀なのに世間が認めてくれない───と、自意識過剰になっている連中を、せめて人並みのレベルにしてやる場なんだ、と。呉夫子らしい毒舌の逆説。なので、質問して論破されて速攻こなくなっちゃう連中に、できるだけ最後まで講義を受講してもらって、自分は自分が思うほど優秀ではないと、自然に気付かせる必要があるわけです。だから、質問禁止に。講義一発目でこう言われて、身につまされた思い出。
■時代が生んだルサンチマン■
平成不況が長びいて、就職氷河期世代(1993-2005年卒の25歳から49歳ぐらい)を生み出しましたのですが。実際、サンキュータツオ氏も語っていたように、前年には20人の新卒を採っていた会社が、バブルが弾けると翌年はいきなり5人ぐらいに採用を絞り、最終面接の10人に残っても就職できなかった人間は出るわけで。こうなるともう、本人の実力よりも時代のせい。ルサンチマン(社会に対する怨恨)を抱えても、それは仕方がないです。
そういう人間に、「実はオマエは大した人間なんだよ」と、肯定してやるザマァ系の物語が受けるのは、当然と言えば当然ですね。異世界転生で無双系も、根っ子は同じ。それが人気ランキング上位に入るのも、理解できます。しかし、それで人気が出たからと書籍化しても、売れゆきは人気投票の数字を反映しないことが、ままあります。漫画の場合だと、Twitterでバズったので書籍化したら、売れる作品と売れない作品に、パックリ割れてしまう。
○○という作品が●万イイネをもらって10万部売れたのに、なぜ同じぐらいイイネをもらった作品が半分も売れないのか? 両社を分けるモノはなんなのか? そこに想いを致さず、いたずらにTwitterやInstagramのフォロワー数を競わせる、創作系の講座もあるようですが。でもコレは出版社の編集にも、よく見られる話。数だけ見て質を見ていない。数なんて、小学生でもどっちが大きいか判るんですから。数値化しづらい質を読めない編集は、無意味です。
■持続可能性とロングテイル■
当講座の受講生であるカメントツくんや石原苑子さん、三本一舞さんのように、Twitterでバズった後、本が売れたり仕事が安定して舞い込んだり、同人誌が完売したりする人と、そうでない人の差はいったい何か? 講座ではよく、こんな例え話をします。「トランプゲームが大好きだったある王様、負けるのが悔しくて、絶対に自分が勝つルールを作り連戦連勝。しかし、ほどなくしてトランプゲーム自体をやらなくなってしまった」……と。
たぶん、この話を理解できるかできないかが、プロになれる人間となれない人間との、差なんでしょう。才能とは別の部分で。バカな編集者は「読者なんてさぁ、作品に辛い現実に打ちのめされて、作品に安らぎを求めてるんだから、異世界転生で無双系やザマァ系が正しいんだよ!」とか言い出すわけです。でもそれ、自分が絶対勝つルールでゲームする王様のようなものですから。そう言えば、開高健氏が『オーパ!』冒頭で紹介した、中国のこんな古諺があります。
ちょっと読点の位置を変え、字句を継ぎ足して字数を整えていますが。釣りに限らず、一生続けられる趣味と途中で飽きる趣味の差は、なんなのか? 常に釣果があって簡単に釣れたら、人間は一生釣りを楽しめるか? 目先の利益や快楽を追う作品作りしかできていない編集者は、そこをもっとジックリ考えて欲しいのです。ザマァ系小説の作者の執筆が、途中で止まる理由も、たぶん此処と繋がっているはずです。少なくとも自分は、そう思いますよ?
■対処療法と根治療法の違い■
酒を飲んで一時の快感を得られても、飲み続ければ飽きるか、逆に依存症へ一直線です。結婚が三日しか幸福感が持続しないのは、中国人に恐妻家が多いという、自虐ネタでしょうか? あるいはセックスは三日で飽きる、と? 豚を屠して喰うのも、焼き肉やチャーシューやソーセージにしてイロイロと工夫しても、いつかは食べ尽くすのですから、継続的な豚の飼育や補給が必要ですしね。してみると、こんな言い方ができるかもしれません。上から目線だと怒るなかれm(_ _)m
例えば、ホリエモンは寿司屋で10年の修業はバカバカしいと言います。専門学校なら1年で技術を教えてくれるとも。それで、名人と呼ばれる技術が身に付くなら良いですが、んな訳はないです。そりゃあ才能と努力と天運があれば、身に付くでしょうけれど、それなら老舗での修業も専門学校も、そもそも関係ないですよね? 寿司を食いたい、そこそこの富裕層がいる地域のリサーチなんて、大手回転寿司チェーン店がとっくにやってるでしょうし。
むしろ、回転寿司チェーン店がけっこう賑わっている地域に、銀座の名店で10年修業した職人が出店した方が、高い技術と目利きに支えられた高級な寿司を食いたい富裕層も、数は少なくとも一定数いる可能性が、あるわけで。これは山田五郎さんの指摘ですが。こういうのが、客を選ぶ(読者を選ぶ)ってことです。哲学を持つということと、表裏一体ですが。哲学、それは戦略と呼んでもいいのかもしれません。
※無料版は以上です。以下は、プロやハイアマチュアを目指す人以外は、読んでも読まなくても関係ない内容なので。興味がある人、売文屋への投げ銭に、多少は対価が欲しい方だけどうぞm(_ _)m
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売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