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編集者の見分け方

◉岡本倫先生のX(旧Twitter)での連続ポストが話題になり、スポーツ紙にも取り上げられていますね。とても納得できる内容で、編集者としてと作家として、出版業界の内側と外側から見た編集者の問題点を、的確に言葉にされていらっしゃいました。本業は編集者の視点から、個人的に思うことを付け加えてみたいと思います。

【有名漫画家、初持ち込みで編集者から驚きの“説教”ネット同情「反則だと思う」「苦痛でしかない」】スポニチ

 「エルフェンリート」「パラレルパラダイス」などで知られる漫画家・岡本倫氏が30日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。自身が描いた作品を、初めて編集部に持ち込んだ際に言われた、驚きの“説教”について明かした。

 岡本氏は、初めて「持ち込み」をした際について「特にボロクソ言われた経験はないのですが、当時言われてキツかったのは『漫画家を目指してる人はみんな絵が描くのが好きで中学生の頃から毎日絵を描いてるんだよ。岡本くんは違うだろう。だから下手なんだ』と中学生の頃まで遡って説教されたことです」と投稿。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/10/30/kiji/20231030s00041000323000c.html

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、

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■作画技術を語る編集者■

まずは、こちらのポスト。この編集者、いただけませんね。若い投稿者に対するハッタリや、マウントを取るための手口なんでしょうけれども。ではあなたは、中学から漫画の勉強をしていたのですか、と問いたいです。漫画家は中学生の頃からやっていないとダメだと言いながら、編集者として就職してから漫画の編集になって、そっちは数年で習得できるのか、と。できると言うなら、その習得した絵とは異なる作品づくりの部分を語れば良いのであって、タイムマシーンでもないと戻れないグダグダ言う理由がわかりません。

ぼくは初めて持ち込みしたのがヤングジャンプで特にボロクソ言われた経験はないのですが、当時言われてキツかったのは「漫画家を目指してる人はみんな絵が描くのが好きで中学生の頃から毎日絵を描いてるんだよ。岡本くんは違うだろう。だから下手なんだ」と中学生の頃まで遡って説教されたことです。

https://x.com/okamotolynn/status/1718276120582263157?s=20

編集者は早慶やMARCHなど高学歴ですが、美大に行ってた人はほぼいないでしょう。いいとこ、漫研に在籍したとか、美術部にいたとかで。早稲田大学や明治大学の漫研はレベルが高いですが、漫画家が知ってる技術って、あんがい狭いので。自分の興味やジャンルに必要なものに、特化していますからね。よく解っていないパースについて語ったり、マウントを取りに来る編集者には要注意です。構成や演出やキャラクターなど、他に語る技術も知識もないのですから。

■技術を誤解する編集者■

現実問題、短期間にグッと上手くなる人は上手くなりますし、下手な人はすっと下手です。例えば、水島新司先生の描く実在のプロ野球選手は、あまり似ていませんでした。でも水島先生を下手だという同業者は、ほぼいないでしょうね。江川達也先生は下手だと言うかもしれませんが。いずれにしろ漫画の上手さは、似顔絵の上手さとは別物だとわかります。画家的なデッサンとは別の、例えて言うなら書家の書風みたいなものが、漫画家には必要なんですよね。同じ文字を書いても、ひと目で王羲之だ空海だ良寛だと判る、個性。こちらの岡本先生の指摘が正鵠でしょう。

 「そんなぼくも漫画家になって20年以上、中学生どころか新生児が成人するくらいの年月を漫画を描いて生きていますが、別に神絵師にはなっていません。画力の向上に重要なのは絵を描いた期間ではなく、絵を描くことが好きかどうかでした」。

同上

この法隆寺五重塔は、MANZEMI背景パース講座の受講生が描いたものですが、42歳で受講してという遅いスタートでしたが、本人のやる気があったので、短期間でメキメキと腕を上げました。単純に上手い下手なら、一般人はこれは描けないでしょうし、上手い絵と認識する人も多いでしょう。でも、プロだと上手いけれど個性はない、だからアシスタントとしては使えると思うでしょうね。アシスタントは下手に個性があると、作家が困ります。レオナルド・ダ・ヴィンチが師匠の絵を手伝ったら、師匠より目立ってしまったように。『漫画アマデウス』という安永航一郎先生の傑作もありましたが。

