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エビデンスと朝日新聞の本音

◉官僚になるか朝日新聞記者になるか悩んで、正義のジャーナリストになった上級国民の朝日新聞記者様が、下々の者に下賜する記事をありがた~く読めばいいのに、エビデンスを生意気なモノを求めてきやがる───というのが、本音なんでしょうね。好き勝手書いてきたのに、エビデンスを求められて窮屈だと。汚染水を連呼して、科学的エビデンスで詰められて、よほど悔しかったのでしょう。

【「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは】朝日新聞

 何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。なんだか自分の感覚や経験則には、なんの価値も無いような気がしてしまう。「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)の著者で、大阪大学教授の村上靖彦さん(53)に、エビデンス重視の世の中にどう向きあえばいいか聞いた。

https://www.asahi.com/articles/ASRBZ3JWJRBWUCVL003.html

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、エビ🦐のイラストです。

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■ならず者の方法論?■

この記事を読んで思い出したのが、ドキュメンタリー映画『GONZO〜ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて〜』ですね。ハンター・S・トンプソンはニュー・ジャーナリズムの旗手と呼ばれたアメリカのの記者。暴走族などに所属し、高校中退後に空軍に入隊というユニークな前歴で、型破りといえば聞こえはいいですが……かなり強引な手法で非常に主観的な取材をし、作家的な文章でそれを記事にして、一斉を風靡した方です。主著『ラスベガスをやっつけろ』は映画化もされていますね。当人は、2005年に拳銃自殺しています。

エビデンスとは、証拠・根拠、証言、形跡などを意味する英単語 "evidence" に由来する、外来の日本語。一般用語として使われることも増えてきており、多くは、以下に示す分野における学術用語業界用語としてそれぞれに異なる意味合いで使われている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9

もう一つ思い出すのが『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三氏。神軍平等兵と自称し、慰霊と戦争責任の追及を続け、元上官に突撃する破天荒な言動を追うドキュメンタリー映画で、アメリカのマイケル・ムーア監督にも影響を与えています。確かに、そのような思い込みや思い入れは、過剰なエネルギーを生み出し、ある種の突破力になりますが……。しかし例えば、昭和の名刑事として知られる平塚八兵衛は、刑事の勘で数々の何事件を解決しましたが、同時に帝銀事件や下山事件では、思い込みと決めつけで捜査を歪めたという批判もあります。

要するに、村上靖彦大阪大学教授が言っていることは、平塚八兵衛の功罪の功の部分を強調して、罪の部分への批判を封じ込めるのと似たような、ある種の藁人形論法ではないかと、自分は感じます。いくら功績があっても、問題部分が相殺されるわけではなく。この新聞記事ではエビデンスを求めること自体が、何か問題であるかのようにすり替えているように見えます。X(旧Twitter)でコミュニティノート砲を食らったアカウントが、コミュニティノートの内容ではなく、コミュニティノート自体を批判するようなもので。

■オープンレター署名人■

さて、この村上靖彦大阪大学教授ですが───呉座勇一先生への オープンレター署名者として、しっかり名前が残っていますね。このオープンレターに関しては、一種のキャンセルカルチャーであったことは疑えないわけで。呉座先生に非がなかったとは言いませんが、鍵アカウントの中の発言をスクリーンショットで盗撮し、晒すという手法は疑問です。事実、その危険性を察知したのか、あれほど多くの 賛同者がいたにもかかわらず、法曹界からは弁護士が一人だけ署名していた、という事実は動きません。

結果的に、国際日本文化研究センター(日文研)の、専任教員に復職されたわけですから、仕掛けたキャンセルは失敗した、ということで。朝日新聞としては、左派人脈として持ち上げられるし、辺野古基地移転反対派の実態を周知させてしまった西村博之氏に対する、カウンターのつもりで この記事を出してきたのでしょうけれど。それ自体がすでに、世間の感覚とは乖離していますね。