法隆寺五重塔:神宮ハヤト

■プロに説教する編集者■

山本貴嗣先生のコチラの指摘も、とても重要です。『じゃりン子チエ』で知られる、はるき悦巳先生ですが、あの唯一無二のキャラクター造形とタッチこそが、漫画家の価値です。

編集者が新人に説教してくる絵の描き方。はるき悦巳先生は美大出でデッサンも油絵も精密建築模型もできる方でしたが、あの絵を見て「画力がない」と勘違いしたヴぁカ編集が「君はもっとデッサンを勉強した方がいいな」と言ってデッサン全然ダメで書き込みだけすごい劇画家の絵を見せて来てウンザリ。

https://twitter.com/atsuji_yamamoto/status/1718935556938420607?t=4SnrVOZGAABWf1bVSHOxBw&s=19

自分の絵も、転載しておきますね。自分も、他人のマネならうまい部類だと思いますが、そこには個性やオリジナリティがなく、描き手としてはダメなんですよ。だからこそ、作家の個性の凄さとか、尊重するのです。

士郎正宗『攻殻機動隊』模写
美樹本晴彦『ポケットの中の戦争』模写

あくまでも噂ですが、楳図かずお先生が休筆に入ったのは、ある編集者に手の描き方がおかしいと説教され、こういう描き方が良いと、実例を示されたってのがあります。楳図かずお先生とか、まさにあの画風と個性的なキャラクターと骨太なストーリーが渾然一体となって、独自の世界を作っているのですから。キャラクターの造形や構成、演出、イマジナリーラインの踏み越えなどは客観的に指摘すべきですが、なぜ漫画家に絵の指導をしたがるのか、意味不明です。まぁ、目立つところではありますが……。

■ネームを語れる編集者■

だいたい、漫画家は「絵も描ける小説家、または絵も描ける演出家」みたいな存在です。自分でも歌う作曲家みたいなもので。もし小説家が、習字の練習ばかりしていたら、どうでしょうか? そりゃ本末転倒だよねと思うでしょう。だいたい、プロの漫画家は絵はあくまでも漫画の面白さの中心ではなく、数ある要素の1つと思っています。本質的に絵が好きな人が多いので、絵の価値を過大に評価している人も、一定数います。でも画家ではないので、実は大事なのはネーム力です。

漫画家が絵だけで10年生き残るには全プロの中での偏差値70くらいの画力が必要で、それでもお金持ちになれるかどうかは運次第だと思いますが、ネームだけで10年生き残るにはプロの中での偏差値50くらいあればいけるし、ネームの偏差値が70あったら確実に大金持ちになれます。

https://x.com/okamotolynn/status/1718282410876616917?s=20

とても重要な指摘ですね。この、ネームの面白さに思いが至らず、絵の勉強ばかりする漫画家志望者が多いですね。「高校行かずにマンガの勉強をしたい」とか言い出す中学生は、だいたい絵の勉強をマンガの勉強と混同しています。 むしろ、高校や大学に行き、あるいは就職し、海外を見たりすることが、作品づくりの大きな糧になるのですが……。逆に言えば、エのことをどうのこうの言い出す編集者というのは、中学生レベルの漫画への認識と言えます。五教科あるいは三教科さえ勉強してれば合格する大学入試と違って、作話は無駄な経験が糧になる面があります。

■年齢で分類する編集者■

派生して、こちらのタイプの編集者もやっぱりいるようで。ひょっとして、同じ集英社の同じ編集者ですかね? 