“SNSでも、データを持ち出してきて、自分の気に入らない投稿を批判するような書き込みが目につきます。エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延しているように感じます”

https://x.com/n_kawahara725/status/1719405933091279265?s=20

朝日新聞の河原夏季記者が この記事を紹介しているX(旧Twitter)のポストは、このnoteを執筆している時点で、100.7万閲覧で145イイネ、イイネ率0.014%と、完全な炎上状態です。本文は括弧付きなので、有料部分の引用なのでしょうけれど、1210件もの引用ポストがつけられていますが、そのほとんどが批判に見えます。これはリプライでも同じですが。現代はこうやって、大衆の支持不支持が数値化される、怖い時代ではあります。他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延しているのは、朝日新聞自身ではないでしょうか? 心理学で言う投影ってやつですね。

■直感と当てずっぽうの差■

いちおう釘を差しておきますが、ほんとうの意味での客観性なんて、実は無理だというのは前提としてあります。人間がやることですから、主観や思い込みが入るのは避けられない。それ自体は否定しません。でもその中で、客観性や普遍性や再現性を求めて、議論を深めてある程度の合意や共通認識を形成するのが、近代社会のコンセンサスかと。多数派が正しいとか少数派が間違いとか、そんな雑な議論はしていませんので、ご注意を。しかし、村上靖彦大阪大学教授の言ってることは、グラデーションの雑な塗りつぶしに見えます。

 しかし、個人のそれぞれの経験のなかにも、普遍的な事実はあるはずです。語りの中に小さく折りたたまれた細部を読み解き、語り手の内側にある視点から社会構造を描くと、どうして差別が生まれるのか、困難な状況に追い込まれる人がいるのかが見えてくる。数値的なエビデンスや客観性がとる視点とは逆向きの視点の置き方ですね。

同上

いや、その普遍的な事実を抽出し、ある程度の客観性とか再現性とか、統計的な偏りを見出すのが学問であって、ただの主観を肯定することではないはずです。例えば、野村克也監督のID野球、あるスポーツ評論家は、あれは記録の神様と言われた宇佐美徹也氏のデータを利用しているだけだと批判しましたが。その宇佐美氏本人の弁によれば事実は逆で、野村克也監督から、こういう選手・シチュエーションでは、こういう傾向がないか……という、経験から導かれた直感を元に、統計を取るとそれを裏付けるデータの偏りがあった、という話です。

つまり、村上靖彦氏の言ってることは、この野村克也監督の直感的なことを言ってるのであって、それ自体は否定することではないです。でも、朝日新聞や左派文化人が、論破され王こと西村博之氏から「それってあなたの感想ですよね」で論破されてるのは、そういうレベルの話でさえなく。「昔の選手は甲子園で連投してもプロでやっていけたから、甲子園の日程見直しや球数制限は必要ない」レベルの話をしているから、突っ込まれているだけです。朝日新聞お得意の藁人形論法による、強引な論点そらしですね。

■エビデンス? ねーよ■

朝日新聞の、このような反科学的かつ主観的な体質を表すのが、「エビデンス? ねーよそんなもん」というフレーズを広めた高橋純子朝日新聞論説委員に関するこの記事かと。この記事は2017年12月25日に公開されたもので、あれから6年経ちます。しかし昨年、イーロン・マスク氏がX(旧Twitter)を買収し、キュレーションチームが解散させられ、閲覧数が可視化され、コミュニティノートが一般にも開放されたことで、風向きが一気に変わります。ゴリ押しされていた朝日新聞グループの記事が流れてこなくなり、閲覧数が激減してしまいます。

 【朝日新聞・高橋純子氏 「安倍政権の気持ち悪さ伝えたい」】日刊ゲンダイ

 新聞記者は、ウラを取って書けと言われるが、時に〈エビデンス? ねーよそんなもん〉と開き直る。政治部次長だった時に書いた朝日新聞のコラム「政治断簡」をまとめた著書「仕方ない帝国」(河出書房新社)が評判だ。キチッとした優等生の文章が当然の朝日において、時に〈『レッテル貼りだ』なんてレッテル貼りにひるむ必要はない。堂々と貼りにいきましょう〉とあおり、〈安倍政権は「こわい」〉と言い切る。テンポ良く、小気味いいが、もちろん、炎上も数多い。そんな名物コラムはなぜ、生まれたのか? 朝日新聞論説委員の高橋純子氏に聞いた。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220001