これに対する山本貴嗣先生の引用ポストがコチラ。はるき先生は一種の天才ですから、単純には言えませんが。才能ある人間は嚢中の錐。いわんや今は、そういうハードルが大きく下がっていますしね。

徳弘正也先生のデビューは1982年、大学卒業後の23歳で、卒業記念に描いた初投稿作品でデビューされています。これはデビュー担当に直接お聞きしました話が、投稿作を見て担当につくことを希望の編集者が何人もいた、とのことでした。作品の好き嫌いはあっても、ジャンプ編集部には徳弘先生の才能を見抜く編集は一人ではなかった訳で。「二十歳で持ってこられても」云々は、その編集者の私見に過ぎないかと。そもそも、ゼロ年代以降の方が80年代よりも、デビュー年齢は上がっていますので。

■一般傾向を語る編集者■

編集者時代、配属された直後に先輩に言われたのは、「少女誌の投稿者で、流行に対するセンスがズレるのが27歳ぐらい」ってのはありました。特に勉強したり情報を追わなくても、ファッションとか流行語、流行りの音楽、流行りの食べ物とかの情報が、自然に入ってくるのがそれくらいで。それ以降は、意識して摂取する必要はありますから。これがプロデビューして専業になれば、一日中テレビやラジオを付けっぱなしで、何歳でも関係なくなりますが。

また昔の少女誌は中学デビューや高校デビューも珍しくなく、27歳限界説は自分自身の経験からも、ある程度は納得です。ただこれは、漫画家に挫折したときにやり直しがきく年齢ってのもあって、絶対ではなかったですね。みずみずしい感性の30歳もいれば、ぎょっとするような時間が止まった20代もいましたし。事実、90年代も後半にはもう、少女誌でも30歳超えてのデビューとか、珍しくもなくなっていました。年齢は現在はほとんど関係ないですね。40代50代のデビューもあるし、それこそX(旧Twitter)で名前を上げるなら還暦でも構いませんし。

少年誌で20歳でとか、ちょっと何言ってるんですか状態ですね。いつの話だろう? 断るために、デタラメ言ってたんじゃないのかな? 27歳ぐらいから意識して情報を追うとか、そういうのは作家にとって有用な情報だと思うんですよね。35歳から記憶力が堕ちるので、メモを取る癖を若いうちから付けておいたほうが良いとか、50歳からは体調がいいときのほうが珍しいから、40代から意識して運動しておけとか、そういう先陣の経験を伝えるのも編集の努めかと。よく知らないパースを語るより大事かと。

■育てたと自慢の編集者■

どうも、自分やMANZEMIに対して、なにか一方的に価値観を押し付けてくるという思い込みがある人がいますが。残念ながら、そういう押しつけでは、人は育ちませんしね。そもそも、才能の世界ですから、ほっといても独学で独覚する世界です。でも、そういう才能ではない、きつい言い方をすれば二線級の人間が、なんとか天才に周回遅れにならないための技術を教えています。才能なくても努力で身につけられる技術を教えていますが、それを至高だとか絶対だとか言ってはいませんしね。だから、デビュー率も高いです。

で、才能ある人には、その才能に見合った技術を、教えられる時は教えるし、難しい時は教えない。上方落語の笑福亭松鶴一門には、〝捨て育て〟という方法論があります。師匠は技術を教えず、捨て置く。ただし、生き様は見せる。そうして、芸人の世界の中で自然に才覚を発揮して、自分だけのスタイルを生み出す。笑福亭鶴瓶師匠はまさに、このタイプだったわけで。うちも、基本的にそのスタイルです。画力的なことは、斉藤むねお先生や他の講師に任せて。自分は、鳥山明先生はなぜイマジナリーラインを踏み越えても読みやすいのかとか、もうちょっと高度な話をします。

この連ポスで曽山一寿先生(斉藤むねお先生やきたがわ翔先生ら本郷高校の後輩でもあられます)が語られているような、モンタージュとしての漫画の表現文法とか、もうちょっと体系的に。

全国にプロの漫画家は3000人から6000人と、CLIP STUDIOのセルシス社が推計していますが。トキワ荘プロジェクトの入居者から136人がデビューし、MANZEMI講座から数十人、自分が編集時代の10年にデビューに立ち会った20人ほど。全部合わせれば200人ほどですかね。トキワ荘プロジェクトやMANZEMI講座の方法論がおかしければ、こういう数字にはならんのですよ。まぁ、こういう数よりも、アニメ化されるような人気漫画家が一人現れば、受講生は10倍集まるでしょうけれど。そういう作家は、育てるのではなく育つのです。なので「〇〇はワシが育てた」系のことを言う編集者も、信じちゃいけません。

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