自分はといえば、フォロワー4000人から7000人に増えるのに6年10ヶ月もかかったのに、この1年間で2600人もフォロワー増加。それどころか、このnoteも500人近いフォロワー増加です。要するに、キュレーションチームによって優遇され、下駄を履かせてもらっていたに過ぎないわけです。そして、2ちゃんねるなど初期の掲示板文化で育まれたソース主義に、温室の中でぬるま湯につかっていた左派マスコミや左派文化人は、エビデンスを求められ、今頃オタオタするという周回遅れに陥っているわけです。2ちゃんねるの開設が1999年ですから、20年は遅れています。

けっきょく、自分たちの無謬性や正義を無邪気に信じて、ごく当たり前のことを突っ込まれて反論に窮した左派文化人が、傷を舐めあっているのがこの朝日新聞の記事の正体です。

■万機公論に決すべし■

そりゃあ、板東英二さんのように、甲子園大会でメチャクチャな酷使をされてもプロ入り後、活躍した人はいますよ? でも、坂東さん自体は遊離軟骨(いわゆる関節ねずみ)に苦しみ、投手としては短命に終わっています。また、甲子園の優勝投手で、200勝を達成した投手はゼロです。そういう事実がエビデンスであって、アメリカや韓国のアマチュア野球界では、球数制限という科学的な知見に基づいたルールができたわけです。10%グレーも90%グレーも同じグレーだと、雑にまとめるような詭弁を、自己正当化に利用してはダメです。

「客観性」という言葉が普及したのは19世紀半ば以降といわれていますが、自然科学を中心とした近代的な学問では、再現性や統計的な蓋然(がいぜん)性が重視されてきました。でも、個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実です。同時に誰にとっても意味のあるものになり得る。小説や映画はそうした経験をとらえ、多くの人に伝わる表現に落とし込んでいますが、僕らはそれを現象学で試みている。

研究者ならシチュエーションによっては、それも許されるかもしれませんが。情報を大衆に伝達するジャーナリストがそれでは、困るわけです。「外国人は〇〇に違いない」なんて言ってる人間がいたら、朝日新聞や村上靖彦教授や河原夏季記者は、烈火のように怒るでしょうに。でも、「私は在日外国人に度々カツアゲで金品を強請られ、あの人たちの民族性を理解しています。個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実です」と言ったら、肯定するんですか? 「それとこれとは話は別だ。キミが100回カツアゲされようが、それは個人的経験に過ぎない」と言いませんか?

処理済み水の海洋放出に対して、汚染水呼ばわりするのももまた、エビデンスが不要な個人的な体験の中で感じたことではなく、厳密な科学的根拠が求められる事案でしょうに。少なくとも、全国紙には非科学的なことを主張することは、関東大震災で東京日日新聞(毎日新聞の前身)が朝鮮人への風評被害を煽ったことを踏まえれば、厳に慎むべきというコンセンサスが、新聞業界にはあるはずです。それは子宮頸癌ワクチンの報道にしても、草津町に対してセカンドレイプの町呼ばわりした方々にしても、おんなじです。

『「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは』というタイトルにも、ギョッとしました。地下鉄にサリンを撒いた某教団も、自分たちは真理をすくい取った覚者だと思いこんで、数々の犯罪を実行したのですから。彼らと村上靖彦阪大教授の差なんて、エビデンス以外の何で証明するというのでしょうか? こんな稚拙な記事で、自己正当化を測っているようでは、朝日新聞も実売部数が数年の内に200万部を切って、ブロック紙への転落は避けられないでしょうね。令和の世に、昭和が終わろうとしています。

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